第31話

「はあはあ……悠司さん、疲れませんか?」

「少しね。でも、役得だから平気だよ」

「え? 役得って、なにがですか?」

 紗英が首をかしげると、悠司は誰もいないのにこっそりと囁いた。

「きみの胸が背中に押しつけられていたから、嬉しくて何度も往復したんだ」

 かぁっと顔が熱くなる。

 裸なのをすっかり忘れていた。それくらい泳ぐのに熱中していたから。

 悠司の背中に乗るような格好だったので、紗英の胸は、ぎゅうっと押しつけられていたのだ。

「もう、悠司さんったら! エッチなんだから」

 顔を真っ赤にした紗英は掬い上げた水を、ばしゃりと悠司にかける。

 水をかぶった悠司は軽やかに笑いながら、てのひらで掬った水を紗英にかけた。

「やったな、お返しだ」

「あはは!」

 ふたりは子どものような笑い声を上げながら、夢中になって水をかけ続ける。

 まるで童心に返ったようだった。

 やがて、紗英の手が止まった隙に、悠司にしっかりと体を抱き留められる。

 逞しい腕に囚われてしまい、もう手を動かせない。

 笑いが止まらない紗英は、悠司の腕の中でいやいやと体を捩った。

「あはは……もう、降参です」

 すると、ふいに真摯な表情をした悠司にくちづけられる。

 チュ、と唇が触れ合うと、悠司は少しだけ顔を離す。間近からふたりは見つめ合った。

 悠司の双眸に、きらきらと七色の光が映り込んでいる。

 それを紗英は、天国のように美しいと思った。

 惹かれ合ったふたりは、ゆっくりと唇を重ねる。

 キスはまるで神聖な儀式のごとく、長く続けられた。


 くちづけのあと、ふたりはプールで愛を交わし合った。

 プールサイドのチェアに並んで体を休めていると、悠司は優しく紗英の髪を撫でてくる。

「すごく可愛かったよ」

「ん……」

 紗英は曖昧に頷いた。

 まだ体の火照りが収まらない。

 プールで行為に及ぶなんて初めてだ。屋外の解放感に溢れ、夢中で彼を求めてしまった。

 星空の下で悠司と愛し合うのは、最高だった。

 互いの髪や手に触れて、事後の戯れに興じていると、掠れた甘い声で悠司は聞いた。

「紗英は、俺に甘えられたかな?」

「あ……」

 はっとした紗英は、彼を頼っていたことを知らされる。

 泳ぎの不得意な紗英を、悠司は優しく導いてくれた。

 それから、今の行為も、今までもずっと、リードしてくれたのは悠司だ。

 それは、甘えたということなのだろうか。

 考え込む紗英に、悠司は微苦笑を見せた。

「ごめん。難しいことを考えないで、のんびりしようと言ったのは俺だったね」

「ううん……私のほうこそ、ごめんなさい。いろいろ考えてしまって……悠司さんとのことを真剣に考えようと思うほど、私はどうせクズ男の製造機なんだ、って――」

 言いかけた紗英の唇を、悠司はキスでふさぐ。

 目を見開いた紗英は、濃厚なくちづけを受け止めた。

 唇を離した悠司が、間近から見つめてくる。彼は、こつんと額を合わせた。

「きみはそんな女じゃないって言ったろ。マイナスなことを言って自分を責めるたびに、キスするよ」

「じゃあ、もう言いません」

「ん? それは、俺にキスされたくないみたいに聞こえるけど?」

 悪戯めいた顔をした悠司の、少し長い前髪から滴る水滴が、色香を醸し出す。

 くすっと笑った紗英は、悠司の瞳の奥にある煌めく光を覗き込んだ。

「キスは、されたいです」

 そう言うと、彼はまた、チュとくちづける。

 悠司のキスは甘くて優しくて、極上の幸福の味がした。

 チュ、チュ、とキスの合間に、彼は囁く。

「好きだよ。離さないよ」

「ん……悠司さん……」

 星の瞬きが燦爛と降ってくる。

 奇跡が煌めくような夜に、ふたりは何度もキスを交わす。

 静謐な空間には、くちづけの艶めいた音だけが響いていた。


五、御曹司とおうちデート


 伊豆の施設が完成に近づくにつれ、仕事はいっそう忙しくなった。

 紗英は悠司と仕事でしか会話を交わさず、休日出勤もあるので、デートの時間すら取れなかった。

 少し寂しいとは思ったけれど、今は仕事が多忙なので仕方ない。

 そんなときも、悠司はメッセージで『おはよう』『今日もがんばろうな』『おやすみ』など、まめに気遣ってくれるので、紗英の心はほっこりと温まっていた。それに返信するのも簡単なメッセージばかりだけれど、仕事だけでなく悠司とつながっているのだと思えて、心強かった。

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