さよなら、あたしの■■

逢坂美穂

1 人生が変わる音

匿名

『ヤナって男好きだよね。どんな男にもベタベタさわってキモい。見てて必死すぎw』

匿名

『ヤナ? どのヤナ? 1E? 2D?』

匿名

『2D』

匿名

『あーわかった、メイクしてる子か』

匿名

『今日なんかテストなのに新作リップ塗ってた 何アピ? うざw』

匿名

『そーなの?』

匿名

『本人が自慢してたよw 気合い入れて買ったらしいw』


 中間テスト最終日。

 運動部じゃない友達数人とカラオケして、親には夜ごはんいらないって連絡を入れてからサイゼでわちゃわちゃ食べてきた、その夜。

 こんなだけど真面目に勉強するために禁止してたネットを解禁して、好きな美容アカウントを巡回。登録してる美容系YouTuberを見ていなかった一週間分チェックしてから、何となく学校の裏サイトに入ってスクロールしていた指が止まった。

「あたしじゃん。ウケる」

 雪柳ゆきやなぎ奈々なな、16歳。冬に17になる高校2年生。進学コースのD組所属。

 あたしのことを知ってる人たちは、同級生でも先輩でも後輩でも「ヤナ」って呼ぶ。後輩はまあそのあとに「先輩」がつくけど。

 そして今日、まさしく新作リップを塗ってテストを受けに行っていた。

 ゴミの掃き溜めみたいなこんなサイトに何を書かれたところで気にする方がバカだとは思っているけど、いざ目にすると笑ってしまったのと同じくらい──いや、びっくりするくらい胸が痛んだ。

 普段からあたしは「面と向かって言ってこない人間が吐き出す悪口なんか聞く意味もない」と思っているし、リアルでもそう言っている。ここに悪口書かれたのも実は初めてじゃない。入学したばかりの時、ちょっとだけ書かれてたのを見たことがある。でもそれ以上何かあったわけじゃないから、自然と忘れていた。でも初めてじゃないのは確かだ。

 だから今さら、こんなところに何を書かれたって傷つくことはないと思っていたのに。

「新作リップね〜……」

『今日なんかテストなのに新作リップ塗ってた 何アピ? うざw』という文章を指で撫でながら呟く。

 あたしはイラストを描くのと同じくらいメイクが大好きで、大した進学校でもないこの高校では、たとえば一見誰だかわからないレベルに派手にしすぎなければある程度のメイクは「身だしなみでーす」で通じる。時々うるさい先生に捕まることはあるけど、成績がいいあたしが堂々としていればそれ以上何か言われることはなかった。

 あたしが勉強するのは、そうやって高校生活を過ごしやすくするためにすぎない。「学生の本文は勉強です」とか言ってくる頭のカタイ先生たちを黙らせるには、勉強しとけばいいだけだ。 

 ちなみに、「してますけど?」とか喧嘩腰に言ってもダメ。「努力してます」と謙虚な態度だけは貫いて、その上で「メイクすると、自分に自信が持てる気がして……」とかなんとか弱々しく言いながら俯けばいい。

 女の先生なら一瞬だけ言葉を詰まらせるけど、「そうね」ってひと呼吸おいて、「じゃあ、このくらいに抑えることはできる?」って妥協案を出してくれる。「他の先生の印象が悪くなったらあなたが損なのよ」とか言って、アイラインは薄くするとかやめるとか、リップはこの番号以上だと引っかかりやすいよとか。けっこう細かく教えてくれて、悪くない。

 男の先生は、簡単に折れてくれるか絶対に折れないかで両極端だ。まあ、それでも謙虚攻撃よわよわ姿勢を貫き通してればいずれ折れてくれることに変わりはない。って、今はそんなことどうでもいい。

 スマホ画面はそのままにして、あたしはそれをベッドの端に放り投げた。壁との境目に当たる、ゴンという音がする。壊れたかもしれない。でもどうでもいい。

『本人が自慢してたよw 気合いいれて買ったらしいw』

 あの文字列が頭から離れない。

 たしかに、今日つけてたやつは新作だった。テストのためネット絶ちする前に、気合いを入れるために買いに行ったデパコス。

 いつものBAさんが「新作なんですけど、これなら多分先生とかに注意されないと思いますよ」ってイタズラっぽくおすすめしてくれたやつで、本当に誰にもバレなかった。でもイエベ秋のあたしによく似合う落ち着いたオレンジ系統で、一回試しに塗っただけで一番のお気に入りになったリップ。

 あれが新作だって教えたのは、ひとりだけ。

 わりと仲の良い寄りのクラスメイトで、つい数時間前まで一緒にいた、巳波みなみ菜月なつきだけ。

「……まじかー……めっちゃショック……」

 そう言いながら、あたしは何がショックなのかよくわからなかった。なんならこんなにもショックを受けてる自分にショックだ。

 そもそも何にこんなにショックを受けているのか、考えてみた。

 まず、気合い入れて買ったというのは、テストに対してだ。毎日好きなインフルエンサーのアカウントや動画をチェックするのが楽しみのあたしにとって、約一週間ネット断ちするのはかなりのことだから、菜月にもそう言った。それをまるで男受け狙ってるみたいに書かれたのが嫌だし(それまでの流れ的にそう受け止められても不思議じゃない)、自慢だってしてない。菜月はテスト前にチョコのドカ食いをする。あれが菜月にとって気合いを入れることなんだから、あたしがリップ買うのと同じのはずだ。

 前の席に座る菜月を呼ぶと、「なに」と笑いながら振り返る姿を思い出す。

 顎のラインで揃えた前下がりのボブがよく似合っている菜月は、入学当時は肩下ロングだった。1年は違うクラスだったから、写真を見せてもらったことがある。まあまあ似合わなくはなかったけど、菜月には絶対今のボブの方が似合ってる。2年になって同じクラスになった時にはボブだった。でもまだ前髪があって、GWが過ぎた頃に伸びてきたそれが邪魔になって、切るか伸ばすか悩んでいた菜月に「絶対伸ばしてゆるく巻いた方があってる」って言ったのはあたしだ。

 あたしのアドバイス通りの髪型になった今の菜月は、可愛さが増した。夏休みには遠出をしようってことで、一緒に電車で東京の新大久保まで行った。スイーツ巡りした時なんか大喜びで、「これが最後のスイーツ!」とか言ってダイエットなんか始めちゃったりして(結局お菓子大好きだからできてないけど、そこが可愛い)、どんどん韓国風女子になっていった。

 菜月はあんなゴミ溜めサイトにあたしの悪口なんか書き込まない。今までだって喧嘩したことないわけじゃないから、なんかあれば直接言ってくれるはずだ。それに、男にだって普通にモテるし、可愛いし、キラキラしてるのに。

「あー、なる」

 ここまで考えて、あたしは理解した。

 あたしは、菜月がネットに人の悪口を書き込むような根暗な人間だと思いたくなかったんだ。菜月はそんな人間であってほしくなかった。あたしのじゃなくて、どんな人のだって、不満があるなら相手にぶつかるような人間であってほしかった。

 だってあたしは、菜月のことが好きだったから。

 腕を伸ばしてスマホを取る。画面の端から一本細いヒビが入っているのがわかったけど、特に問題なさそうだ。タップすると明るくなった画面に、もう一度目を走らせる。

『ヤナって男好きだよね。どんな男にもベタベタさわってキモい。見てて必死すぎw』

「よりによってあんたが言うんだ」

 笑いかけた頬がぴくりと痙攣して、変な笑い方になった。

 あたしは男になんか興味ない。むしろ興味がないから嫌われたってどうでもいいし、だからどう振る舞おうか迷ったことすらない。どうでもいいから普通に話すし手で思いっきりツッコむし、時には普通に肩を組んだこともある。そういえば、春にあった応援合戦では適当な男子に学ランも借りた。名前も覚えてないけど。

 それが全部『男好き』で? 『見てて必死』? へえ。

「……なんかめっちゃイライラする……」

 お腹の奥にどす黒い何かを覚えた時には、自然と指が動いていた。

 もちろんヤナあたしを庇うような、バカなコメントはしない。むしろもっとヤナあたしについて煽るものを書き込むのが一番だ。本人あたしが書き込んでいるなんて、一寸たりとも思わせてやるもんか。

 雪柳奈々は、ネットの悪口なんか気にしない。

 そう思いながら、あたしはタップを終える。


匿名

『マジ? あの人っていつも一緒につるんでる女子とデキてるんじゃないんだ? だってエロい目して見てるじゃん』


「ははっ。くっそウケる」

 あまりの露骨な文章に胸糞悪さを覚えながらも、満足したあたしは反応も見ないでまたスマホを壁に投げつけた。誰がなんて返そうが興味はない。ネットで何がどう交わされるのかはどうでもいい。

 だって、明日も学校はある。

 さて。あんたはどう出る? ねえ、菜月。




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