ミサキミラー [改定版]

大橋 知誉

一、ケイプリアン

 ある日、世界中の鏡が反射をやめてしまった。

 政府は脆弱性が見つかったので一時停止したと発表した。


 ミサキは公園のベンチに座り、祖母の形見の手鏡をこっそり覗きながら途方に暮れていた。

 それはくっきりとミサキの顔を映していた。


 バグだ…バレたら没収だろうか。

 何故、よりによってこの鏡。


 その時、鏡に自分以外の顔が映ったような気がした。

 はっとして覗き込んだがそこには誰も映っていなかった。


「君、この辺の子?」


 急に声がしたのでミサキは飛び上がるほどに驚いてしまった。


 目の前にミサキより少し年上くらいの青年が立っていた。


「それ隠しておいた方がいいよ」


 言いながら馴れ馴れしい態度で彼はミサキの隣に座った。

 ミサキは慌てて鏡をポケットに隠した。


「大丈夫、チクらないよ」


 ミサキは同世代の異性とあまり話したことがなかったので緊張で固まってしまった。

 その様子を見て彼は笑った。


「あれ? ナンパとか初めて? 可愛いのに」


「な、ナンパなの?」


 やっとミサキの口から言葉が出た。

 可愛いと言われて悪い気はしなかった。


「俺、来たばっかりなんだ」


 人懐っこい笑顔で彼が言った。

 ちょうど傾きかけた西日が彼の頬を照らしていた。


「この公園、絶景って聞いて来たんだけど」


「それなら…あそこ」


 ミサキは公園の反対側のベンチを指さした。

 海が一望でき、沈んでいく太陽が見れる場所だ。


 彼はミサキの指さす方向を見ると立ち上がった。

 振り返ってこちらを見ている。


 ミサキにも来てほしいようだった。


 ミサキは仕方なく彼について行った。

 景色が見えてくると彼は、おお…と小さな声で言った。


 二人はベンチに座った。


 日が沈むまで少し時間があった。

 それまで彼はミサキとお喋りをするつもりのようだった。

 趣味や仕事のこと、好きな映画など根掘り葉掘り聞かれた。


 ミサキは適当に答えた。


 やがて太陽が海へと沈み始めた。


 彼が急に無言になったのでチラッと横を見ると、まるで初めて海に沈む夕日を見たような顔をしていた。

 胡散臭い奴だが、その時の彼の表情は本物だなとミサキは思った。


「ありがとう。楽しかったよ」


 すっかり日が沈むと、立ち上がりながら彼は言った。

 続いてミサキも立ち上がろうとすると、彼が手を引いて立たせてくれた。


 そして耳元でこう言った。


「ここ、気に入っちゃったよ。だから内緒にしておいてあげる」


 それでミサキは耳まで真っ赤になってしまった。

 薄暗くて助かったと思った。


「じゃあ、俺もう行かないと」


 急に慌ただしく彼が言った。

 ミサキはもう少し彼と一緒にいたいと思ったけれど口に出せなかった。


 そのまま彼は手を振りながら走って行ってしまった。


 後を追えなかった。


 後日友人に話すと「何そいつキモい」だの「ヤレるか探ってんじゃ?」だの散々の言われようだった。

 ミサキはでも、また会いたいと思ってしまうのだった。


 それから間もなくして脆弱性は改善され全ての鏡が戻った。そして人々はこの一件を忘れてしまった。

 すっかり。すっぽりと。


・・・・


 殺風景な廊下にぽつりと出現したドアが少し開いて、一人の青年が顔を出した。

 青年はあたりを警戒するような様子で左右を見て、誰もいないことを確かめると、さっと中に入って来た。


 青年が後ろ手でドアを閉めると、不思議なことにドアは跡形もなく消えてしまった。


 青年の名はケイプリアンと言った。

 たった今、侵略予定領域の偵察を終えて戻って来たところだ。


 ドアが完全に消えたことを見届けると、ケイプリアンは何食わぬ顔で廊下を歩き始めた。


 迷路のような通路を迷うことなく進んで、とあるエレベータの前にくると、それで上階へと上がった。


 エレベータが到着するとそこは広間のような空間になっていて、男女二人が正面のデスクに座っている初老の男に何かを報告していた。


 正面の男がケイプリアンの父親。彼らの王である。


 女の方がミラミラ。左の男がガジュー。全く似ていないがケイプリアンのきょうだいたちだ。


 ケイプリアンはブラブラと散歩でもするかのようにゆっくり彼らの元へと近づいて行った。


「遅いぞケイプリアン。何をしてた?」


 ミラミラが振り返りながら言った。

 ケイプリアンはにっこり微笑んで片手をあげ彼女に挨拶をした。


 ミラミラはフンと鼻を鳴らした。


「K-2-5515はどうだった、ケイプリアン」


 王が言った。


「ダメでしたよ父さん。ガードが固すぎます。あれは入れませんね」


「お前たちでも入れないということか?」


「無理でしょうね」


「スリッピングは使わなかったのか?」


 ミラミラが口を挟んだ。

 ケイプリアンは肩をすくめて曖昧な返答をしてみせた。


 ミラミラはまたフンと鼻を鳴らした。


「それでは今回の成果はミラミラの確保したM-4-3367のみということか。だいぶ資源が枯渇するな…。ケイプリアンとガジューも早く成果を上げろ」


 ケイプリアンは「へーい」と気のない返事をした。


 ガジューも「へい…」と返事をしたが、ずいぶんと不服そうな表情をした。

 ガジューは大変に醜い形相の男だった。きょうだいであるはずのケイプリアンともミラミラとも全く似ていない。


 嫉妬と恨みのこもった眼差しをケイプリアンに向けていた。

 何の努力もせずに、美しい容姿と類まれなる戦闘の才能を持って生まれたケイプリアンをガジュー恨めしく思っていた。


 少しでも鍛錬をすれば、その実力はミラミラをもしのぐと言われているのに、奴は楽をすることばかりに脳みそを使っているのだった。


 一方のガジューは毎日血を吐くような努力をしているにも関わらず、ケイプリアンを一向に追い抜けないのであった。

 この世は不公平だ。ガジューは身も心も醜くひねくれてしまっていた。


 ガジューはギリギリと歯ぎしりをしながらケイプリアンを睨みつけた。


 それに気が付いたケイプリアンはガジューに歩みよると、ふざけた様子で肩に腕を回して来た。


「おいおいガジュー、そんな怖い顔で睨まないでくれる? そういう顔になっちゃうよ」


 相手に全く冗談が通じていないことを確認すると、ケイプリアンはポンポンと弟の背中を叩き、さっさとその場を離れ、レベーターに乗って階下へと行ってしまった。


 ガジューは怒りに満ちた表情でケイプリアンを見送ると、父親を振り返って言った。


「父上、いいのですか?あんな勝手させておいて」


「まあまあ、ああ見えてケイプリアンは優秀なエージェントだ。お前も負けないようにがんばれ」


 それを聞くとガジューの顔には怒りと絶望が混在した表情が浮かんだ。


「いいから、今日はもう休め」


 王は疲れた様子で手をヒラヒラさせた。


 ガジューは無言で去って行った。


 最後に残ったミラミラは一礼をしてから階下へと降りて行った。


 一番乗りで面倒な報告会から抜け出したケイプリアンはそのまま地下のバーへと直行していた。


 いつものカウンターの席に座ると強い酒を注文し、一気に3杯飲み干した。


 そしてケイプリアンはK-2-5515のことを考えていた。


 あそこで見た風景。あれはなんだ。

 あんな美しいものは、数々の領域を侵略してきたケイプリアンでも初めてだった。

 というよりも、これまでは侵攻するのに夢中で、その領域がどんな場所なのかなど考えたこともなかったのだ。


 ケイプリアンの一族は他の生命体を捕食し仲間を増やすタイプの家系だった。

 彼らは他の者たちからヴァンラスと呼ばれて恐れられていた。


 彼らのほとんどは “ヴァンラス” という呼び方を嫌っており、それは差別だ、自分たちは “人間” だ、と言い張っていた。

 しかし、そんな彼らもまた、捕食対象の他の人間のことを「ヒト型」と呼んで区別していた。


 この世界は複数の領域が複合してできており、そのことを最初に発見したのもヴァンラス達だった。

 彼らはこの世で唯一、肉体を別の領域へと移動させることができる種族だった。


 領域と領域の間に存在する、巨大な壁のようなものから脆弱性を探知し、彼らはどこでも自由にドアを作って行き来できるのだ。

 また、能力の高いヴァンラスはスリッピングと言う壁そのものをすり抜ける技を使うことができ、いつでもどこでも侵入してきた。


 ヴァンラス以外の人々は、皮肉にもヴァンラスが作った抜け道を応用して情報のやりとりを領域間で行っていた。

 やりとりできるのは荒い画像情報と言語情報のみである。


 なお、この情報伝達の回線が時にヴァンラスの侵入口になることもあるので、領域間同士のやりとりは頻繁には行われてはいなかった。


 ヴァンラスは元々、自分たちの所属する領域のみで狩りを行い暮らしていたのだが、あるとき領域間を超えて、ヒトの味を覚えてしまった。


 それ以来、ヴァンラスは他の領域の生命、特に「ヒト型」を好んで食料とするようになった。

 ヒトを食うようになってから、彼らは人間の肉体から自らの複製をつくることができるようになった。


 それ以前はどうやって仲間を増やしていたのかは不明だが、「複製」という手段を習得してから、彼らは爆発的に仲間を増やしていった。


 圧倒的な戦闘能力を持つヴァンラスたちに対し、ヒト型は無力だった。

 瞬く間にいくつもの領域が蹂躙され、今やヴァンラスは数万の同胞を抱える大所帯と成長していた。


 そんな彼らが「ヒト型」を喰らい続ければどうなるか。ヴァンラスの数に対して食料となる「ヒト型」の数が足りなくなった。

 深刻な食糧難の果て、共食いも日常茶飯事となっていた。


 おまけに、最近では「ヒト型」たちの情報共有と研究が進み、各領域のセキュリティが強化され、安全に侵入できる領域もめっきり減ってしまった。


 今回ケイプリアンが担当したK-2-5515も鉄壁のガードを誇る領域だったが、ケイプリアンは侵入に関しては天才的な能力を持っていた。

 父親たちには入れないと報告したが、ちゃっかり弱いポイントを一ヶ所だけ見つけて入り込むことに成功していたのだった。


 K-2-5515はのどかな場所だった。


 …あの初心そうな女の子も可愛かった(ウマそうだった)な…。


 ケイプリアンは回想する。


 強烈な夕日の元で見た輝くような女の子の横顔を。


 ケイプリアンの中に不思議な独占欲が芽生え、何故だかあの領域を隠しておきたくなってしまったのだ。


 …俺のバックドアはそう簡単には見つからないだろう…


 そんなことを取り留めなく考えていると、急に声をかけられた。


「また、呑んでいるのか」


 振り返るとミラミラが立っていた。


 “冷血のヴァンラス”。他の領域の者たちは彼女をそう呼んで恐れていた。

 実際、彼女は史上最強の戦士だった。


 ちなみに、ケイプリアンは笑いながら殺すとの都市伝説から “ヴァンラスの道化” と呼ばれていた。


 ケイプリアンもミラミラもこの呼び方を毛嫌いしていた。


 ミラミラは勝手にケイプリアンの横に座ると自分も酒を注文した。


「兄さんのことだから本当は入ったんだろう?」


「何の話かなミラミラ?」


「とぼけても無駄だ。私も父上もケイプリアンのやることは大体わかっている。何を企んでいる?」


「別に…何も。あそこガードが堅いんだよ。リスクが高すぎるんじゃねぇの?」


「それは一理あるが深刻な資源不足だ。このまま獣や死肉を食えっていうのか?」


「あそこを取ったところで大して解決はしないぜ。人口は極端に少ない」


「甘い。兄さんは昔からどこか甘いんだ。だから永年の二番手なんだよ」


 ミラミラは腹を立ててバーから出て行ってしまった。

 ケイプリアンはため息をついた。


「そうカリカリするなよ。肩の力を抜け。ずっと一番だと命が持たないぞ」


 既に出て行ってしまったミラミラに向かってケイプリアンはつぶやいた。

 それは自分に言っているようでもあった。


 翌日、二日酔いの頭を抱えて、ケイプリアンはK-2-5515への再侵入を試みた。

 彼の空けたバックドアは生きていた。


 なんなくK-2-5515へ侵入したケイプリアンは、マーキングしておいた例の女の子の元へと向かった。

 こちらの姿は見せずにしばらく彼女を観察することにした。


 女の子の名前はカガミ・ミサキと言った。ごく普通の会社で働いている、ごく普通の女の子だった。

 ごく普通…それがケイプリアンには特別に見えてしまっていた。


 一目惚れというやつなのだろうか。捕食対象に対してヴァンラス達は恋愛感情を抱くことはないが、愛着を持つことはある。

 あの女の子に強い愛着を持ってしまったことを、ケイプリアンは否定できないのであった。


 それから何日間かこっそりK-2-5515に入り込んでカガミ・ミサキを観察した。

 そして、彼女の交友関係や家族構成を概ね把握することができた。


 年齢は22歳。データ入力の仕事をしている。友達は少なく、学生時代からの女友達が二人いる程度。

 職場の人とはあまり交流はない。恋愛の対象は男性だが、恋人がいたことはなさそう。男友達もなし。

 両親は国のトップレベルの官僚でめったに会わない。弟が一人。彼も政府関係の仕事をしていて優秀だ。


 そうしてカガミ・ミサキを知れば知るほど、彼女に食いつきたくて仕方がない衝動が強まってきてしまった。


 だが必死に我慢した。

 一般公表していない領域で狩りを行うことは彼ら一族にとって最も重い罪に当たる反逆罪だったのだ。


 だけれどもケイプリアンはどうしてもこの領域が欲しかった。

 全てを自分ひとりのものに。

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