第31話

 すっかり暗くなってきた月夜道。空には三日月が浮かび、その周りを無数の星々が瞬き始める。


 途中で今日の飯の事を何も考えておらず、研究所に荷物を置いてから近くのコンビニに立ち寄ればいいかという無駄な自己解決のフェーズが入っていたが、それ以外は特に何の異変もない。


「こういう時こそ、何かしらの妖魔とバッタリ出会っちまうのがお約束って感じがするんだがなぁ」


 そろそろ人狩りの妖魔とやらが活動する時間なのだろうが、閑静な住宅街にそのような気配は全く感じられない。


 というか、人狩りの妖魔というのがどんな姿をしているのか知らないので、警戒したくても何を警戒すればいいのかわからない。


 そこらの木々や標識、置物などに化けているのか、堂々と徘徊しているのか、空を飛んでいるのか……


 そういった情報を全く知らないので、少しくらいは班長から聞いておけばよかったと若干後悔をしている。


「ま、来たら来たで殴るなり逃げるなりすればいいだけの話か」


 今までそれなりに妖魔と戦ってきたし、人狩りの妖魔とやらも何かしら戦える方法はある筈だ。


 いざとなればあの必殺技――――穿牙せんがを使ってやればいい。





 そんな事を考えていたからだろうか。反射的に足が振り抜かれ、影の中から飛び出してきた黒い狼の頭を蹴ってその首を圧し折った。





「……フラグが建っちまったかな?」


 いつの間にか、広い通りのド真ん中で無数の狼の群れに囲まれる俺。出現した場所は、恐らく無数にある影の下からだろう。


 狼の色は頭の天辺から尾の先、瞳までもが完全に黒一色。だが、その中でも一番大きい個体だけは黒というより少し紺色に近く、瞳が金箔を散らしたかのように輝いていた。


 コレが件の人狩りの妖魔だろうか。いや、どちらにしても敵意に満ち溢れているから、ここで仕留めないと面倒な事になるだろう。


 邪魔になるリュックを近くの植え込みに投げ込んで軽く腕を回すと、指の骨を鳴らして拳を握る。


 囲む狼共は徐々に輪を狭めているが、本格的に攻めるまでにはいかない。先程、不意打ちを仕掛けて首をへし折られた狼がいたのをしっかりと見ていたのだろう。


 とはいえ、向こうもこのまま攻めずに囲み続けるような事はしない。


 一匹でダメなら複数匹で掛かり、例え誰かが殺られたとしても牙を突き立ててみせる。


 そのような強い覚悟を持った狼共が、一斉に俺の身体に食らいつこうと牙を剥く。



「――――頭丸出しで遅ぇんだよ、ワンコロ」



 だが、早打ちは俺もそれなりに得意。四方八方から飛び掛かる狼共の頭を素早いジャブと裏拳、回し蹴りで破壊し、時には殴った後でその狼の体を掴んで武器として使いもした。


 その狼を殴った感触はスクイーズに近く、息絶えた狼はよく見てみると影に溶けるようにボロボロと崩れて散っている。


「なるほどなぁ。どいつもこいつも、全部お前の生み出した配下ってわけか」


 喉の奥から唸り声を発する群れのボスは、その金を散らしたような目に怒りと殺気を満たしてコチラを睨みつけている。


 更に、姿勢を低くしてコチラを狩る隙を探しているようだ。ワンボックスカーサイズの狼に噛まれたら、ヘタすれば骨諸共噛み砕かれて殺られるかもしれないな。


 とはいえ、向こうがコチラに迫るというのならそれはそれで好機。その鼻っ面に一発ブチ込んでもいいし、足を蹴ってへし折るのも悪くない。


 取り巻きの狼共を殴り倒していると、漸く前に足を踏み出すボス。それに伴い、他の狼も撹乱を狙う動きに変わり始める。





………さぁ、お前はどっから来るんだ?





 虚空を切るボスの前足。鋭く輝く爪が通り抜けると、まるで空間が裂けたかのようにパックリと割れ、再び閉じるまでの数秒の間にそこから新たな狼が飛び出してくる。


 数は全部で七匹。俺を狩るには些か数が少ないが、ほぼ同時に飛び掛かられているので少々面倒であることは否めない。


 とは言え対処は余裕で可能。素早く足を引き、すぐに回し蹴りを放って狼共の頭をまとめて蹴り飛ばす。



「――――うおっ!?」



 ただ、驚いたのはその後だ。七匹の狼共を回し蹴りでまとめて蹴っ飛ばしたら、蹴られた狼共の頭が砕けて爆散し、眼前を黒い霧が覆い尽くす。


 どうやら、あの狼共は目眩ましの役割があったらしい。風も相まって、あっという間に周囲は黒い霧で満たされて、ボスも取り巻きもその黒の中に溶け込み見えなくなった。


 そして、その黒い霧の中で駆け回る狼共。恐らくワザと足音を立てて、自分達の位置を特定させないという思惑もあるのだろう。



 グルァァァァァァァァァァァァァッ!!!



「邪魔じゃドラァッ!!!」



 霧の中から飛び出してくる狼を殴り倒す。ベキリと頭蓋骨と首の骨が砕け折れる音が鳴り響き、そしてその狼も空中で霧散して霧の一部になる。


 益々濃くなっていく黒い霧。それに伴い、狼共が増えたのか足音の量も少し増し始めた。


「……あぁ、メンドクセェなぁ、オイ」


 完全に霧の中に姿を隠した狼共にイライラが募り始める。チマチマと雑兵ばかりぶつけてきて、マジでつまらねぇしくだらねぇ。


 思い起こさせるのは昔凸った事務所のヤクザの頭。無駄に頭数だけ揃えるのが得意な男で、使えるんだったらチンピラも半グレも突っ込ませるクソ野郎だった。


 最後の最後まで己では戦おうとせず、ふんぞり返ってお山の大将気取ってるデブ。チャカ抜いてもビビって撃てなかった腰抜けの姿が、今の狼共のボスに重なり合う。


 何が人狩りの妖魔だ? テメェ自身で戦わねぇ犬共の大将にゃ過ぎた二つ名だ。




「――――もういい。面倒だ」




 大きく両腕を横に伸ばし、手のひらを正面で合わせるように叩く。所謂、相撲の猫騙しに近い技だ。


 ただ、その威力は想像以上。手と手が合わさって生み出された衝撃が瞬く間に空気中を走り抜け、周りの黒い霧を邪魔だと言わんばかりに弾き飛ばす。


 飛び掛かっていた狼さえ、その霧と共に弾き飛ばされて痙攣し、動かなくなって塵になったのだから相手方の驚愕は計り知れない。


 現に今も、驚愕に目を見開いて口を半開きにしたボスが、取り巻きの狼共々ピクリとも動かずにその場で硬直していた。



「――――隙だらけだぜぇ!!! 犬ッコロの頭目さんよぉ!!!」



 そんな隙を逃すわけが無い。他の狼が動くより先に前へ駆け出し、そのまま飛び膝蹴りを半開きの下顎に叩き込む。


 ガゴッ! という音と共に口が閉じられ、更に鼻っ面には振りかぶっていた右拳を無理矢理ぶち当て、アスファルトの道路の上に狼の頭が叩きつけられる。


 そして、倒れ伏した狼の上に飛び乗ると、そのまま両腕を組んだアームハンマーを背骨の辺りに向かって振り下ろす。


 ゴッ! という硬い音と共に、狼の口から苦悶の絶叫が吐き出され、そしてそのまま巨体が影の中へ沈み込む。



「――――っとぉ!?」



 次いで起きたのは、取り巻きの狼の自爆。黒い霧がその場で巻き上げられると、ユラユラと軽く揺らめくようにそこで滞留する。


 そして、そこから伸ばされる狼の前足。鋭い爪が備え付けられたそれはギリギリで避けた俺の脇腹に軽い傷を付け、素早く引いて霧の中に潜り込む。


「霧を使って潜り込むってわけか。何だよ、しっかり戦えるんじゃねぇか」


 漸く重い腰を上げて戦う気になったボスを見て、思わず口角が上がるのを感じる。


 取り巻きの狼共は勝手に自爆して霧の柱をアチラコチラに乱立させて消えている。コチラに雑兵は通用しないと、漸く悟ってくれたようだ。


 そして、霧の中を駆け抜けているのかアチラコチラで霧から霧へ飛び移るボスの姿が見える。今回の妖魔の姿は狼系だから、その素早さを活かした戦い方になるのは想像の範疇内だ。


 四方八方から飛び交うボスの爪を躱しつつ、俺は左腕にありったけの力を込め、そのまま迫る爪の一つに向かって思いっきり振り抜く。


 衝突の瞬間、バキリと折れる前足の爪。そのまま指の骨も折ってやったが、前足は指が折れた辺りで素早く引かれたのでギリギリ折れてはいない。


 ただ、それでも前足には侮れないダメージが入ったのは確かだ。何より、ヘタに爪で切り裂こうとすればまた同じように圧し折られる可能性というものを、ボスの目の前に突きつける事も出来ている。





――――そうなりゃ、後は殺るか逃げるかのどちらかになるよなぁ?





 あからさまに左腕を軽く引きながら、早く出てこいと内心でそう願う。次で、確実にその命を取ってやるつもりだからな。


 その願いに応えるかのように、一か八かの特攻を仕掛けたボスの牙が左から迫り、構えていた左腕に深々とその牙を突き立てる。



「――――待ってたぜぇ!!! テメェが食らいつくその時をよぉ!!!」



 構えていた左腕は釣り餌だ。大方、左腕で殴られるのを警戒して先に潰そうとしたんだろうが、本命は右腕だ。


 肩の辺りまで突き立てられた左腕に力を込めて、牙を筋肉で固定する。これで、コイツの牙はそうやすやすと抜けはしない。


 己の失策を悟ったボスの目が見開かれ、逃げようと前足で体を引っ掻いてくる。まぁ、そんなもんで怯むほど、今の俺はビビっちゃいねぇ。




「んじゃ、とっとと眠って逝けや!!!」




 振りかぶった右腕は、真っ直ぐボスの額に突き進んで、脳天をぶち抜く威力の一撃を容赦無く叩き込んだ。

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