対象者

 洞窟の中はあの頃と変わらずただひたすら闇が続いていた。あの日から変わった事と言えば、伸びた背の分だけ穴の中が窮屈に感じられる事ぐらいだろうか。僕らは無言のまま奥へと進み続けた。


 ――どうすればいいんだろうか。


 進みながらも頭の中は全くまとまらなかったし答えも見つからなかった。

 思い返してもこの十年の間に起きた出来事は全く理解出来るものではなかった。起きた事実だけを見れば、ただ地元にある洞窟の中に入り、その先で訳の分からないものを見つけただけ。ただそれだけの事なのに二人の人間が消えた。そしてこれからおそらく、何もしなければ更に二人の人間が消える。


 何故こんな事が起きたのか。こんな事が始まってしまったのか。

 五年サイクルの即身仏。始まりは僕らからじゃない。長谷川さんの話を聞く限り前任者達が存在している。それがどれくらい前から続いているのか、何人存在していたのか。少なくとも、長谷川さんの話に出てきた三竹という若者はおそらく即身仏になっているだろう。


【苦世救世】


 誰の意志なのか。それがこの世の救済の為の儀式だというなら、これはやはり誰かが始めた事なのだ。そしてそれが受け継がれ続けている。


 ――受け継ぐ。


 ふと疑問に思った。世を救うという高尚な理由で受け継ぐべき行為なのに、関わった者達が記憶を抹消されるのはどういう訳なのだろう。即身仏の事実自体は必要なく、儀式自体が存在しているのならそれで良いという事なのか。

 だがだとしても、その方法を受け継がなければこの儀式は継続できないのではないか? ただ単純に発動条件を満たせばそれだけで良いとしても、こんな辺鄙な場所のわざわざ山奥にある洞窟になんて、たまたまにしても人が訪れるなんて事はまずない。


 ――やはりそうなのか……。


 あり得ない可能性に思い当たった時、あの音が聞こえた。




 ぜザ、ザザ、く、、ザザザザくザ




「ひっ……!」


 横を歩く和彦が短く悲鳴を漏らした。

 いる。だがもう止まる事も引き返す事も出来ない。僕らは進むしかなかった。


“白神山の洞窟は危ないから入るなよ”


 僕は父親からの忠告を二度も破った。



 くぜくぜくざくザぜくぜくザくぜくぜザザくぜくぜくぜ



 忠告。本当にそうだったのか。だったら何故この場所を教えた?

 本当に行かせたくないのなら、そもそも教えなければいい。教えられなければ、僕はわざわざこの場所を訪れる事などしなかった。


 ――生贄。


 即身仏達は自らの意志でそうなったのか。いや、そうは思えない。

 この場所に導かれ次の対象者となった者は、その定めに縛り付けられる。

 この可能性には何度か行き着いた。だがその度に否定した。そうであって欲しくはなかった。僕は父親に導かれただなんて。父親に生贄に捧げられたなんて。


 ――父さん、教えてくれよ。


 何故そんな事を。分かるわけもない。もう父はこの世にいない。ただ疑問としてずっと残っていたのは、どうして父はこの場所を知っていたのかという事だ。



くぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜく



「やめろ! やめてくれぇ!」


 和彦が横で蹲った。彼はもう限界かもしれない。僕は和彦を置いて歩き続けた。

 あの時もこんな感じだった。皆が恐怖で動けない中、自分だけが進み続けた。恐怖心が自分の中から薄らいでいく。



くぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜ



 穴に入った時の恐怖心はもうない。心が落ち着く。この念仏のようなノイズが耳から体内へと注がれる程に、身体が浄化されているような感覚になる。


 父がここに僕を導いたのか。


 そうと決まったわけではない。生贄に捧げるのだとしたらあまりにも不確実なやり方だ。そうなればいい程度の運任せな方法。僕の考えすぎという事も否めない。

 ただそれとは別に、不自然な点が他にもある。

 長谷川さんだ。

 彼は当時現場確認の為この音を聞きミイラも見たと言った。そしてその後三竹は行方不明となった。 

 何故彼は全てを記憶に残し今も尚生きているのか。僕達の条件に当てはめれば、当事者以外は記憶から即身仏となった者の記憶は抹消される。

 当時の現場を担当した者は普通に考えれば長谷川さん以外にもいたはずだ。それなりに警察も動いたはずだろう。

 僕らの調査不足、また当時の緘口令というものもあったかもしれない。しかしいずれにしても、当時の現場に触れながら対象者ともならず全ての記憶を残している事に違和感を憶える。


 本当にちゃんと捜査をしたのか?

 実は長谷川さん一人で全てを処理したのではないか?


 長谷川さんはそもそもあの場所の事を事前に知っていた。中にあるものも分かっていた。 三竹という男も、ひょっとすれば長谷川さんが選んだ生贄の一人なのではないか?


“思うようにすればいい。儂もここを見に来ただけだ”


 こんな場所をわざわざ見に来る理由は何だ。

 条件を満たしながら自分自身は即身仏の対象から外れている。

 彼は一体何だ? 彼の役割は何だ?



くぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜ


くぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜくぜ



「ああ! ああああああああああああああああああ!」


 後ろで和彦の絶叫が聞こえる。もうダメだ。彼は逃げられないだろう。次の対象者は彼だ。僕はようやくライトが照らした修一の姿を見つけ思った。


 骨と皮だけになった物体。一見して判別できるような状態ではない。でも僕には分かる。彼は修一だ。そして宗太郎もやはり同じ運命を辿ったのだろう。残っているのはミイラとなった旧友と動くはずのないラジカセ。宗太郎のミイラはどこにもいない。ここには一体しか存在出来ない。どこに行ったのかも分からない。


 ひょっとすればこれも記憶の改竄の一つなのだろうか。僕らだけが記憶を保持していると勝手に思っているが、果たしてそうなのだろうか。僕らの中からも色々な記憶が消されているんじゃないだろうか。昨日まで当たり前のように話していた人間の事を、僕はもう既に記憶から除去されていたりするんじゃないだろうか。


 トリガー。ルール。そんなもの僕らが導いた仮説に過ぎない。

 全てを説明なんて出来ない。点のように存在する事実だけがそこにあり、僕らは答えに辿り着けない。


「手遅れだ」


 ラジオとは違う肉声が一度だけ耳の奥で響いた。

 修一だろうか。あの日聞いた声とは違った。

 どこから手遅れだったのだろう。回避できる瞬間はあったのだろうか。

 いや、きっとそんなものはなかった。


 もう僕らは、完全に手遅れだ。

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