奥にあるもの

「智也、場所ちゃんと分かってんだろうな?」


 燦燦と照らす太陽の下、既に大粒の玉の汗を坊主頭と額に大量に浮かべる和彦は強い日光を煩わしそうに顔をしかめる。


「大丈夫だよ、ちゃんと事前に確認したから」

「さすが、一番の真面目君だね」

「それ馬鹿にしてるだろ?」


 黒縁眼鏡、黒髪のよっぽど僕より真面目な見た目の宗太郎の言葉は明らかに僕をイジった言い方だった。気弱そうな見た目に反して時折無神経な物言いで少々イラつく時もあるが、悪い奴でもなかったしオカルトには一番精通しているという点で彼の地位は僕らの中で確立されていた。


「でも僕も知らなかったよ。そんな場所があるだなんて」


 その宗太郎でさえ知らない場所を何故父は知っていたのだろうか。父も誰かから聞いた、もしくは同じように自分の親や大人から忠告されたのかもしれないが、そのあたりの詳細は定かではない。


「とっとと調べよう。どうせ何もない」


 修一は相変わらずだった。滅多に感情を表に出すことがない鉄仮面のような男で、オカルト好きでありながらオカルト否定派故、そういった類のものは全く信じていない。


 “自分の目で見たら信じる”


 でも本当は誰よりもオカルトを信じたい人間なんだと分かったのは、彼が放った静かだが熱い言葉を聞いた時だった。だからこそ今彼はこうして僕らと一緒にいるのかもしれない。


「そうだな。行こう」


 僕らは自転車を走らせ白神山へと向かった。







「ここか」

「本当にあるんだね」

「暗いな」


 一様に落ち着いたリアクションではあったが、全員に微かに緊張感が走っているのは分かった。真昼間だというのに、鬱蒼と茂った木々の中に突然現れた穴の先は、あの頃見た時と全く同じ闇に包まれていた。


 ――今日は逃げない。


 僕は手にした懐中電灯をぐっと強く握りしめた。

 もうガキじゃない。それに一人でもない。今日こそは中に入ってその先を確認してやる。


「行こう」


 僕の言葉に皆が頷いた。

 あの日入れなかった洞窟の先へと、僕らは足を踏み入れた。







「マジで暗いな」


 和彦の言う通り中に入ってからも尚そこにあるのはひたすら闇だった。照らす先は見えず、周りは土壁に囲まれただけのただの穴。気圧されているのか、はたまた穴の奥に潜む何かのせいなのか、うだるような暑さだった外界とは違い、穴の中は空調機でも回っているかのように寒かった。


「何でこんなとこに穴なんて出来たんだろうね」


 宗太郎の疑問は僕が初めて穴を見た時に同じように感じたものだった。どう見ても自然に出来たような穴ではない。誰かが掘り進めた穴なのだろう。


「妥当に考えるなら防空壕か」


 修一の考えには一部賛同だ。動物がつくったものではなく人間が作った穴なのであれば一番自然な答えのように思えた。


「でもな」


 僕は思わず口に出してしまった。だとすれば、おかしい。


「深すぎるよな」


 和彦の言う通りだった。防空壕にしてはこんなにも奥に掘り進める必要があるのかというほど穴が深い。幅もそこまで広くはない。そうなると防空壕という答えには疑問が生じる。いまだに洞窟の奥を照らしても何も最奥は確認できない。


 ――どこまで続いてるんだこの穴。


 それから僕らはただひたすら穴を進み続けた。無骨な土壁が続くばかりでいまだその果ては見えない。歩いていてもう一つ気付いた事は、穴の中は緩やかではあるが下り坂になっている事だ。どんどん地下へと下っていくようなそんな感覚だった。


 ザザ。


「ん?」


 ふいに何か奇妙な音が聞こえた。


「どうした智也?」


 先頭を歩いていた僕が止まった事で皆が歩みを一度止めた。


「なんか、聞こえないか?」


 ザ、ザザ。


 聞こえる。やはり聞こえる。


「雑音?」


 修一の言うように雑音、ノイズのような音だった。誰かが発しているというより、何かから出力されているような音。


「本当に奥に何かが……?」


 宗太郎は少し怯えたような目をしていた。


「自然音だろ。こんな奥に何かがいるわけねえだろ」


 和彦の言葉は威勢は良かったが、声の震えを隠しきれていなかった。だが無理もない。実際に自分も恐怖を感じ始めている。

 ただの雑音。気のせい。そう思えば済む話かもしれない。ただ不気味で不安を煽るのが、今聞こえている音は微かだが聞き間違いではなく、到底自然の中で鳴るような音には聞こえないという点だ。


 ――この音は何だ?


 歩みを止めた足を再びゆっくりと前に運び出す。先程までのさくさくとした足取りはなくなり、全員の一歩一歩が明らかに鈍くなった。その理由が音のせいであるのは明確だったが、更に言えば進めば進むほどにノイズのような音が大きくなっている事だ。


「大丈夫かな? 行っていいのかなこのまま」


 宗太郎が弱気な言葉を躊躇いもなく吐き出す。普段なら皆で一斉に茶化す所だが誰も何も言わない。彼の不安は皆の不安でもあった。

 このまま奥にまで行っていいのか。


 ザ、ザザ、ザザザザ、ザザ、ぜ、ザザザ


 ノイズはどんどん強くなる。その音はまるでチューニングの合っていないラジオのようだった。

 まさか奥で鳴っている音がラジオからのものだなんてあり得ない。だが今聞いている音は父の車で流れているラジオが、トンネルや電波の弱い所を通る時のノイズと全く同じ音なのだ。


 ラジオだとして、そんなものがどうやって流れている?

 そしてもう一つ嫌な考えだが、誰がそんなものを流している?

 誰がそんなものをこんな所で聞いている?


 あり得ない発想だ。洞窟に入る前なら一笑に付すような考えだ。

 なのに笑えない。ただひたすら恐怖と不安が増していく。そして狂った事に、それでいてこの先にあるものへの期待もどこか膨らんでいる。

 異様な状況が思考にも混乱を招いている。行くべきではない。そう思っているのに、この先に行きたいと反する気持ちが強まっていく。僕らは恐怖に包まれながらもそのまま歩き続けた。

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