第2話 焦げ臭い仲間の女子

「はい、じゃあ引継ぎはこんなところかな。今日はこれで締めにしようと思います。解散!」

 放課後にはクラス委員長が集まる会議がある。今日は役職が二年生に受け継がれる日で、後輩たちはちょっとだけ緊張しているようだった。

 ……微笑ましい反面、僕の体調も芳しくない。

 匂いが強まった。三時間目の辺りから休憩させてもらってたけど息苦しさは変わらない。僕以外誰も気にせずに会議していたところを見るに、本当に僕しか嗅ぎ取れていないみたいだ。正直、会議の内容もいまいち頭に入り切っていない。

 ダメだ、こんなんじゃ。

 何かの病気か? でも身の回りのもの全てが燃えてるような気がする、みたいな病気なんてあるのか? どっちかというと精神の方な気がするけど、変にストレスを抱えるような目にあった覚えもない。

「おいどうしたよ。なんか顔色悪くね?」

「ねえ、焦げ臭くない?」

「お前が?」

「いや……普通に」

「こっわ……夕暮れにやばいこと言うなって」

 ……とまあ、今日一日ずっとこんなことを返されたわけで。耳鼻科、予約しようかな。

 教室から続々と生徒が返っていく。その中に紛れるように僕も帰宅しようとする——寝たらどうにかならないかな、これ。本当に、実は疲れが溜まってて一気に爆発してしまっただけだったらいいんだけど。

 と、考えていたところで後輩が一人、目の前を遮ってきたのだった。

「草浦センパイ、今日はお疲れですかー? ずーっと天井見てましたけど」

「あー……バレた」

「だいぶ露骨でしたよ? 大学受かってるからって、ウカれてるんじゃないですかっ」

「ん……?」

「疑問符一音だけで返されると辛いですよ……?」

 みんなお疲れな帰宅時にやたら元気のいいこの女子生徒は、風早かわはや 海未香うみか。委員長後輩として色々面倒を見ている子だ。天然、ハイ元気を形にしたような子で、人柄だけでなんとか委員長をやっている……ちょっとばかり事故を起こしがちな後輩。最近はなんとかトラブル発生率も抑えられているようで、先輩としてはその成長に涙せざるを得ない。

「具合が悪いなら無理しなくてもよかったのに。今日それほど重要ってわけでもないじゃないですか」

「まあそうなんだけどね。身体そのものは元気なんだ。どっちかというと五感のうちの何個かがお疲れみたいな感じでさ」

「じゃあ疲れてますよ、それー。それに五感がおかしいってなら私だってアレですよ」

「え……今日はどこか具合が?」

 そうか、海未香も風邪を引くのか。全然そんなイメージなかったけど。

「鼻づまりッス」

「そう言って鼻摘まないの」

 ずずっ、と音を鳴らして海未香はでもでも、と続ける。

「でも今日ずっと変なんですよ私―!」

「どうして?」

「聞いてくださいよ。なんか今日、ずっと焦げ臭いんですよねー! みんなにも聞いてみたんですけど、頭おかしくなったんじゃないのー、の一点張りで!」

「……え?」

「オカルト案件だから近衛くんに聞け―って! いくら新聞部のエースだからって近衛君は探偵お昼スクープじゃないんだよーって感じで……いやそれはともかく。自分しか気づいていない異常、みたいで厨二病ぶってるって思われて―!」

「ちょっと待って」

 話し出したら止まらないタイプの彼女をなんとかせき止める。

「なに、焦げ臭い……?」

「はい、そうですけど?」

「……僕も、今日そうなんだ」

 海未香はきょとんと首を傾げ、そして数秒真顔で止まった状態から——

「ええー! 仲間―! いえーい、うぇーい!」

 唐突にハイタッチを要求してきたのだった。

 なんのアクセサリも着崩しもしてない、見た目麗しい清楚な女子生徒とは思えないハチャメチャな明るさ。彼女のクラスはどれだけ明るいのだろうか……。


「先輩! 今日も焦げ臭いですね!」

「そうだね」


「先輩、今日、というか匂いどんどん強くなってる気がしますね!」

「怖いね」


「先輩! バーベキューだと思えば意外と乗り切れるって判明しました! 残したピーマンあげていいですか?」

「好き嫌いはよくないよ。いざ自炊しようってときに野菜の好き嫌い多かったら本当に大変だよ……?」


 その後も匂いは一切消えることなく、むしろ濃くなっていくようだった。海未香は毎日、共感を求めて教室の前にやってくるのだけど、試験間近の三年生教室にハイテンションで来られるとちょっと、怖いものがあるなと……周囲の目を見ながら戦々恐々としていたのだった。

 とある日の放課後——校舎の玄関で上履きを脱いでいたところでまた今日も、

「せんぱいせんぱいせんぱいー!」

と慌ただしい後輩の声が襲い掛かってきたのだった。

「先輩、これからちょっと冒険しませんか?」

「小学生みたいなことを言うね」

「ちゃいます。探偵です」

「尚更だよ」

「真面目な話ですって。あの匂い、学校どころの話じゃなくなってる気がするんです」

 海未香はモハン的なイインチョウ顔で議題を提起した。しかし彼女の言ったことは冗談でも誇張でもない。いくら普段から脊髄反射のおひさまテンションで過ごしていると言えど……。

「町中、臭くなってますよ。学校ほどじゃないですけど、こう、じわじわと来てますね?」

「……まあ、僕もそんな気がしてたけど」

 最近はすっかり匂いに慣れてしまって体調を崩すこともなくなった。でもそれは慣れすぎて、身体が環境に適応してしまったってことだ。そもそもこの匂いを異常事態だと強く意識していなければ、匂いの範囲がじわじわと広まっているというこの現状を何でもないようなこととして静観していただろう。どう考えてもこれは異常。もっと言えば、僕と海未香以外誰も気づいていない——僕と海未香の二人しか、町全体を侵食し始めているこの焦げ臭さを体感できていないという事実が、異常だ。

「わくわくしますね! 自分しか気づいてない謎とか!」

「今全く逆の気持ちだったよ僕は」

「まーまー、そうと決まれば出発ですよ! 目指せランポ・エドガワです!」

 知らないうちに靴を履き替えていた海未香はもう既に玄関を飛び出していってしまった。自分で誘った人を置いていくあたり、落ち着いた行動を心掛けましょうと言える立場ではないのは明らかだった。

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