そして琴線に触れた

翡翠

ブレンドの香り

 高校生の僕たちは少しだけ大人びていた。


 放課後、同級生がカラオケやゲームセンターに行く中、僕と彼女はいつも同じ喫茶店に足を運んでいたから。


 店の名前は“カフェプレイス”


 街の外れた一角に佇む、レトロな雰囲気の店だった。アンティークの家具とレコードプレーヤーが置かれ、訪れる客もどこか穏やかで、時間の流れがゆっくりと感じられる。


 僕と沙耶さんは同じクラスメイトだが特別、親しいわけではなかった。


 彼女は読書が好きで、放課後も一人で図書室にいた。僕も同じように、一人の時間を有意義に読書にあてるタイプだった。


 そんな僕たちが話すようになったのは、ある放課後のことだ。




 その日、図書室で 僕は本を読んでいた。


 彼女がゆっくりと近づいてきて、



『直人くんはいつも何を読んでるの?』



 と声を掛けてきた。いきなりで少し驚いたが、僕は本を閉じて彼女に表紙を見せた。



「ミステリー小説だよ。考察とか主人公の背景とか考えるのが好きなんだ」



『私もミステリー好き。でもね普段はカフェとかで読むこともあるの。学校の図書室は少し落ち着かない時があって』



「カフェで読書か〜なんか素敵だ。」



『直人くん知ってる?カフェプレイスってお店。古いんだけどね 、静かでコーヒーも美味しくて、本も沢山置いてある。私のお気に入りの場所なの。もし良かったら、今度一緒に行かない?』


 その誘いに僕は戸惑ったが、彼女の瞳にどこか惹かれるものを感じて、うん、と頷いた。


 それが、僕たちの始まりだった。




 初めてカフェプレイスを訪れた時、店内には珈琲豆の香ばしい香りと、モードジャズが流れていた。


 僕たちは窓際の席に座り、それぞれ違う本を読みながら、時折顔を見合わせ微笑んだ。


 マスターは、僕たちの姿を見て、



「君たち、学生でこの店に来るなんて珍しいよ、ここはサラリーマンとか主婦のお客様が多いからね」



 と笑いながら言った。


 僕はなんだか照れくさく、



「友達が誘ってくれたんです」と答える



 沙耶さんも笑って僕の言葉に付け加える。



『この店は本当に落ち着くから 直人君も気にいるな〜と思って』



 それ以来、僕たちは放課後の時間をこの"カフェプレイス"で過ごすようになった。


 僕はブレンドコーヒー、彼女はいつもキャラメルが入った甘いラテ。


 お互いに好きな本を読み、時折感想を語り合って、その時間が、何よりも心地よかった。




 ある日もまたカフェプレイスで本を読んでいると彼女がぽつりと呟いた。



『この店、もうすぐ無くなっちゃうんだって』



『店主さん、体調があまり良くないんだって。家族もこのお店を続けるのを反対してるみたいで。だから来月いっぱいで閉店だって聞いたの』



 僕は言葉を失った。静かな時間が流れるこの場所が、もうすぐ消えてしまうという現実が信じられなかった。



 沙耶さんは少し寂しそうに僕に微笑んだ。



『この場所があったから、私は救われたんだ。何かあっても、ここに来れば自分のペースを取り戻せて穏やかでいられた。でも、もうそれも終わりかな。』


 僕は彼女がそんな風に感じていたことを初めて知った。


 普段、大人びた沙耶さんの表情の奥に、そんな不安や孤独があったことに気づかなかった



「沙耶さんにとって、ここは特別な場所だったんだね」



『うん、でもまた新しい場所を見つければいいのかなって、大切なのはそういう場所を自分で作り出せる事なのかなって、』



 僕は彼女の言葉を聞きながら、新しい「居場所」を見つけるのを手伝おうと思った。



 それから数日後、僕は放課後の教室で彼女を呼び止めた。



「沙耶さん、少し時間ある?」



 彼女は不思議そうな顔をしながらも、頷いてくれた。僕たちはカフェプレイスに向かわず、街の小さな商店街を歩いた。



『直人君、どこに行くの?』



「ここに、いい場所があるんだ、知ってるかもしれないけど」




 そして、僕たちが辿り着いたのは、小さな古書店だった。そこは喫茶店ではないが、店の奥に設けられた小さなテーブルと椅子が置かれた空間がある。



「実は、ここ僕がよく来る場所なんだ。人も少ないし、落ち着くんだ」



 沙耶さんは驚いた顔をして、本棚を見渡した。


『ここ、初めて来たけど…凄くいい場所』



 僕は少し恥ずかしく、肩を竦める。



「ここで、一緒に本を読んだり話したりしよう。あのカフェが無くなっても、僕たちの居場所は、また作れると思うんだ。」



 沙耶はしばらく黙っていたが、やがて柔らかく微笑んだ。



 それから、僕たちは新しい場所で、また同じように本を読み、目を合わせ話をし、微笑む。そんな時間を楽しむ。



 カフェプレイスは、僕たちの青春の象徴だったかもしれない。


 でも、大切なのは場所じゃなく、何を感じ、誰と過ごすかということだ。




 大人びたふりをしながらも、少しずつ自分たちの世界を広げていく僕たち。


 その過程で、僕は彼女に少しずつ惹かれていった。けれど、それは言葉にしなくても、いいような気がする。



 ブレンドコーヒーの香りと共に過ごした日々は、僕たちの中でこれからも変わらずに続いていくのだ。



 本当に大人になった時、あの喫茶店での時間を深く思い出すだろう。



 僕たちは、その時どんな風に感じ、過ごしているだろうか。


 そう思いながら、僕は今日も、彼女と共に穏やかな時をここで過ごしている。

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