二人だけの「教室」
朝、電車を降りて駅の改札を出た私は、駅前から住宅街へ続く道を歩き始めた。
十分ほど歩くともう完全に住宅街で、大きな戸建ての家が立ち並んでこの辺りが高級住宅街であることがわかる。
目的の場所が見えてきた。
オシャレな外観の二階建てのアパート。
エントランスはオートロックになっていて、自分の鍵か住人に開けてもらうしかドアを開ける方法はない。
私はカバンから鍵を取り出した。
彼女から渡されているこの鍵は、私に対する信頼の証。その信頼に応えるために、今日も私はここへ来た。
エントランスのドアを開けて、一階の通路を進む。
一番奥にある一〇四号室。
ここは彼女の「勉強部屋」。
でも自分の部屋のようにドアの鍵を開ける。
時刻は午前八時三十分。ちょうどいい時間。
「おはよー」
玄関から部屋の中へ声をかけた。
すると、廊下の奥にあるワンルームのドアが開いた。
「理子ちゃん、おはようございます」
朝の挨拶とともに現れたのは、制服っぽい服装をした女の子。
紺色のブレザーに胸元は赤いリボン。紺色のチェック柄スカートに黒タイツというコーディネート。私も彼女とまったく同じ服装をしている。
これは、制服のない学校で学ぶ私と彼女で決めた、二人だけの制服。
その発案者である彼女の名前は、立花雪乃ちゃん。
私、高橋理子と同じ高校一年生。もちろん、同じ学校の同級生だ。
清楚でいかにもお嬢様然とした可愛い子で、同性の私も見惚れるほど。
かくいう私も容姿を誉められることが多いけど、雪乃ちゃんには及ばない。
学校に通っていたら、雪乃ちゃんがクラスで一番、私が二番目に可愛いとでも評されていたと思う。
雪乃ちゃんがパタパタとスリッパの音をたてながら、小走りに廊下を駆け寄ってくる。
「さあ、どうぞ」
スリッパを用意してくれて、玄関でローファーを脱ぎ、スリッパに履き替える。
そのまま雪乃ちゃんの後に続いて部屋に入った。
ワンルームに置いてある家具は、机と椅子、本棚、ソファだけ。部屋を彩るインテリアは一切ない。
初めてこの部屋に入ったときは、あまりの殺風景さに驚いた。
それもそのはず、彼女の私室は別に自宅にある。
ここは彼女が毎日の勉強をするための、文字通りの勉強部屋なのだ。会社社長のご令嬢だからこその贅沢さ。
その部屋に私もお邪魔して雪乃ちゃんと一緒に勉強をするようになってはや五ヶ月。
今日もこれから二人だけの授業が始まる。
「ああ、もう始めてたのね」
机の上には、教科書と学習書、私たちの勉強の要であるレポートが広げられていた。
「はい。後期試験はもっと余裕をもって合格したいから。今から頑張らないとです」
「そうね。じゃあ、私も頑張らないとね」
やる気十分な雪乃ちゃんを見て、私もやる気が出る。
先月、高校に入ってから初めての試験が行われた。
私たちの学校は前後期の二期制のため、試験は年二回しかない。その試験はただの学力考査ではなく単位認定試験だからとても重要なものだ。
その結果は、私は一発合格。一方の雪乃ちゃんは本試験が不合格で再試験でなんとか合格した。
そう、彼女はとても勉強の苦手な子なのだ。
逆に私は勉強だけは得意だから、彼女をサポートしてあげないといけない。
たった一人の親友のために、私はこれからも頑張り続ける。そうじゃないとこの部屋の鍵を渡された意味がない。
「数1のレポートやってたのね。じゃあ、数1から始めようか」
「はい。やっぱり数学が一番苦手ですから」
「わかった」
カバンを置くと、自分の勉強用具一式を取り出した。
この雪乃ちゃんの勉強部屋は、私たち二人の「教室」でもある。そこにはクラスメイトはもちろん、先生もいない。
なぜなら、私たちの学ぶ学校は、通信制課程の高等学校だからだ。
通信制の高校は、毎日登校する全日制とは違って、毎月決められた回数の面接指導(スクーリング)とその他の特別活動のある日以外は登校がなく、基本は自宅で自習を行う。
その中心となるのが既に雪乃ちゃんの取りかかっているレポート。これは要するに学校から出される課題で、教科書に学習書という通信課程独自の教材で勉強をして問題に解答する。これを期限までに学校へ提出し、先生の採点を受ける。合格点をクリアしないと合格するまで再提出になり、試験すら受けられない。しかも、分量が意外と多くて毎日地道にやらないと期限に間に合わないという代物。
ある意味、自分との戦いになる学習システムなのだ。
実際、自宅学習が続かずレポートを提出出来なくて挫折し、中退する生徒が毎年五割を超えるという。
そんな学校に入学した私と雪乃ちゃんは、高校生になって初めての登校日で知り合ってから親しくなり、一緒に勉強をするようになった。
机の上に置いてあった雪乃ちゃんのスマホからアラームが鳴った。
キーンコーンカーンコーン
学校のチャイムでもお馴染みの、ウェストミンスターの鐘の音。
音源をダウンロードして授業の始まる時間に鳴るようセットしてあるのだ。
時刻は八時五十分。学校でスクーリングの一時間目の始まりと同じ。
「さあ、今日も一日頑張りましょう」
「そうだね。頑張ろう」
雪乃ちゃんの笑顔とともに、今日の授業が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます