情ある者【二】

 その日、宮殿では大勢の一族たちが集まっていた。白虎王の生誕百三十年の祝宴である。

 平均寿命が他の種族よりわずかに短い白虎族としては、長寿の部類に入る。もういつ迎えが来てもおかしくないなあ、と豪快に笑う白虎王は、あと百年くらいは生きていそうだと、子どもながらに思った。

 琥珀の家は、大昔に分かたれた家であるから、もはや王族を名乗るのもおこがましい。それでも節目のときは呼ばれるので、その度に母からは、「白蓮。ちゃんといい子にしているのですよ」と、口を酸っぱくして注意をされた。

 当時の琥珀――白蓮は、生意気盛りの子どもであったが、国王から賜った「白」の名前に誇りを持っていた。いつも家にいるときのようなわがままや行儀の悪いところを見せたら、すぐにでも名前を変えられる。変な名前にされるのは嫌だったし、外面だけは取り繕っていた。

「おたんじょうび、おめでとうございます」

 国王と言葉を交わすのは、両親と一緒に挨拶に向かったそのときだけだ。深々と下げた頭を、白虎王は大きな手のひらで撫でてくれた。

「白蓮。その名に恥じぬように生きなさい」

 顔を合わせたときには、必ず王はそう言った。はい、と胸を張り、両親に促されて、王の前を辞した。

 宴好きな王の計らいで、場は華やいでいた。母はいつもより少し濃いめの化粧をして、父も仕事に行くときよりも立派な袍をわざわざ仕立てていた。白蓮もその名にふさわしい真っ白な絹に金糸銀糸で刺繍をしたきれいな衣装を着て、宴会の隅っこでご馳走を口に運んでいた。

 行儀よくしなければならないので、いつもと違っておちょぼ口で食べている。家では決して出てこない高級食材は、大人たちが皆、口を揃えて「これは美味い」と言うのだから美味しいに違いないと、思い込もうとしていた。

 とにかく、つまらなかった。子どもの列席者は何人もいたが、あいにく世間では風邪の流行っている季節。いつも一緒に喋る仲のいい遠縁の子は家族ごと欠席していて、みごとに折り合いの悪い子どもしかいなかった。

 ――あんな下品な連中とつるんだら、おれの格ってやつが下がる。

 「格」が具体的には何なのかもわからない白蓮だが、絡まれても無視を決め込み、甘く調整された茶を啜っていた。

 それも次第に飽きてきて、厠に向かったついでに、宮殿の中を探索することにした。滅多に来られない大きな建物は、どこもかしこもぴかぴかで、白蓮は一度、探検してみたいとうずうずしていた。両親が目を光らせていたから実行しなかっただけで、根っこの部分がいたずら小僧である。これまで言うことを聞き、おとなしくしていた甲斐あって、付きっ切りで見張られることはなくなった。好機であった。

 長い廊下には、等間隔に美術品が並んでいる。割ったら大変だということがわかっているから、触らないでじっと見るだけだ。壁の掛け軸の絵は、おれの方が上手だと思った。

 とことことひとりで進んでいると、知らない場所に出てしまった。途中までは警備の人間が立って、白蓮のことを見守っていたのだが、いつしかそれもいない。

「どこだろ、ここ……」

 さすがに心細くなってきて、立ち止まる。するとどこからか、すすり泣く声が聞こえた。自分もちょっとだけ泣きたい気分だったから驚いて、あたりをきょろきょろと見回す。同じように迷子になっている子がいるのかもしれない。

「ここかな……?」

 目立たない、簡素なつくりの扉の前に来た。見れば、棒がつっかえている。耳をくっつけると、やはりこの中だ。

 白蓮は棒を外した。そしてこんこん、と扉を叩く。

「だれ?」

「そっちこそだれ? なんで泣いてるの? 開けてもいい?」

 矢継ぎ早に質問をする。中にいる誰かは、最後の質問しか覚えていられなかったのか、「いいよ」と答えた。

 扉を開けた白蓮は、金色の目を丸くした。それはそれは、可愛らしい子がいたから。

 真っ白な髪の毛は、最初はきれいに結い上げてあったのかもしれないが、見る影もなく乱れていた。それでも細く絹糸のような髪は、まるで自分の服を彩る刺繍の糸のように輝いている。自分よりも少し年下に見えるその子どもに、耳と尾がないことに、白蓮は最初、気づかぬほどだった。それほどまでに見惚れていた。女の子のように愛らしいが、白蓮の勘が、この子は男の子であると告げていた。

 青い目をしたその子は、すんすんと鼻を啜りながら、「だれ?」と、再び問いを発した。

「おれ、おれ、その……れ、レンって呼んでくれ」

 あまりにも白が似合う子どもに、白蓮を名乗るのは名前負けしそうだと、名の一部だけ明かした白蓮に、ふにゃりと安堵した笑みを浮かべ、「ラン」と言った。

「ラン? 君、ランっていうの?」

 こっくり頷いた様があまりにも愛らしくて、白蓮は夢中になった。レンとランで名前が似ていて、兄弟みたいだと嬉しくなる。

「ランは白虎族じゃないよね?」

「うん……」

 襟でほとんど隠れてしまっているが、首には白銀の鱗がある。青龍族。しかも白虎王の祝賀にわざわざ招かれるからには、きっとえらい家の子なのだろうと推測した白蓮は、ならばどうしてこんなところにいるのか、と疑問に思う。

 豪華な客間なら、ランの体調が悪くて臥せっていたと言える。けれどここは、見渡してもガラクタが置いてある、物置だ。外からも扉だとわからないよう、工夫されている。しかもそこに、つっかえ棒とくれば、誰かに閉じ込められたのは間違いなかった。

「誰にやられたの?」

 ぶわっと尻尾が膨らんだ。耳と尾はいつだって正直だ。こんなに可愛い子をひとりぼっちにするだなんて、そいつは人の心を持っていない。すすり泣く声は、壁越しとはいえ小さくて、白虎族の発達した耳でも、聞き取るのに難儀した。大声で泣き喚いても仕方のない状況でも、ランはぐっと我慢していたのだ。

「あの、その」

 しどろもどろになりながら、ランは正直に話をしてくれた。

 ランの叔父は変わり者で有名で、白虎族の奥さんをもらっていた。彼女が白蓮と同じくらい薄まってはいるが、王の傍系のひとりであったため、白虎王の宴に招かれた。夫婦にはまだ子どもがおらず、ランのことを可愛がっている。実父と折り合いの悪いランを気遣い、白虎国に気晴らしに連れ出してくれたというのである。

 幼いながらに自分の立場を理解し、白蓮にもわかるように説明できるランは、頭のいい子だと思った。

「うん、それで? どうしてこんなところにいたの?」

 できる限り優しく聞いたが、たぶん目は笑っていないだろう。見れば、水も食料もない。こんなところで宴の間中、いや、誰かが気がつかなかったら一晩中、ランは暗闇と餓えに怯えて過ごすはめになっていた。青龍国からの客人ということもあって、大問題になっていたかもしれないことは、愚かな白蓮でもわかった。

「あの、白虎族の子たちがね……ランのこと、『耳無し』だって」

 白蓮はランの鱗に気がついたし、身に纏う気品から、ただの子どもではないことは容易に知れた。だが、今日の祝賀に参加しているいたずら坊主どもは、身分だけは自分より高いが、能力は低い。そのため、何にも気づかずに、耳と尾がないランのことを、『耳無し』だと判断して、「耳無しのくせにどうしてここにいるんだ!」と、閉じ込めたらしい。

 確かに、耳無しがこんなめでたい席に参加するのはよくないけれど、でも、実際にはランは耳無しじゃない。

 白蓮の胸の内に、ふつふつとした怒りが湧いた。勢いのままにランの手を取ると、部屋を脱出する。

「れ、レン! どこ行くの!?」

「どこって……当然、やられたら倍返しにしなきゃ!」

 強気で笑う白蓮に、ランは目を丸くして、口元は笑みを形作っていた。



「そして俺は、祝賀会場に戻ったところで、ランを監禁した連中をぼっこぼこにして、宴を台無しにした。虐めた連中の中には、白虎王の直系のひ孫にあたる奴もいてさ。容赦なく全員平等に叩きのめしてやったら、俺は『白』の名前を剥奪された」

 皆去っていった。たいした財産のない、血だけが立派な琥珀の家だ。白蓮という名前だけで、人々は琥珀をちやほやと取り囲んでいたのだ。友人だと思っていた連中は、距離を置くだけではなく琥珀の陰口を言うようになった。もう名前に縛られなくてよくなった琥珀は、気づき次第徹底的にやり返したが、両親が頭を下げなければならないので、それもやらなくなった。相手にせず、無視をしていたら何も言われなくなっていった。

「態度が変わらなかったのは、親だけだよ」

 もちろん母には往復で平手を何度も食らったし泣かれた。だが、賓客の子どもを助け出したことについては、「これからもその優しい気持ちを忘れないでいるんだよ」と、褒められた。白虎王もそうだ。報復などせず、親に話をしていれば、琥珀は今でも、白蓮だったのかもしれない。

 とはいえ、白蓮の名を捨てたことについては、後悔などしていない。ランを傷つけた奴らをかたっぱしから自分の手で罰することができたのだから、惜しくないのだ。

 思えばあれは、自分にとっての初恋であった。

「そうか。かの有名な乱闘騒ぎの発端は君だったのかあ」

「は? あれって他国でも有名になってんの!?」

 あの場には、ラン以外にも他国の客が少数ながら存在した。だからこそ、人助けが理由だったとしても、また琥珀が幼かったことを考慮しても、厳しい罰が与えられた。国内で噂になるのはまだしも、と頭を抱える琥珀に、のんきな声が続ける。

「でも本当に、親御さんだけ? 他にもいるんじゃないの?」

 琥珀はふと顔を上げ、黒麗を見つめる。なんでもわかっているような、何にもわかっていないような目は優しく琥珀を見下ろしていた。

 図星だった。

「そうだな。木楊は……何にも変わらなかった」

 思い出したのである。

 辿り着いた砂流の街でも、しばらくすると琥珀が白蓮の名を剥奪されて都落ちしてきたのだということが、ひそひそと格好のネタにされ始めていた。

 やっぱりこの街でも友達は作れそうにない。諦めていた琥珀は、ひとりでうろちょろしていた。

『よう、耳無し。お前の主人、王宮で馬鹿やって追い出されたんだろー?』

 それが自分のことを言っているのはすぐに理解した。口にしたのが、長老家の馬鹿息子だということも。学校だけじゃ飽き足らず、街中でも琥珀の悪い噂を吹聴して歩く、男の風上にも置けない奴だ。

 琥珀はすぐに出て行かずに、こっそりと物陰から様子をうかがうことにした。

 突然従者に決まった木楊のことを、まだ信用できていなかったので。ここで、あいつに乗せられて自分を悪し様に罵るのなら、両親に言いつけようと思った。

 だが、木楊は普段のおどおどと何かに怯える様子がなかったかのように、こう告げたのだ。

『琥珀様は、馬鹿なんてやっていません。大切なお客様を、助けただけだと、旦那様から聞いてます!』

 顔を真っ赤にして、小刻みに身体を震わせて、木楊は一生懸命に琥珀の弁護をした。すべて親からの受け売りかと思えば、「琥珀様は、女中たちにも優しいんです!」と、現在の生活についても触れた。琥珀が優しさを見せる対象に、木楊自身は含まれていないというのに。

 そこまで聞いて、琥珀はようやく姿を現した。不敵な笑みを浮かべ、手指の関節をボキボキと鳴らしながら、「うちの従者に何か用かぁ?」と言えば、取り巻きの連中から我先にとぴゅうと逃げる。ひとりでは琥珀の腕っぷしに敵わないことを重々承知している馬鹿は、何と言っているのかわからない捨て台詞を吐いて、這う這うの体で逃げ出していった。

 ったく、と舌打ちをした琥珀は木楊を見やる。ぽかんとしている彼に手を差し出し、「帰るぞ」と言えば、はにかんで笑った。

『木楊は、琥珀様のことを信じております……』

 と。

 それから彼は、琥珀がどんな無茶をやろうとしても、黙ってついてきた。今回の旅だってそうだ。家から出たのだから、途中で逃げようと思えば逃げられたはず。木楊も、紫嵐が命を狙われていることは知っているし、彼から「命の保証はできないから、ついてこなくとも構わない」と言われていたはずだ。

 それでも木楊は、琥珀に付き従う。

 その信頼を、裏切るような真似ばかりしているのに。

「あいつは……馬鹿だよ。本当、馬鹿」

 でも一番馬鹿なのは、自分自身なのだ。

 ひっくと震えた琥珀の肩を抱き、頭を引き寄せた黒麗は、「その気持ちをちゃんと伝えれば、それでいいんだよ。君の従者は、ゆるしてくれる」と言った。

「なんてったって、家族なんだからさ」

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