カラーオブエラー
カラーオブエラー
「
眉ひとつ動かさず、『彼女』からそう言われた。
意図がわからず『好き』の音だけを聞き取って自分の脳内で反芻させてみたが、やはりわからなかった。
同じ表情でも少しでも頬の血色が良くなっていれば少しは意味を深く考えてみようという気にもなるものだが、変わることは有り得ないだろうし、確認できるわけもない。
高校の課題はとっくに済ませているから、個人的に取り掛かっている数式を解いている途中だった。
だから紙の上の数字の中へ再び戻る。
しかし『彼女』の話は終わらなかった。
「好きです」
「……」
「あなたが好きです」
「……そう、ありがとう」
「愛しています」
さすがにたまりかねて、椅子を引いて腕を組み、睨んだ。
「……さっきから何?学校の誰かから何か吹き込まれた?テレビか映画か本か……変な影響でも受けたか?」
「色々とあった結果、私は浩親さんを愛しているんではないのか……という結論に至ったもので」
「馬鹿言うな」
「……スミマセン」
話を終わらせたかったので、見渡して無理矢理違う話題を探す。
テーブルの上の球体が集まっている山を見つけた。
「……なぁ、そこのミカン取って」
「ダメです」
「は?」
「まだ青いです。食べ頃はもう少し先かと」
「……あっそ。そんなもの『俺の部屋』に置いておくなよ」
『黒』のボールペンで式を解き続ける。
『彼女』はそれを見守りつつ、その場で正座をした。
「浩親さん、さっきのことですが。……
「……アイツか。また面白がっていい加減な事を言って」
「私は……いい加減とは思いませんでした。私は貴方のことを常に考えています。貴方の為に出来ることはないかといつも考えています」
「……だから?」
「恋です」
「……」
「鈴さんは浩親さんもきっと同じ気持ちなはず……と言っていたので」
「本当に馬鹿を言わないで」
「……私のことは好きじゃないですか?」
「有り得ないよ」
「なんででしょうか」
軽い深呼吸をしてから、ハッキリと言ってやった。
「……だってお前、アンドロイドじゃんか」
『彼女』は体内のモーターを回して、首を傾げた。
「……それが理由でしょうか」
「そうだよ、俺は恋人を作ったんじゃない」
「はい」
「アンドロイド。わかるか?『
「はい」
「人間じゃないお前を恋人にするわけがない……ましてや、」
深い溜め息を吐いてから頭を掻いた。
「『お前』が俺を『愛してる』訳がないんだ。有り得ない」
『白』の紙を見つめてながら当たり前の説明をすることに虚しさすら感じる。
「私はアンドロイドです。知っています。
『彼女』の手がこちらの顔に添えて『白』の紙から彼女の瞳へと方向を変えられた。
見た目は人間と全く同じに作った。
だから共に学校へ通っていても誰も疑問に思わない。
その唇は世間一般の女子高生達と同じ、赤い血色に似た色に作っている。
しかし自分の目には映らないのだが。
「私の役目は色を認識できないマスターの『目』になることです。貴方に『色』を伝える役割を担っています」
やはり眉ひとつ動かさず『好きです』と同じ表情のまま答えてくる。
ゆっくりと『彼女』の手を自分の顔から外した。
「わかったのなら鈴の言葉を真に受けて余計なことを言うな」
「浩親さん」
「何?」
「私は役目を与えてもらっておりますが、ロボットではありません」
「……あぁ、そうだな」
「造られた命ですが、人間ではありませんが、人間のようなものです」
「……だから?」
「アンドロイドは恋が出来ます」
『彼女』は眉を動かさないままだが、自分の眉は
「……何?」
「アンドロイドも恋をします」
「……」
「私はロボットではありません。つまりロボット三原則に当てはまりません。だから、私は本来必ず人間の命令を聞く必要はないのです」
「最近じゃあロボットも三原則を守らないという研究結果も出て来ているがな」
「私はロボットではありませんが、貴方の役に立ちたいだとか、貴方の傍に居たいとか……そう思うんです」
「……」
「いつか浩親さんの研究が進み、私の縮小化にも成功していくと思います。完全補正できる眼鏡やコンタクトが出来れば……わざわざ『私』のサイズを連れて歩く必要も……アンドロイドの【私】である必要はなくなります」
「……そうだな」
「それでも私は」
「……」
「……傍に居たいのです。必要とされてほしいです」
『彼女』の手がもう一度自分の頬に添えられる。
体温がないはずの手だが、暖かい。
電気が流れている回路の発熱と理解はしていても心地よい温もり。
「貴方の傍に居る時、見つめられる時、触れる時、視界に入るだけで……あまつさえ思い出すだけで……私のモーターは正常には働きません。人で言うなら『苦しい』にきっと近いです。だけど私にはそれが『嬉しい』のです」
「……ただのエラーだ。今度点検してやるから。この話は終わろう」
「エラーではありません」
「……お前がそう思うのなら……もう勝手にすればいい」
「浩親さん」
「……何?」
「好きです。愛しています」
「……ありがとう」
吐息とともに出た声は掠れすぎて「……困ったな」とはっきり発音できなかった。
「浩親さん」
「まだ何かあるのか?」
「やはり浩親さんはアンドロイドを恋人にするのは有り得ないのでしょうか?」
『彼女』の瞳の焦点がジジジと作動し、自分のわずかな表情に注目しているのがわかる。
『彼女』から色の情報を伝えてもらっても、内蔵HDDであとで接続して確認して見ても、きっと『彼女』の見る世界を共有するのは難しいであろう。
「……………………ミカン」
「はい」
「まだ青いんだろう?」
「はい、約4日ほどお待ちください」
「もしお前が『大丈夫だ』と言ってしまえば、たとえ酸っぱくても俺は疑うことなく食べるだろう」
「そんな嘘……私は絶対につきません。そんな意味もないことを……」
「焼けてもいない肉でも腐ったご飯でも、俺には見た目で判断はできないが、お前が『良し』と言えば俺は毒でも口にするよ」
「そんなことは決して致しません。私は貴方を守ります」
「……わからないだろう?俺の言っていることが」
「私の仕事を信用していないということでしょうか?」
「逆だ。たとえ目の前が赤信号だったとしてお前が青と言えば歩き出す。それほど信用しているということだ」
「非常に光栄です」
命に関わるレベルの信用は依存に近いことをきっと理解していない。
つまりどういうことか。
わかるはずもない。
「ですがやはり有り得ません。私は嘘をつきません」
「それがお前の仕事だからだろう?」
「その通りです」
だから危険だ。
だから困るのだ。
愛と仕事の境界線が『彼女』には見えているだろう。
こちらにはハッキリどころかどこにあるのかさえ見えていない。
人間は自分に都合の良い解釈をしたがる。
頭でわかっていても、鵜呑みにして期待して、落ちていけば、小さな小さな食い違いの積み重ねで、いつか『ソレ』に殺されることだろう。
対象がなんであろうと目に見えないものを、形に残らないものを、誓うということは恐ろしい。
だから心に刻むのだ。
『彼女』は人ではないと。
マスターとアンドロイドであると。
『彼女』に名前を付けることはない。
自分の中にある感情に名前をつけることもない。
名付けてしまえば、きっと色々なものが生まれ、ついてくる。
「浩親さん」
「なんだ」
「そろそろ
「……またか。俺には意味のない時間だって何度言えば」
「それを補うのが私の役目ですから」
「……」
「行きましょう」
『彼女』は迷うことなく手を引いて、夕焼け空を見せようとする。
危険信号と同じ色。
自分には認識できない色。
『たとえ目の前が赤信号だったとしてお前が青と言えば』
歩き出すんだよ。
きっと『彼女』はそれをわかっていない。
こんな俺を笑ってくれ。
頭でっかちの臆病者だって。
恐いに決まっている。
色がわかる『彼女』と一緒に赤信号を渡って、エラーを犯させる訳にいかないんだ。
だから一生彼女を愛さない。
終わりが見えない苦労と共に死んでいく覚悟なら……出来ている。
【~end~】
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