5-4 【hurt full pain】
今は初夏、
「意外と広いな……」
僕は喫茶バフォメットの三階、アヤメさんとルリさんが居候している屋根裏部屋にいた。今はアヤメさんも、ルリさんもいない。
「……」
そして喫茶店のマスターと、呪いで寝込んでいる旦那さんには二階で眠ってもらっている。
「やってることは、泥棒だな……」
もちろん、アヤメさんとルリさんに許可は取った……はずだ。今夜は満月で雲もない。窓から差し込む月明かりで、室内の様子がよく見えた。
「……」
自分たちがいないときに他人が来るとわかっているのだから、もう少し片付けておけば良いのに。二人の私物が、部屋のあちこちに散らばったままになっている。ベッドは二つあるが、今は一つしか使われていないようで、片方は物置になっていた。
「あった……」
服や雑誌が散乱しているほうのベッドの上。置いてあるのか寝かせてあるのかはわからないが、アヤメさんの聖剣と、ルリさんの魔剣と杖があった。
「今夜、黒金の獅子団の構成員との密会で、武器を持ってくるなと言われてたみたいだけど……それは彼女たちを無力化するためだけじゃなくて……」
僕は、聖剣が置かれているベッドの前に立ち塞がるように、後ろを振り返った。
「二人がいない隙に、おじさんが盗むためだったんだね」
そこには昨日まで、
「仮面のガキ、お前が下の奴らを眠らせたのか?」
そしてその疑いは、今確信に変わった。
「下の奴ら……マスターと旦那さんのことですか?」
「邪魔ならバラしても良いとフォーボスに言われてたんだがな。手間が省けた」
「……」
「聖剣が二本に……その杖も、勇者の武器か? 金になりそうなのは全部で四つ。さっさと山分けしてずらかるぞ」
「……四つ?」
「ああ……下の女も、勇者程若くはないがそれなりの金で売れる。生娘の死体なら黒魔術の生贄にも使えるだろ。聖剣二本と杖と女、合わせて四つだ。お前は杖と女にするか? 魔法使いなんだろ、お前」
「……」
「さっさと、聖剣を渡せ」
「……わかりました」
(……サイコーヒストリア・レディ)
僕は魔導書を呼び出す魔法を、心の中で唱えながら会話を続ける。やっと習得した無声詠唱を、初めて使うのがこんな男とは。
「何の真似だ?」
魔導書から、赤黒い霧が立ち上る。それが部屋の暗がりと混ざり合うと、室内の景色がみるみる色褪せていく。
「あなたは僕にとって、人間社会との唯一の繋がりでした。勇者様方と……出会うまでは」
(セット・
「それがどうした」
「あなたが消えれば、僕は正真正銘の天涯孤独。しがらみのない完璧な配下になれる」
(
男の背後で、巨大な本の形をした魔力が開き退路を断つ。
「だからありがとう」
(サイカ・ワ系ステージセレクト)
「え」
「あなたを失う、理由をくれて」
(
本が、男を丸呑みにする。
「……」
外の世界で十秒待てば、本結界の中での千年は終わる。そして十秒経ったころ、心臓が動いているだけになった男が、本の形をした魔力から吐き出された。千年という時間は、人を何度も狂わせ抜け殻にするのに、充分な長さだ。
「……次」
僕は男を背負い、アヤメさんとルリさんに伝えておいた黒金の獅子団を誘き寄せる場所、人気のない路地裏に向かう。
「……」
喫茶バフォメット近くの路地裏をしばらく進んだ辺りで男を下ろしてから、杖の魔力を解放する。
「ヒューマンケイン・レディ・セット・ダークマター・ブラックホール・ナイトメア・スタンバイ」
魔力を込めながら呪文を唱える。路地裏の暗がりから噴き出た紫色の煙が、左右に広がっていく。
「サイカ・ワ系トリップ、アクション」
路地裏が歪み、左右の路地裏がそれぞれ別々の路地裏と繋がる。そして、僕から見た左の路地裏から、アヤメさんと黒金の獅子団の構成員が現れた。急に違う路地裏に辿り着いたことにアヤメさんは戸惑っていたようだったが、フォーボスは動じなかった。
「え、ラノ君……? それにその人……」
「なんだ、聖剣の強奪には失敗したようだな。勇者のくせに、小賢しい参謀を雇ったか」
「……聖剣の、強奪?」
アヤメさんには、やつらが聖剣を狙っていることは伝えていなかった。もちろん、アヤメさんと同じようなことをしようとしていたルリさんと、この後合流させることも。
「アヤ……?!」
僕から見た右の路地裏からルリさんと、黒金の獅子団の別の構成員が現れる。
「ルリ……なんでそいつらと……?」
「アヤこそ、なんで……」
二人は全く同じことをしようとしていたのに、それをお互いに告げてはいなかったらしい。言えば止められると、わかっていたからだ。
「フォーボス、どういうこと? ルリには手を出さないって約束でしょ?!」
「サブリード、私がアヤの代わりになる約束で……」
アヤメさんがフォーボスを、ルリさんが黒金の獅子団の副リーダーらしき人物をそれぞれ問い詰めている。
「約束はした。守るとは言っていない」
ルリさんに詰め寄られたほうの男が彼女を突き飛ばし、フォーボスの隣に移った。
「ルリ!」
アヤメさんがルリさんに駆け寄る。
「ルリ、なんで……?」
「……アヤ、ごめん。でも、もうこれ以上、アヤにばっかり嫌な思いをさせたくなくて」
「ルリ……」
アヤメさんがルリさんを抱き締める。
「私こそ、ごめん。……でも、私なら大丈夫だから」
「アヤ……」
抱き合う二人を、痺れを切らした黒金の獅子団の構成員たちが取り囲んでいく。本結界の魔法で一網打尽にしようとしたその時、構成員たちが一斉に苦しみ始めた。
「ぐっ……!?」
「これは…………呪い?!」
構成員たちが次々と倒れていき、一瞬で干からびていく。さっき聖剣を盗もうとしていた商人も、骨すら砂状になり消えてしまった。そして彼らの魔力が、フォーボスの胸元に集まっていく。
「どうやら、俺の呪いが暴走したようだな」
「白々しい……。自分の部下にまで呪いをかけてたなんて。そうまでして力を得て、聖剣を奪いたいの?」
僕はなるべく、挑発的な口調でフォーボスに問う。
「聖剣さえ手に入れれば、この程度のやつらならいくらでも集められる。金も、名誉も、権力もな」
「あっそう。でも、僕がこの場に持ってきてるわけないよね?」
「だから隠し場所を聞き出すのさ。……こうやってな!」
フォーボスがアヤメさんたちに向けて呪いを放った。ルリさんがアヤメさんを突き飛ばし、フォーボスの呪いがルリさんにだけ直撃する。
「ルリ!」
「お前の魔力ももらってやろう。さあ、こいつの命が惜しければ聖剣を……」
そしてフォーボスは目論見通り、ルリさんの魔力に手を出した。
「……がっ?!」
ルリさんがゆっくりと立ち上がり、崩れ落ちたフォーボスのほうへと一歩ずつ近づいていく。
「…………私の魔力、あんたなんかに耐えられるのかしら?」
「この魔力……まさか、魔族……?! バカな、勇者が魔族と手を組むなど……」
「そう、私は魔族だけど、勇者のアヤの隣に立つ。肩書きばっかり気にしてるあんたには、一生理解できないでしょうね」
肩書きばかり、か……。僕の心にもチクリと刺さる。アヤメさんはきっと、僕に勇者様と呼ばれることを、あまり良く思ってはいない。
「サイカ・ワ!」
ルリさんが僕の名を呼ぶ。
「あとは頼んだわよ……」
ルリさんは気を失い、その場に倒れる。フォーボスは咄嗟に魔力を吸い取るのを止めていたが、すでにいくらか吸い取っていたルリさんの魔王軍四天王の魔力が、彼の中で暴走を始めていた。
「グッ……オォォォォォォォォ!」
その身体は膨れ上がり、両手には巨大な爪が生え、顔は猛獣のような姿へと変貌していた。
「勇者様、ルリさんを安全なところへ!」
「う、うん……」
コイツへの魔法攻撃は、魔力に変換されて取り込まれる可能性がある。……であれば。
「
僕はかつてお気に入りだった、赤い剣を呼び出した。
「剣……?」
僕は、アヤメさんのほうに振り返ることなく告げる。
「……僕、これでも勇者だったんですよ。召喚されたんじゃなくて、役職としての勇者」
形だけの勇者。そして、第二次魔王城が出現したあの日、かつての仲間を逃したつもりが全滅させた……最低の勇者。
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