怒りの雪乃②

授業を入れていない五時間目の空き時間を使って遅い昼食をとった私は、六時間目の授業に出る前に保健室へ行きました。

理子ちゃんと会って、少しでもお話が出来ると良いのですが………。


「あ、雪乃ちゃん……」

保健室の前で、保健の先生と一緒にいる理子ちゃんと出会いました。

「調子はどうですか?」

「うん。だいぶ落ち着いた。心配かけてごめんね」

理子ちゃんの返事を聞いて、私も安心します。声の調子から大分元気を取り戻されたようです。

「この後、カウンセラーの先生と面談をしてから、お父さんに迎えに来てもらうことになったの。一緒に帰れなくてごめんね……」

理子ちゃんの話を聞いて、私はほんの少しだけがっかりしました。本当は一緒に帰って、駅前にあるハンバーガーショップに寄り道をするはずでした。同年代の人には珍しくない放課後の過ごし方も、私たちには特別なこと。

でも、今日ばかりは仕方ありません。それに、また別の機会があります。

「気にしないでください。今はゆっくり休んで、気持ちを切り替えましょう」

「うん。ありがとう」

力なく微笑む理子ちゃんは、それから先生と一緒に面談をする応接室へ去って行きました。

さて……。

時計を見ると、まもなく五時間目が終わります。

私は六時間目の授業が行われる教室へ向かいました。


六時間目、今日最後の授業が終わりました。

この後、教室の掃除があります。

学校には決まったクラスと教室がないため、六時間目の授業に出席した生徒はその教室の掃除をしてから下校するという決まりになっています。

この時出席していた生徒は私を含めて十人ほど。

皆さん、なぜか私の周りに集まってきました。

私が戸惑っていると、集まってきた中のひとりの女の子が声をかけてきました。二つ結びのおさげ髪で度の強めな眼鏡をかけた方です。

「立花さん、でしたよね」

「はい。そうです」

「ごめんなさい。名前を知っているのがあなたしかいなくて……」

女の子はそういって苦笑しました。

考えてみればクラスがないため自己紹介をする場がなく、私も同級生の皆さんの名前を存じません。彼女が私のことを知っているのは、入学式で新入生代表を務めたからでしょう。どうやら他の方々も同じようでした。

せっかくの機会なのでこの場にいるメンバーで自己紹介することになりました。といっても、掃除をしないといけないので名前を名乗る程度でしたが。それでも小中学校の九年間を同じ学校で過ごして、同級生に自己紹介をするのは小学生の時以来という私には新鮮な体験です。

この場にいるのは、私を含めて女子生徒六人、男子生徒四人。皆さん、話した感じから真面目そうな方ばかりで安心します。ただ、やはりここに理子ちゃんがいないことだけは残念です。

「改めまして、立花雪乃と言います。よろしくお願いいたします」

私から始まって順番に名前を名乗り、最後は私に声をかけてきた女の子が名乗りました。

「臼杵景子です。よろしくお願いします」

臼杵さんがまとめ役になって掃除の割り振りを行い、私たちは掃除を始めました。


掃除を始めてすぐのことでした。

「いたいた。立花さん、一緒に帰らない?」

ふたりの女の子が教室に入ってくるなり、挨拶もなしに私に声をかけてきました。

今日、午前中にお昼ご飯を一緒に食べないかと誘ってきた方たちです。

角隈先輩たちとは違う感じで濃い化粧をした女の子たちで、理子ちゃんは地雷系と量産型と言っていました。

親しく声をかけてくださるのは嬉しいのですが、ただ不躾で馴れ馴れしすぎるのが私には抵抗を感じさせます。

なにより今は掃除中。他の教室で授業を受けていたはずの彼女たちがここにいると、掃除の邪魔です。

「お誘いくださるのは嬉しいですけど、今は掃除中ですからご遠慮いただけますか?」

「えー?いいじゃん、掃除なんて。そんなのブッチしてカラオケ行こうよ」

黒いマスクをして黒一色の服を着た女の子がとんでもないことを言いました。私に掃除をサボれと言うのでしょうか。

「いえ。そんなわけにはいきません。それに私、歌うのは得意ではないので、カラオケは遠慮させてください」

カラオケといえば、小学生の時にクラスメイトのお家へ招かれて、カラオケ専用の部屋があってそこで歌ったのですが、点数が表示されてあまりの低評価にショックを受けて、それ以来カラオケは苦手です。

「ふーん、真面目なんだね」

もう一人の、ピンク色の服を着た女の子がつまらなさそうに言いました。

真面目は美徳だと思っています。私は勉強こそ苦手ですが、その分学校では美化活動などに積極的に参加したり、決められたことはしっかり守ってきました。小中学校の九年間、無遅刻無欠席で通しました。真面目の何がいけないのでしょうか?

女の子たちの言い草に、私は苛立ちを感じました。正直、人と相対してここまで苛立ちを感じたのは初めてです。先ほどの先輩方にもここまでは感じませんでした。

そんな私の感情にとどめをさすように、黒服の女の子から心無い言葉がかけられました。

「なんか、顔のわりにつまんない子ね……」

その瞬間、理子ちゃんの哀しそうな顔が浮かびました。容姿を誉めて近づいて来た人たちが、話が合わないとわかると手のひらを返してつまらない人だと悪態をつき離れていく。

ああ……あなたはずっとこんな思いをして傷つき、苦しんできたのですね……

私の中で、張りつめていたものが弾けたような気がしました。

「仰ってる意味がわかりません。あなたが私の顔を見てどう思っていたのかわかりません。でも、私があなたの期待に応えなければいけない義理はありませんし、つまらないと批判される覚えはありません!」

自分でも驚くくらい、大きな声を出していました。私の剣幕に圧されて女の子たちが少し後ずさります。

「な、なに?なにマジになってんの……?」

私は構わず言いたいことを続けます。

「私の友達も、あなたのような人たちから一方的な決めつけを受けて心ない言葉をかけられ傷ついてきました。今も苦しまれています。私もその苦しみを身をもって知りました。先ほどの言葉、取り消してください!」

いつの間にか目から涙が溢れていましたが、今の私には拭う余裕もありません。

「は……ワケわかんないんだけど……」

でも、ピンク服の女の子は私に気圧されて言葉が続かないようです。

「あの……今、掃除中なので出ていってもらえますか?」

臼杵さんがそう言って、私と二人の間に入りました。男子の方たちも二人に教室から出ていくよう促しています。

「立花さん、こっちに座って休んでていいよ」

自己紹介の時に吉岡と名乗っていた女の子が、私に声をかけて椅子を用意してくれました。

「あ……ありがとうございます。でも、今は掃除中ですから……」

「いいよいいよ。あんな変な子たちに絡まれて嫌な思いをしたばかりなんだから……」

「でも……」

「ごめんなさい。私たちがもっと早くあの子たちを追い出せば良かったのに……」

用意された椅子に座れず躊躇う私に、臼杵さんが申し訳なさそうに言います。

「いえ、いいんです。私は大丈夫ですから、早く掃除をしましょう」

「このハンカチ、私のだけど使って」

吉岡さんがハンカチを差し出しました。

「ありがとうございます。洗ってお返しします」

「本当に大丈夫……?」

皆さんが心配してくださり、私も申し訳なくなります。

「はい。心配してくださって本当にありがとうございます。大丈夫ですから……」

「そう……じゃあ、早く掃除を終わらせましょう」

臼杵さんがそう言って、この話は終わりと告げるように両手を叩いて鳴らすと、私たちは教室掃除を再開しました。

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