第30話

 結局、その日は彩夢の一声で研究所の医務室で一夜を過ごす事になり、色々と申し訳無い気持ちを抱きながら寝心地のいいベッドの上で寝転がっていた。


 いや、職場の上司に心配を掛けるからと言いはしたんだ。したんだが、そしたら「なら、上司の方には私からキッチリ言っておきます!」と、あっという間に逃げ道を塞がれてしまった。


 実際、彼女の行動力は結構凄かったらしく、班長も快く許可を出したらしい。


「……マジで凄いな、研究所の技術」


 改めて見てみるが、僅か十数分で完全に塞がった体の傷は、多少の跡こそ残しているものの完全に治りきっていた。


 念の為と言われたものの、この分なら普通に支社に帰っても良かったような気がする。


「おはよーございまーす……あ、寝てました?」


「おはようございます、伏原さん。起きてましたから大丈夫ですよ」


「あぁ、良かったです。それと、治癒術はお腹が空きやすくなるので……適当にどうぞ」


 医務室に入ってきた伏原さんの手には大皿一杯に積み込まれたおにぎりがあり、その中の一つを適当に選び取った伏原さんもモグモグと頬張り始める


「んじゃ、遠慮なく」


 俺も、その治癒術の影響なのか妙に腹が減っていたので、近くのデスクの上に置かれた大皿から適当に丸いおにぎりを掴み取り、そのまま一口で半分近くを頬張る。


 お、具はタラコのようだ。伏原さんのは鮭みたいだし、具材はランダムで詰め込まれているらしい。


「……三口でいけるんですか」


「ん? あぁ……コレくらいの大きさなら二口でも問題無いですよ」


 二個目は昆布、三個目は鮭……と勢いよく食べていたら、二個目を手に取って食べる伏原さんが少し驚いた様子でこちらを見ていた。


 まぁ、今日に関しては治癒術の影響で食欲が増しているだろうし、ここまでがっついて食べることはない。そんな事をしたらあっという間に財布もスッカラカンになってしまうしな。


「伏原さん、仕事は大丈夫なんですか?」


「あー……ちょっと今、新素材がドンドン増えてきてて裏方にとっての戦争が始まってるんですよ。で、空気感悪くて逃げてきました」


 何でも、上位の妖魔の封縛が度々成されていて、それに伴った新素材の研究と新装備の開発で軽い戦争状態に陥っているそうだ。


 具体的に言うと、研究用の実験素材にしたいチームと、試作兵器や装備の材料にしたいチーム。そして、机上の空論だったロマン兵器を作りたいという第三勢力の出現で、素材の争奪戦が熱を増しているらしい。


 そんなに争うくらいなら封縛した妖魔をダウンさせて調達すれば……とも思ったが、ランクの高い妖魔を倒すのはかなりキツく、ヘタすれば事務職の方々が忙殺の末路を辿り兼ねないんだとか。


「後はまぁ、単純にサボりです。気を抜いてると仕事押し付けてくる輩がいるので」


「大分ぶっちゃけましたね」


 まぁ、仕事漬けになって一辺倒に偏るのも良くないだろうし、適度な息抜きは大事だろう。


「……さて、ご馳走様でした。慶治さんは一度戻られるんですか?」


「そうですね。上司にも心配を掛けてしまいましたし、いつまでもここにいてはお邪魔でしょうから」


 伏原さんは上を単なるハリボテと言っているが、休憩室や医務室等の施設や設備も整っている結構立派な建物なのだ。


 そんな場所を単なる委託先の業者の、更にアルバイトに近いような男にいつまでも使わせるわけにはいかないだろう。


「別に使いたいなら使っていいんですよ? 直系では無いとはいえ、委託先の業者って事はウチの庇護下にある会社であるとも言えますから」


「……正直、寝心地いいんでめちゃくちゃ揺らぎます」


「そりゃまぁ、患者用のベッドですしね。元々、ホテル暮らしする人用に作られた一面もありますし」


 どうやら、知らぬは本人ばかりなり、というのが相応しい状態だったらしい。


 まぁ、ここを使わせてくれるなら正直助かる部分も大きい。支社の仮眠室や休憩室は他の人もかなり使うからな……


「ウチの職員は基本的に研究所内でちゃんとした生活空間を用意してますし、後片付けとかしっかりしてくれるんなら別に自由に使っていいと思いますよ」


「そうですか。なら、後で班長に言ってここから出勤するかな?」


「……ハッ!? つまり、私が堂々とサボる名目もコレで出来る? こう、一人で使わせていると何をするかわからないとかそんな感じの理由で……」


 あくまでも一考の余地程度なのだが、伏原さんはもう既に俺がここを使う事が既定路線だと思って、何やら怪しい話をブツブツと呟き始めている。


 まぁ、取り敢えず今は僅かばかりの私物を移す事から始めた方がいいだろう。


 時計の針は間もなく夕方の五時を指し示す。早めに行って、早めに終わらせてこよう。

















「……そんなにジロジロ見てどうしたんスか?」


「いや、無茶したとは聞いてたんだがな……」


 支社のロッカールームから着替え等が入ったリュックを掴み取って背負うと、様子を見に来た班長とばったり遭遇した。


 その視線は俺の左腕に固定されており、前腕の穴が空いていたところにピッタリと視線が集まっている。


「大鴉とやり合ってケガしたって聞いたが、随分とスゲェ傷だったんだな……」


「殴りかかったらカウンターと言わんばかりに足の爪で頭狙いに来たんで、逆に腕にぶっ刺して逃げられない様にしたんスよ。で、ボディに一発ブチ込んでぶっ潰しました」


「予想以上の捨て身戦法だな……」


 簡単にどんな状況だったかを班長に話すと、クワバラクワバラと唱えて軽く震えたように戯けてみせる。


 取り敢えず、今日は時間が時間だから荷台にリュックを載せて、仕事が終わったら研究所の休憩室を使わせてもらうことにしよう。


「っと、そうだった! さっき伏原って研究所の人から連絡が来てな! 何でも人狩りのヤベェ妖魔がこっちの方に来てるらしいから、今日は全員帰宅して大人しくしてくれって言ってたぞ!」


「え? マジですか……」


 人狩りの妖魔とは、それはまた物騒な妖魔が近辺に訪れたものだ。


 もしかしたら、大鴉の群れの一部がちょっかいでも掛けて引き寄せてしまったのかもしれない。それで、怒った人狩りの妖魔というのがここいらの街中に移ってきたとか。


 弱い妖魔は格上の妖魔に喧嘩を売るような真似は基本的にしないが、統率が乱れたあの群れならやってもおかしくはないだろう。


「まぁ、研究所の宿直室……って言うんですかね? 兎に角、上の建物は使っていいってことなのでそっちで大人しくしておきますよ」


「お、そうか! そういや、確かに先方から上の施設は使っていいって言われてたな!」


…………それ、もう少し早く言ってくれたらここの仮眠室暮らしじゃなかった可能性があったような気がする。


 いや、どちらにしても間借りしてるから居候暮らしは変わらないな。契約期間は三ヶ月で、一ヶ月更新だから最短でもその期間は居候させてもらいますか。


「んじゃ、その人狩りの妖魔が出てくる前にとっとと引きこもりに行ってきますよ」


「……今日くらいは残ったっていいと思うぞ?」


「研究所ならすぐに討滅部隊の人達に守ってもらえますからね。何の守りも無いここよりはきっと安全でしょうよ」


 支社と研究所だったら、研究所の方が防衛設備も整っていて危険は少ない筈だ。


 それに、ここだとヘタに抵抗して暴れたら支社がぶっ壊れて使い物にならなくなる。研究所ならすぐに補填や補修が終わるが、こっちは一企業でしかない分時間が掛かってしまう。


 万が一でも、班長達を路頭に迷わせるような選択肢を取ることは出来ない。それを口に出すつもりは一切ないけどな。


「今週の出勤日は不安定だ。コレ渡しとくから、着信履歴があったら休みだと思ってくれ」


「うわ、ポケベルとか名前しか聞いたことないですよ。初めて見たなぁ……」


 班長から渡された黒いポケベルを適当にリュックのポケットに突っ込むと、そのまま軽く手を上げてロッカールームを後にする。


 支社の駐車場には私用車に乗って帰る社員が大勢いて、中には親しい同僚の車に乗せてもらっている人もいるようだ。


 ま、俺は研究所まで軽く駆け足で行けば問題無いからな。べ、別に寂しいとか思っちゃいねぇし!






「……てか、根無し草の俺にそんな機会あるわけねぇからなぁ」






 一人で帰るのはもう慣れている。落ちかけた夕空には、そろそろ星月夜が広がり始めようとしていた。

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