第52話

 甘えることに留まらなかった。悠司は、紗英を陥れようとした木村や、怪我をさせようとする雅憲から助けてくれた。彼が頼りになる男だからこそ、守ってもらえたのだ。

 紗英の肩を抱いた悠司は、顔を寄せてきた。

「それじゃあ、俺のこと、好きか?」

 その問いに、答えてもいいのだろうか。

 紗英は迷ったが、もう答えは出ているようなものだった。嫌いならこうしてマンションに来ないし、そもそも体をつないだりしない。

 ゆっくりと頷いた紗英は、小さな声で言った。

「好きです……。悠司さんが、好きなんです」

「俺もだ。好きだよ」

 甘く低い声で囁かれたその言葉が、じいんと胸に染み渡る。

 告白できて、よかった。紗英は心からそう思った。

「勝負は私の負けですね……。悠司さんの言うことをなんでも聞かないといけないんですか?」

「そうだよ。俺と結婚しよう」

 突然のプロポーズに、紗英は目を瞬かせた。

「え?」

「もう一度言おう。俺と結婚してくれ」

 紗英の脳内は混乱した。どうしてそんなことになるのだろう。

「で、でも、叔父さんの勧める令嬢はどうするんですか?」

「あの話は、はっきり断った。俺は、始めからきみと結婚するつもりでいた。だから勝負を申し込んだんだ」

「ええっ⁉ じゃあ、かりそめの恋人というのは……」

 悠司は決まり悪そうに頭をかく。

「ちょっと回りくどかったよな……。紗英はクズ男のコンプレックスでいっぱいになってたから、ストレートに口説いても断られるかと思ってね。時間をかけて距離を縮めるために、勝負とか、かりそめの恋人とか持ち出したんだ」

「そうだったんですか……。それじゃあ、私たちの関係って……」

「もちろん、結婚を前提に交際している恋人だよ。今まで回りくどいことを言って誤解させたのは、本当に悪かった。許してほしい」

 深く頭を下げられ、慌てて紗英は悠司の腕に手をかける。

「謝らないでください。悠司さんを好きになるほど、かりそめの関係にすごく悩みましたけど、でもそれも私の気持ちを考えてのことだったんですね」

 浮気されたばかりの紗英は、ひどく傷ついていた。あのときに悠司から「付き合ってほしい」とストレートに言われても、やはり断っていたと思う。もう恋なんてしたくないと、嘆いていたのだから。

 その傷心を癒やしてくれたのは、悠司の優しさにほかならない。

 彼がこれまでにくれた「好きだ」や「結婚したいな」という言葉は冗談ではなく、彼の本音が零れたものだったのだ。

 それを知った紗英の胸に温かいものが溢れる。

 彼となら、未来を築いていけるという希望が持てた。

 悠司はスラックスのポケットから、臙脂色の小箱を取り出した。

 小箱の蓋を開けて、中身が紗英に見えるように差し出す。

「これは……」

 そこには大粒のダイヤモンドの指輪が鎮座していた。

 こんなに素晴らしい輝きを、紗英は生まれて初めて目にした。

 驚いて悠司の顔を見上げると、彼は緊張に包まれている。

「プロポーズの返事を聞かせてほしい。俺は懸命に仕事をこなすきみを見ていて、すっかり好きになっていた。付き合っている間も、きみと一緒に過ごすうちに、自然体でいられることがとても安心できた。俺と、ずっと一緒に暮らさないか?」

 悠司と、ずっと一緒にいられる。

 それは紗英が望んでも得られないと、一時は諦めたことだった。

 だけど、悠司も紗英とともにいることを望んでくれるのだ。

 感激した紗英は涙を流しながら、何度も頷いた。

「私と、結婚してください……」

「ありがとう。もう離さないよ」

 台座から指輪を摘まんだ悠司は、紗英の左手の薬指にダイヤモンドのリングをはめる。

 極上の煌めきが、永遠の愛を約束してくれた。

 紗英の頬に流れる雫を、悠司は指先でそっと拭う。そして彼は、涙の痕に優しいキスをした。

 紗英の胸は多幸感でいっぱいになった。

 悲しい過去もあったけれど、悠司のおかげで今の幸せに辿り着けたのだとわかる。

 人は変わらない。けれど、過去は乗り越えられるのだと、紗英は知った。


 そのままマンションに泊まることになり、ふたりは冷蔵庫にあったものを調理して夕食にした。

 焼き豚を炙ったものと冷や奴という簡単なおかずに、白米のごはんだ。もちろんスープは悠司特製の、ほうれん草とふわふわ卵のコンソメ味である。

 醤油をかけて、生姜をつけた冷や奴を箸で割っていた悠司は、美味しそうにスープを飲む紗英に聞いた。

「たいした食材がなくてごめんな。ピザでも取ったほうがよかったか?」

「ううん。急にお邪魔したし……それに悠司さんと料理するの、楽しいの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る