懲役200年を乗り越えた男の末路

佐々井 サイジ

第1話

 楠本幸人は手渡された鞄を肩にかけ、刑務所の門を抜けた。見上げると澄んだ空に薄い雲がかかっている。幼少期に祭りで綿あめを作ってもらうとき、割り箸に絡まるあの白い繊維を思い出した。あれももう二二〇年ほど前の出来事だった。振り返って刑務官の水島に深々と一礼した。

「寂しくなるな」

 水島は目を潤ませている。訊けば今年八六歳になるという。楠木がこの刑務所に入れられて一五四年経ったときに水島が赴任してきた。焦げた色でざらついた水島の手を握った。

「また戻ってきましょうか」

「馬鹿野郎。二度と戻って来るな。また二〇〇年ここにいたいのか」

「いや、もうこりごりです」

 アスファルトの道は奥まで続いていた。道路の脇には低いアパートが何件も並んでいる。刑務所の近くのアパートに住むなんぞ、なかなか勇気のあるやつらだな。アパートのベランダにはトランクスや老人が来ていそうな縦じまのよれたパジャマが干してある。刑務所から受刑者が脱獄したとしても、老い先短い老人に手を出しはしないだろうという見立てで済んでいるのだろうか。楠本は何度か振り返るとその都度、水島は手を振りつつ、追い払うような仕草をした。彼なりの愛情表現であることは四十年以上一緒の環境にいたことでよく理解していた。左折したところで完全に水島の姿が見えなくなってから、楠本は両腕を思い切り空に向かって突き上げた。

「ついに、自由、だな」

 かつては腕に濃い体毛がびっしりと生えていたが、刑期中にすべて抜けてしまった。腕の毛だけではない。髪の毛、胸毛、すね毛、陰毛に至るまでがすべて抜け落ちてしまった。もとより何の役に立つかわからない体毛など不要だった。

「それだけ長かった、ということだな」

 歪な楕円のかたちをした雲は、二百年前に殺した女の顔の輪郭に似ていた。名前は憶えていない。そもそも名前を聞いたかどうかすら記憶がはっきりしない。ただ楠本はあの女を殺した直後、逮捕され、十人を殺したことが明るみになったことは記憶に刻まれていた。

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