魔道士物語群2

小曽根 委論 (おぞね いろん)

⑦王歴217年・マーティン

第19章 聖俗

第150頁 ベレヌス高地にて

 ベレヌス高地は、神が世界創造を成し終えた時、最初に降り立った地だと言われている。広々とした台地のような土地柄にも関わらず、神の威光が隅々まで行き渡り、すがしくも張り詰めた空気に満ちた場所だ。


 住まうのは、かつてポロニア南部を支配していた神聖ローレル王国の王族や貴族、司祭などの末裔で、全員が例外なく神を中心とした厳格な信仰生活を送っている。


 ベレヌス高地には魔道士がいない。否、魔道が全く使えない環境であると言った方が正しい。神に近すぎるこの地では、神への造反である魔道は完全に無力化する。圧倒的な光の前では、闇は存在を許されないのだ。


 神聖ローレル王国はポロニアによって滅ぼされたが、現在でもベレヌス高地に限り自治領として残っている。ポロニア王家は俗人であるが故に、神の地であるこの場所を管理出来ないのだという噂は、今もなおポロニア全土にくすぶっている。これの真偽は定かではないが、間違いなく言えるのは、ポロニア王家とローレル自治領の関係性は、いきさつが示すままに悪いものだという事であった。


 高地と下界を繋ぐ三つの道のひとつ『エピテュメデス道』にほど近い、修練所が集まる一角。木材で出来た瞑想用の小屋のひとつから、長旅用の外套を羽織った青年がおもむろに姿を現した。


 ドアを開けた彼はしかしながら、ノブに手をかけたまま小屋の中を改めて覗き込む。酔いつぶれた老人どもが揃いも揃って高いびきをかいていた。酒瓶やコップが散乱しているその様は、とても聖域の光景とは思えなかった。


 一体、何を浮かれているのか。憤りは老人たちに留まらず、聖地を管理している修道士たちにも向けられた。隠して持ってきたと言うにはあまりに多すぎるその瓶の数は、彼らが酒の持ち込みを黙認していることを表していた。


 誰に問いただせばよいものか。彼はそう思いながら酔っ払いどもを視界から排除してドアを閉める。


 秋の朝風が頬をかすめた。ひんやりとした感触に、青年が外套のフードを被ろうとした次の瞬間、


「おはようございます」


 不意に死角から声をかけられた。青年が向き直ると、質素な修道服を着た若い男が立っていた。彼はフードに伸ばしかけた手を元に戻し、修道士へ黙礼を返すと尋ねた。


「こんなところに酒を持ち込んで、良かったのか?」


 背が高く、筋肉も発達した青年の姿は、朝焼けによく映えた。波打つ金色の長髪が光を受けて輝き、背負った大剣も威厳を周囲に放っている。そして、これらへの自負がまた、彼の物腰をいっそう偉丈夫然とさせていた。


 しかし、正対する男は、そんな彼に臆せず返す。


「まあ、本来は良くありませんが、昨夜は特別ということで」


「あまり例外を作るのは良くないぞ。ただでさえ、我々はここにいてはいけない存在だというのに」


「それは言わないでください。こんなところに通しておいてこんな言い方をするのは恐縮ですが、あくまでもあなた方は客人ですから」


「それに対しては何度でも礼を言うが......創造神の機嫌を損ねるようなことがあっては、それこそ一大事であろう?」


「神は貴方が思われるよりも寛大なお方ですよ。それに貴方は、神学派であられたオーガスト様のご子息です。貴方が王に即位されるのは、今でも我々全員の願いですからね。間違って野垂れ死にでもさせようものなら、それこそ神より叱責を受けてしまいます」


 そう言って微笑む修道士から、青年は目を逸らせた。わずかに首を俯かせると髪が下に流れ、行き場の失った目線を隠す。

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