1−5

「なにって……だって……」

「うん、何? さすがに傷つくんだけど」

「……っ……奈々って……そうなの?」

「そうなのって何が」

「違うよね?」

「だから、何の話? わかんないよ。ちゃんと言って」

 とぼけたまま質問を重ねるあたしに、菜月はついに唇を噛む仕草を見せた。

 それは一体、どんな気持ちからくる行動なんだろう。ネットの書き込みを信じてる自分をバカだと思っているのか、それとも奈々あたしじゃないって信じたいのか。

まぁそもそも同性愛者そっちじゃないと信じたいって思う時点で、あたしは失望してるんだけど。あたしが男を好きだろうが女が好きだろうが、菜月には関係ないことだ。だって、菜月にそういった想いものをぶつけたことはただの一度もない。これまで交わしてきた菜月とのスキンシップのどれひとつにも下心はなかったと断言できる。もちろん、菜月以外のクラスメイトたちにだって。

 すでに菜月への気持ちが氷点下に落ちきったと自覚したところで、ようやく菜月がまた口を開いた。

「……女の人が、好きなの……?」

 そこかよ。

 鼻で笑いそうになってしまったのを抑えたあたしを褒めてあげたい。

 菜月の表情は真剣そのものだ。何度でも言うけど、あたしの恋愛対象が男でも女でも菜月あんたには関係ないのに、どうしてそんな不安げな顔をするんだろう。まるで隣の家に指名手配の連続殺人犯が潜んでいたのかもしれないみたいな、そんな顔。

 あたしはキョトンとした顔を作り、小さく首を傾げる。心底わけがわからないという感情をできるだけ出すように意識した。呆れや失望と同じくらい、この感情もホンモノではある。

「そうだとしても、菜月には関係なくない?」

 言い終わらないうちに、菜月が飛び跳ねるようにあたしから離れた。どうやら彼女にとってのあたしは連続殺人犯とかサイコパスみたいな、そんな存在になったらしい。

「友達だと思ってたのに……!」

 綺麗に巻かれた前髪で右目が隠れるくらい俯いて、そして両手をぎゅっと握りしめて、菜月はそう言った。昔読んだ少女漫画でヒステリックに叫んでいたかわいそキャラと重なり、ちょっと笑ってしまいそうになる。

「え? いや、うん、違ったの?」

 素知らぬ顔であたしは立ち上がり、一歩菜月に近づいた。まるであたしが磁石のSで菜月がMみたいな、反発し合う見えない壁があるみたいにあたしが近づくたびに菜月が後ずさっていく。

 ていうかあたしも友達だと思ってたんだけど、菜月あんた、マジで何言ってんの?

「全然違うじゃん! 一番の親友って思ってたのに、裏切られた」

「……は?」

 うっかり本音をこぼしてしまい、しまったと思ったけど、それは菜月に届かなかったみたいだ。なぜなら、あたしが発してしまった声と、菜月が半分泣きそうになりながら、あたしに向かって何かを投げつけてきたのがほぼ同時だったからだ。ぽこんとあたしの顔にぶつかった何かは中庭のコンクリートに落ちて、それを拾おうとしゃがみこんだところで、パタパタと菜月が走り去っていく音が聞こえた。

 例の3年カップルがひそひそと何やら言葉を交わす気配がする。さっきからなんかごめんと心の中で謝りながら、拾ったばかりのマヌケなタヌキを見つめた。

 春の修学旅行が、何年も昔の出来事に思えた。


***


 ──コンコン。コンコン。

「えっあっごめん待って」

 何度目かに鳴らされたノック音にようやく気づき、あたしはすぐさまペンタブを隠した。SNSを通じて知り合った専門学生という年上の女の人から、お古のペンタブを破格の値段で譲り受けたものだ。作業通話した時にもっと払いますって言ったけど、「じゃあ有名になったら返してもらおうかな」と笑っていた彼女のような大人になりたい。

「まだなの?」

 ドアの向こうから聞こえる母の声は、どこか切羽詰まっている。待ってと言ってるんだから、こっちが許可をするまでは急かさないで大人しく待ってほしい。それでも、ノックも声かけもしないで勝手に入ってきていた去年に比べたらだいぶマシになった方かもしれない。

「もういいよ」

 机の上を学校支給のノーパソとついでのノートに変えてから答えると、待ってましたとばかりにドアが開いて母が姿を現した。まっすぐあたしに向かって歩いてきて、机のすぐそばで立ち止まる。自然とあたしは母を見上げる形になったけど、あたしよりも背の低い母にはこれっぽっちの威圧感もない。

「なに?」

「何じゃないわよもう、奈々ちゃんてば。お母さんびっくりしちゃった」

「だからぁ、なんのこと?」

 日中菜月と交わした押し問答を思い出してうんざりしたところで、

「お友達とトラブルがあったんだって?」

 突然ぶっこまれて、変な声が出そうになった。もちろん表に出すことはない。その代わり、ほんのちょっとだけ申し訳なさそうな表情を作った。主演女優賞並みの演技だと我ながら惚れ惚れする。

「……誰から聞いたの?」

「先生から連絡いただいたのよ。おうちでのご様子はいかがですかって。お母さんが気づかなかったくらいだから、家では特にってお答えはしたけど……」

 誰だチクッたの。

 まぁ昼休みに中庭であんな感じになってたから、話の内容まではわからなくてもトラブッたくらいは先生まで伝わってもしょうがないか。色んな意味で断言はしてないんだし、菜月が勝手に怒って泣いてどっか行っちゃったレベルになってくれるとありがたいんだけど。

「ねえ。大丈夫なの?」

 眉を八の字にした母に、顔を覗き込まれる。

 娘のあたしから見ても可愛らしいと言えるこの人は、姉やあたしを平等に愛してくれている。と、本人は思っている。明らかに姉との方が仲がいいから、一緒にいて楽なのは姉なんだろうなとあたしは見てるけど、それに対して寂しいとか差別とか思ったことはない。

 不満があるとすれば、高校を決めるのが年齢順の早い者勝ちだったことくらいかな。でも子どもにお金がかかるのは現実だし、仕方ないことだとも思っている。あたしはあたしで好きに生きようと決めてるから、その時に反対されなければいい。

「奈々ちゃん、ねえ」

「だーいじょうぶだって」

 安心させるように母の肩を軽く叩いて、笑ってみせた。嘘はついてない。あたしは大丈夫だし、この先クラスで孤立するようなこともなさそうだ。それは、昼休みが終わった教室で充分に理解した。どちらかといえば、菜月が浮き始めている。

 あたしは菜月を庇う気もさらさらないし、挨拶とか、最低限のことはし続けるつもりだ。普通に接している相手をシカトする方がよっぽど印象が悪い。少なくとも、先生たちの目にはそう映る。菜月がそれに気づくのがいつかはわからないけど、まあ自業自得だし。

「……本当ね?」

「本当に本当。逆に学生時代喧嘩くらいしとかないと、大人になってから喧嘩の仕方もわかんないとか笑えないでしょ。すごい浮きそう」

 今の菜月みたいにね。

「……まあ、奈々ちゃんがそう言うなら……」

「ほら、もうすぐお父さん帰ってくるんじゃないの? ケーキ焼いたんでしょ」

 あたしの言葉に、母の顔がパッと華やぐ。母この人のこういうところが、素直で可愛くて愛すべき人だと思う。うちの両親は仲が良いから、喧嘩ばかりとか冷め切ってるって話を同級生たちから聞くたびに、それはそれで大変そうだと思うし。

 母は両手を頬にあてて何やらモジモジしながら、「喜んでくれるかしら」とか言い出した。こうなったら、頭の中は父のことでいっぱいになるから楽だ。

「心配してくれてありがと。宿題が残ってるからもういい?」

「ええ、わかったわ」

 ドアへと引き返した母は、それを閉めきる直前にもう一度あたしに訊ねる。

「奈々ちゃん。それでも辛いことがあったら、お母さんでもお姉ちゃんでも言ってね。あ、もちろんお父さんでもよ」

「うん。ありがと」

 音を立てずに閉められたドアの向こう。しばらく経つと、ぱたぱたと静かに階段を降りていく音がした。

 本当にありがとうお母さん。けど、あたしは大丈夫。

 趣味用のノーパソを開き、ギュイッターの裏垢に入ってから呟いた。

「あたしはちゃんと、汚い感情ゴミの扱い方を知ってるからさ」


♡ウサギ♡

K市高の2年M波ってパパ活してるらし|


「あー違うな。消し消し」


♡ウサギ♡

K市高の2年M波がパパ活してるのまじ?|


「こっちだな。はい、世界に発信〜」

 断定的な噂話より、無責任かつ自分も信じていないような確認事項であればあるほど、信ぴょう性が増していく。

 あたしに男好きなんてヘイトを言った責任は、同レベルの侮辱で返してあげるからね、菜月。


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