ロリ校生に惚れられる!

まさきち

第1話 主人公の設定

「やぁ! 見てくれて居る方! こんにちは!」


「これから僕の紹介をやって行くぞ!」


「僕の名前は、宇根(うね) 吉仁(よしひと)って言うんだぞ!」


「生年月日としては、1995年・3月28日・生まれの29歳だぞ!」


「出身は神奈川県の横浜市で、生まれの育ちも横浜に

ずっと居るぞ!」


「小学校入学前の住んでいた場所は、父方の祖父母の家の近く

アパートを借りて住んで居た(保土ヶ谷区内)が、小学校に上がる際に

両親と一緒に引っ越しをして行き

横浜市の端っこの方に引っ越しをして

小学校の卒業まで、端っこの方で生活をして居たが

中学校に上がる少し前に

小学校に上がるまで住んで居た近くにある

父方の祖父母の家を取り壊しをして行き

そこに新たに家を建てて行きそこで、父方の祖母と同居を

しながら暮らす事になったので

新居を建設して居たので、そこに引っ越しをして行き

中学校に入学する前には新居で暮らして行く事になったのである。」



「高校への進学を考える時になったが

僕の成績は学年で1・2位を争うくらいの低さであった事で

最初から公立には行けるとは思って居なかったので

始めから行ける学校が限られるので

その中でも、割とすぐに答えは出て行き

普通であれば定時制高校に行く道を選ぶと思うが

僕はどうしても昼間の高校に行きたかったので

それで考えると、私立しか選択肢が残されて居なかったので

私立と行っても通常であれば

頭の良い高校に限られるが、もしそういった学校に入っても

ついて行けるはずが全く無いので

その選択肢は無くて、そういった事情を考えると

自然と僕が行く高校は高等専門学校と言う選択肢になった。



「僕が選択した高校は、横須賀市にある高等専門学校にして行き

そこであれば最寄り駅である、横浜駅より

乗り換えをせずに行く事が出来る勇逸の高校であった事が

決めてであったので僕はその高等専門学校を

勇逸の受験校に決めて行き

僕の成績では筆記の試験ではまず受かるとは思えなかったので

筆記をする必要が無い、推薦の一本を狙うしか無いので

それを担任に相談したら

成績が関係無く推薦で行ける方法があると

教えてくれたのでその方法でやって行く事に下。



「その方法とは、中学校に入学してからの3年間の間の出席を率を

計算して行き95%以上であれば良いと言うものであった。

ので僕は計算をして行くと、なんと僕のパーセンテージは

96%であった事であり条件に該当して居た事で

学校で勇逸の該当者であった事で

推薦が即、決定することが出来た!」



「それからは、試験の面接に備えて色々とやって行き

年が明ける12月の中旬には高専への合格を決定させる事が出来た。」



「これにより気分を良くした僕は、まだ公立の受験を

控えて居るクラスメイト達や

同級生たちを揶揄ったりして居たけど

皆、無事に受験を終える事が出来た。」




「それから卒業をして行き、高専に通い出し

楽しく過ごす事が出来た

高専でも常に成績はドベであったが

実技に関しては、そこそこ良い成績であったので

高専で毎年行われる行事である

校内で行われる、生徒が実技で習った事を

実際に作品にしたりする行事があるが

そこで僕は、教師側からの指名で

お手伝いをして行く事になった。

(手伝いを頼まれると言う事は、実技の成績が良いと言う証拠である)」



「1年の時は、会場の設営と片付けをやったが

2年の時には会場でお手伝いをやって行き

3年の時には、1年の時と同じように設営と片付けを

やって行った。 3年の時は優秀な生徒が多く居た事で

僕は会場の設営と片付けに回らされたが

友人たちの中からは、勇逸のお手伝いに呼ばれた

生徒であった。」



「それから、3年の年には修学旅行で海外に行き

行った場所はローマとパリである。」


「僕としては、食が合わず腹痛になってしまった

修学旅行であったが、そこそこ楽しめたと思う。」



「卒業するまでに、就職先を見つける事は出来なかったが

卒業してから数日後には就職に成功したので

それを安堵しつつも、元担任と生徒指導であった教師にも

報告をして行ったら僕の就職に結構心配をして居たようであったが

それでも就職することが出来てとても

喜んでくれた。」



「それからは就職先には、4月1日から入って行き

仕事をして行っては居たが

元々は製造として入って居たにも関わらず

就職して最初に指示された仕事が

販売の仕事であった。

僕は人前に立つ仕事がしたく無かったので

製造のみを選んでここに就職したにも関わらず

無理やりの指示で、やらされて行き

1ヶ月間は、販売のみをやらされて行き

次の月からは本社に行き、研修をして行き

そこで学んですぐに、仕事場に戻り

戻ってから直ぐに製造をやらせてもらう事が出来たが

その店舗での製造のいっさいをやらされる事になり

それからは、製造もやりつつ

販売もして行き、休憩はほぼ無しで仕事をして行き

1週間の間に1日のみの休みにも、予約があれば

呼び出しをされて行き

休みでも関係無く仕事に行き

製造をやって行き、心身ともに疲れ果てつつも

仕事をやって行っては居たが

僕の製造したものが、店長よりも良い物であった事で

それをお客さんに褒められたのを見られて居たようで

嫌がらせとばかりに、僕の製造した物に

店長から指摘を結構な頻度で受けつつも

どのように直せば良いかを聞いても

答えてはくれず、イライラをしつつも仕事をして行き

仕事の時間もお店が空く、1時間前の出勤で

8時に出勤して行き、準備を僕ののみでして行き

平日の昼間は基本的に僕のみで営業をして行き

休み無く働き、たまの休みにも出勤をして行っても

残業代は出ず働き

就業時刻は、時間通り終えれば10時までには終わるが

バイトさんやパートさんがくれば

夕方には、定時で帰宅することが出来るが

そんな事は月に1〜2回くらいである。」



「そんな生活をして居て、ある日

店長と喧嘩をしてしまいそのまま

お店を辞めてしまったが

僕としては、良く今まで我慢することが出来たと思う。」



「お店を辞めてからは即、ハローワークに行き

次の仕事を見つけて就職をして行ったが

そこは良い職場すぎて馴染めず

辞めてしまい、そのあとはいろんな仕事をやって見たが

続かずにそのうちニートになってしまった。」



それから、ニートのまま成人をして行き

小さい時から一緒に生活をして居た

ペットの犬が、亡くなってしまった事で

もっと気落ちしてしまい、それからは母親に連れられて

精神科の医院に連れて行かれて

検査をして行くと、僕には軽度の発達障害があると判明した

のである。



それからは、月1で通っては薬をもらって行き

精神科の医院の紹介で、就職支援のB型に行く事になった

その時の自身の年齢はすでに27歳であった。



「それからは、就職支援B型に平日は通い

そのB型からは毎月のお手当として

1日に1000円で、月にして1万2000円くらいをもらって居て

それにプラスをして、障害年金をもらう事が出来たので

それをプラスして毎月の金額としては7〜8万円くらいになる。」



それで実家にて暮らして居るので、そんなには困る事は無いのである。






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