第30話

 別荘の壮麗な玄関扉が開かれて、屋内へ導かれた。

 ホールには磨き上げられた大理石の床が広がり、煌めくシャンデリアが吊されている。螺旋階段のある吹き抜けの天井は、とても優雅な空間だ。

「素敵ですね……」

「気に入ってくれたかな? プールはこっちにあるんだ」

 奥へ向かうと、広大なリビングには暖炉が設置されている。冬でも暖かく過ごせる仕様だ。

 フルハイトの窓の向こうには、薄闇にたゆたう水面が見える。

 そのとき、パッと照明が点いた。

 悠司がリモコンを操作したのだ。

 別荘には煌々と明かりが灯る。窓の外のプールは、紫に赤、青など七色に光り輝いた。

「わあ、綺麗!」

 思わず紗英は華やいだ声を上げる。

 プールの中についている照明が、水面を七色に染め上げている。

 周囲には椰子のような大木が植えられており、その隙間にあるライトがプールサイドを照らしていた。

 華やかなのに趣のある幻想的な光景は、非日常の世界だ。

 悠司が窓を開け放つと、心地よい夜風が吹いてきた。

「ここが秘密の場所だ。仕事を頑張っているきみへのご褒美だよ。なにも考えず、プールで泳ごう」

「はい……!」

 気分が盛り上がった紗英は、悠司とともにプールサイドへ出る。

 だが、とあることに気づいてしまった。

「あっ……悠司さん。私、水着を持ってないです」

 プールで泳ぐには水着が必要だ。

 そもそも、紗英は水着を持っていなかった。大人になってから、海やプールなどに出かけたことはないから。

 ところが悠司は驚きもせず、着ていたジャケットを脱ぐ。

「俺もだよ。裸で泳ごう」

「えっ⁉ 裸で?」

 プールで裸で泳ぐという発想がまったくなかったので、紗英は目を見開く。

 だが、ここは別荘のプールだ。しかも、悠司とふたりきり。

 平然とした悠司はシャツを脱ぎ捨てた。

 薄い筋肉をまとった体を、彼は惜しみなく月明かりに晒す。

 名匠が彫り上げた彫刻のような、見事な肉体だ。

「誰も見ていないし、誰も来ないよ。だから裸で泳ぐのも、服を脱ぎ捨てるのも自由だ」

 瞬く間に全裸になった悠司は、ざばりとプールに足から飛び込んだ。

 自由な彼に、紗英は呆気にとられる。

 頭から水をかぶった悠司は、両手で髪をかき上げた。

 そうすると彼の艶めいた魅力が増す。

「紗英もおいでよ。気持ちいいから」

「で、でも……脱ぐところを悠司さんに見られるのは恥ずかしいです」

「じゃあ、見ないから」

 そう言うと、悠司は伸びやかにクロールを始めた。

 華麗な泳ぎを見せる彼を眺めつつ、紗英は柱の陰に隠れて、服を脱ぐ。

 全裸になると、すうすうしてなんだか落ち着かなかった。

 けれど服を着たままプールに入るわけにはいかない。紗英は七色に光るプールに近づくと、そっと足を水面につけた。

 ザブンと首まで水に浸かる。

 水温はちょうどよかった。

 夏の太陽が隠れた夜は、ナイトプールに最適だった。

 ふう、と息を漏らした紗英は心地よさに浸る。

「気持ちいい……」

 少しだけ平泳ぎをしてみるが、もがいたようになってしまう。

 クロールで広いプールを四往復した悠司は、まるで魚のようにするりと泳ぎ、紗英の傍にやってきた。

 裸なので少し恥ずかしいと思ったけれど、悠司は気にしていないようだ。

 それに彼だって裸なのである。

「紗英は泳ぎは得意なの?」

「見ての通り、下手です……。どうやって泳いだらいいのか、わからないんですよね」

「一緒に泳ごう。俺が支えているから、バタ足をしてみて」

 悠司は紗英の肩を支えると、片手で平泳ぎを始めた。

 ほとんど彼の背に乗っているような形になるが、紗英は懸命にバタ足をする。

「すごい……! うまく泳げている気分です」

「上手だよ。泳ぐのは気持ちいい?」

「はい、とっても、気持ちいいです!」

 紗英は泳ぎに夢中になった。

 悠司の背中は大きくて広くて、安心感がある。

 彼のリードはとてもうまくて、あっという間にプールの端まで着いてしまった。

 もう一回、と言った悠司は、また紗英を背負うようにして泳ぐ。

 そうして何度もプールを往復した。

 楽しくて、時間を忘れて過ごした。こんなに無邪気になって泳ぐのは初めてかもしれない。

 やがて泳ぎ疲れたふたりは、プールの縁に掴まった。

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