第20話 最終話

近頃のヒューは年若いエルフに「エル」と呼びかける。

「僕はここだよ、ヒュー」

そうだったと謝る時もあれば、君は誰だと問いかけてくる時もある。人間は老いると記憶がまだらになってしまうようだ。新しい記憶はあまり定着せず、突然騎士団だった頃を思い出して城に行くと言い出したりする。いつか完全にエルを忘れてしまうのだろう。寂しくてエルは涙を流す。そんなエルを、チルは背中を撫でて慰めてくれた。




その日は天気が良く、ヒューは日光浴をするために広場の椅子に座っていた。近頃は足が悪く、あまり出歩かず食もかなり細くなっている。筋骨隆々だったことが嘘のように、ヒューの体は細く便りなくなっていた。

「あったかいねぇ」

「あー…ホスの、けづくろい、しないと。あたたかい、毛づくろいが、好きだから」

「そうだね。ホスに乗って色んなところ、行ったね。楽しかったなぁ」

「あぁ。楽しい。ホスは、エルが、好きだ。エルは、寂しがりだから、心配だ。エルは、優しい子だ」

「んー?どのエルのこと?ふふ…ちゃんと僕のこと、わかってる?」

ヒューは若いエルフに『エル』と声を掛ける。ヒューにとっての『エル』はこの国に何人かいた。もう慣れたエルはヒューをからかう。

「わかってる。エルは、君だ。何よりも、大切な」

ヒューの節くれだった指がエルの髪を掬った。ヒューは真っ直ぐエルを見ている。窪んで少し濁った瞳は、目線が合うことも少なくなっていたのに。

「ヒュー?」

「俺は、幸せだ。この国に来れた。エルに会えた。隣にエルがいた。幸せだ。ずっと。やっぱり、おいていくのは、つらいな」

「おいて…老いて、いく?そう、だね。体、動かなくて、辛いね」

「幸せだった。悲しまないで、ほしい。ずっと、あいしてる。エルが、好きだ」

「うん。僕も好き。大好きだよ。どうしたの?ヒュー?」

「あぁ。少し、眠い、少しだけ、ここで」

ヒューはエルの手を握った。ヒューはずっとエルを見ていた。その瞳は穏やかで、エルを優しく見守ってくれていた。

ヒューの瞼がゆっくりと落ちる。エルはヒューを見つめた。穏やかに眠っているように見えた。しかしヒューの胸が動いていない。

「ヒュー?どうしたの?ヒュー、ねぇ、どうして…誰か、誰か来て!ヒューが、ヒューが!誰かぁあ!」

エルの叫びを聞きつけて何人かのエルフとチルがやってきた。叫ぶエルにチルが抱きついた。

「エル様、落ち着いて下さい!ヒュー様は、もう…」

チルは泣いていた。エルは涙も流せなかった。信じられなかった。たくさんのエルフがヒューを支えて涙を流していた。



暖かく麗らかなその日、ヒューは遠い空の向こうへと逝ってしまった。



ヒューの葬儀も、何もかもが夢の中にいるかのようだった。ヒューの体は土の下にいってしまった。もうエルの隣にヒューはいない。ヒューの代わりにいるのはチルだった。

「ヒュー様が、エルを頼むと言っていました。この悲しみに寄り添えるのは、きっとチルだけだから、って…ヒュー様はいつも、エル様のことを…」

ヒューはチルに、自分が亡くなったあとのことを託していたらしい。伴侶に先立たれる悲しみをチルは知っている。

エルはぼんやりと空を見る。その日も空は晴れていた。

「エル様、ヒュー様が、いなくなっちゃった」

「エル様大丈夫?」

「悲しい、エル様…」

幼いエルフがエルに寄ってきた。ヒューがよく勘違いしていた『エル』達だ。ヒューの中でエルはいつまでも幼い子供だったのだろうか。

そういえばヒューはエルの年齢を聞いてとても驚いていた。エルも、ヒューの年齢を聞いてとても驚いた。些細な記憶も、懐かしくて寂しくて苦しくなる。

「あのね、ヒュー様がね、エル様に話しかけてあげてって言ってたの。ヒュー様がいなくなったら、きっとエル様はさみしいからって」

「僕達がいたら、エル様悲しくなくなるって。エル様は優しい子だから、なんだって」

「僕達がいるからね、エル様。大丈夫だよ、僕達がいるよ」

小さなエルフ達は口々にもう寂しくない?や大丈夫?などと話しかけてくる。チルはエルの隣で笑った。

「ふふ、ヒュー様らしい…こんなことを言われたら、後追いなんてできませんね」

『エルは優しい子だから』

ヒューの声が聞こえた気がした。

チルはエルの隣で涙を流す。チル様泣かないでと幼いエルフ達は慌てている。他人の悲しみに寄り添える、優しい子達だ。

『この子達のために、生きてくれ』

「ずるいよ、ヒュー…」

エルフは子供をみんなで大切に育てる。エルフにとってはみんなが親でありみんなが子供だ。

この子達を置いていけない。ヒューもこの子達を大切に扱っていた。まるでエルを相手しているかのように。

ヒューはわかっていてこの子達にエルを託したのだろう。涙を流すチルにも、もう誰かを失う悲しみを味わわせてはいけない。

エルは声を上げて泣いた。幼いエルフ達もチルも一緒になって泣いた。

ヒューがいなくなってしまってから、エルは初めて泣くことができた。



間もなく、チルも旅立って逝った。

チルは記憶はしっかりしていたが、寝込んで動けなくなる時間が多かった。

「きっと、奴隷だった頃のせいで、体が、ボロボロなんです。今もね、時々夢に見ます。あの王様、殴ってやれば、良かったなぁ。恨みって、中々、消えないんですね」

チルは笑う。瞳はヒューのように濁ってしまっている。

「エル様、ごめんなさい。こんなにすぐ、逝くことに、なってしまって…ヒュー様、きっと、傍に、います。エル様の、傍に…」

「うん。ありがとう。チルがいてくれて、嬉しかった。寄り添ってくれて、ありがとう」

エルはチルの手を握る。とても短い時間だったが、同じ悲しみを分かち合えるチルがいてくれたことはとても心強かった。

「僕、ここに来られて、良かった。エルフはみんな、優しくて、ルフが産まれて、育った、ところ………あぁ、やっと、ルフのところに、いける…」

チルは一筋涙を流して、微笑む。そのまま息を引き取った。

チルは最期までずっとルフを想ってくれていた。過酷な環境で出会った二人はより強く結びついていたようだ。

ヒューから聞くルフとチルは、時々喧嘩はするもののとても仲の良い二人だったそうだ。リゴもリゴの娘も、ヒューとエルとどっちがよりラブラブかとよくからかってきた。エルフの国で、チルはいつもルフを想って優しく微笑んでいた。

ルフも最後は穏やかに逝った。

反発心の強いルフが頭を下げて、チルをエルフの国に託した。それだけルフにとってチルはかけがえのない存在だったのだと思う。

二人は深く想い合っていた。チルの体はルフの隣で眠ることとなった。




「エル様〜見て見て〜っ」

「僕、早いでしょ!」

「私のほうが早いよ!」

小さかったエル達が馬を駆けてあそんでいる。ホスとクリの、もう何代先かわからない子孫達だ。

彼らはエルの傍で馬を止めた。成人した彼らは体つきも変わってきている。年齢から考えると、彼らの中の誰かがこの国の王となるのだろう。

「怪我しないようにね。やっぱりこの子、ホスにそっくり」

馬の中の一匹は黒く、ホスに良く似ていた。

「ホスって、ヒュー様の馬?」

「ヒュー様、優しかったよね…正直あんまり覚えてないけど」

「私も〜。お会いしたの、私達が子供の頃だもんね」

「ちょっと。王様のパートナーを忘れないでよ」

子供の記憶なんてそんなものだろうと思いつつ、エルはがっくりと肩を落とす。ヒューがこの子達に託してくれたお陰で、エルはここまで生きてこれたのに。

ヒューの『エル』達は立派に成長してくれた。これからはエルの後進として、国王としての全てを彼らに託していく。

「遊んでるところごめんね。馬を貸してほしいんだ」

「あっ!ごめんなさい、忘れてた…」

「今日、街に行く日だったね」

「エル様、ごめんなさい!」

彼らは口々に謝って馬から降りた。

エルの背後にいたお付きのエルフ数人と馬を駆けて街を目指す。もう長く街を訪れていなかった。金になりそうな木の実やキノコを携えて街に向かう。

エル達はローブで頭と顔を隠して街に入った。街は相変わらず賑やかだ。持ってきた物は換金することができた。それを元手にエルフの国で使うものを購入して買い物を終えた。今のところ誰にもエルフだとバレてはいないようだ。騒ぎも起きなかった。

エルはリゴの娘の宿に向かった。リゴの店は大分前に閉めて今は別の店になっている。宿屋は変わらずにその場にあった。宿屋の主はリゴの娘ではない女性だった。

「リゴ?あぁ、大お婆ちゃんね。私は玄孫よ。ずいぶん昔の人を知っているのね」

リゴの玄孫は笑った。笑顔はリゴの娘によく似ていた。ドクについても聞いてみたが、そんな人は聞いたこともないという。恐らく大分前に亡くなって、彼に関する情報はもうないのだろう。

ドクはエルフ達に医術を教えてくれた。人間とエルフは体の作りが変わらないようなので、効果のある薬や治療法を惜しげもなく教えてくれた。

『お礼はヒューの筋肉でいいよ♡』

『見るだけだよ。触らないでね』

ヒューは惜しげもなく胸筋やら腹筋をドクに晒していた。あんまり見せないでと怒るエルに、ヒューは首を傾げていた。何故怒られているのかわかっていないヒューに、本当に鈍いんだからとエルは増々怒って、ドクは楽しそうに笑っていた。

素人目に見ても医師としての腕はとても良かったと思うドクだが、患者はいつも少なかった。女性は訪れるものの、男性は訪れない。あまり性嗜好を隠していなかったドクは敬遠されていたそうだ。

『俺だって、誰でもいいわけじゃないのにさ。ひどいよねぇ』

ドクがぽつりと呟いた。ドクはいつも寂しそうだった。晩年、想い会える人と出会えただろうか。

ドクを想って俯いたエルのローブから、髪が零れ出てしまった。リゴの玄孫は驚いていた。

「まぁ!髪の毛が白いのね。おとぎ話のエルフみたい」

綺麗ねと笑うリゴの玄孫に礼を言ってエルは宿を出る。お付きのエルフ達と共にエルフの国へ戻った。

もうエル達を知るものは街にはいなくなってしまった。街も人も、驚くほど様変わりしている。

今後はまた時間を置いてから行ったほうがよさそうだ。



人間の時間の流れはとても早い。あっという間にエルを置いて過ぎ去ってしまう。

騎士団の襲撃はまだみんな忘れていない。しかし年若いエルフはそれがどんなものか知らない。継承していくこともエルの仕事だ。今は亡きヒューやチルやルフがどんな人物だったかも伝えていかなければならない。忘れないでほしい。

「人間を好きになると、苦しくない?昔の王様なんか、寂しくて死んじゃったじゃん。あっという間にいなくなっちゃうし」

『エル』達の一人がエルに問う。エルは笑って答えた。

「すごくすっごく、苦しいよ。一緒にいた時間より、いなくなったあとの方が長いんだもん。会いたくて、会えなくて、苦しい。今も、ずっと。パートナーにするなら絶対エルフだと思う…でもね、幸せだった。ヒューと出会えて僕は幸せ。一緒にいられた時間はかけがえがなくて。こんな気持ちは、ヒューじゃないとわからなかった」

出会いは最悪だったのに。ヒューはいつも真摯にエルに向き合ってくれた。強く逞しい彼はいつもエルを守ってくれた。国王として過ごすエルを優しく見守ってくれた。エルを寂しがりで優しいと言うが、ヒューも大概だと思う。ヒューも寂しがり屋で臆病で、とても優しい人だった。そんなヒューの傍にいられたことは、ヒューの寂しさを埋めてあげられたことは、エルにとって何よりの幸せだった。

「ふーん…そっかぁ…優しかったもんね、ヒュー様」

「あんまり覚えてないって言ってたのに?」

「へへへ。でも、エル様のことばっかり話してたのは覚えてるよ。大丈夫か?辛くないか?って…そうだ。僕たちをエル様と間違えてたんだ。花の蜜は足りてるか?ってよく聞かれた。僕、花の蜜好きじゃないのに」

少年は声を上げて笑った。エルは鼻の奥がツンと痛くなった。

「そう…ヒューのね、そういうところが、大好きなんだ」

エルは空を見上げる。きっとヒューは向こうで待っていてくれている。ヒューはエルを愛してくれた。エルもヒューを愛している。

「早く、会いたいなぁ…」

エルの呟きは風に消えた。今日もエルフの国は穏やかに時間が過ぎる。






END


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エルフのエルと人間のヒュー(BL)【完結】 Oj @OjOjOj123

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