第26話

 まずは新規施設を視察して、工事の進捗状況を確認する。介護施設は小高い丘の上にある風光明媚な場所だった。とても眺望がよく、気持ちよく過ごせそうなところだ。工事の進捗にも問題はなく、予定通りのスケジュールでオープンを迎えられそうだった。

 さらに訪問を予定していた工房や農家を見学して交渉する。道なりにあるレストランにも足を運び、実際に食事をして味と雰囲気を確かめた。

 伊豆はどこも落ち着いた雰囲気の漂う土地で、観光地なのに静かだ。繁忙期はそうはいかないかもしれないが、入居者もその家族も、きっと気に入ってくれるだろう。

 一日を終えて予定していた行程をすべて済ませたふたりは、車で宿泊するホテルへ向かっていた。疲れてはいたが、収穫は充分にあった。

「伊豆は素敵な土地ですね。都心を離れて静かに過ごすとしたら、最高の場所です」

「そうだな。問題はほかの施設より若干値が張るところくらいか。だが問い合わせの件数を考えても、注目されている場所であることは間違いない。なんとしても成功させたいな」

「そうですね。ええと、入居の日取りは……」

 書類を捲り出した紗英を、悠司は止める。

「続きは明日にしよう。そろそろホテルに着くぞ」

「はい」

 紗英が書類を鞄にしまうと、車はホテルの車寄せに到着した。

 出張といえばビジネスホテルが定番だが、やたらとラグジュアリー感のあるホテルである。

 車に近づいたドアマンが慇懃に出迎えて、ポーターがキャリーケースを下ろしている。

 ホテルの壮麗な玄関の向こうには、煌めくシャンデリアにより、キラキラとロビーが輝いていた。

 想像とかけ離れていたので、紗英は目を丸くした。

「……随分と豪華なホテルですね」

「ここは俺が個人的に予約したホテルだ。ビジネスホテルは狭すぎるから、遠慮したい」

「は、はあ。ということは、私だけビジネスホテルに泊まるんでしょうか?」

 さすが御曹司の悠司は、狭いビジネスホテルなどには泊まれないらしい。

 もしかして、紗英だけ経費分のビジネスホテルだとか、そういうことだろうか。

 ところが悠司は不機嫌そうな顔をして、こちらを見た。

「なにを言ってるんだ。きみも当然、俺と一緒の部屋だ。ビジネスホテルは予約していない」

「……えっ⁉ 同室なんですか?」

「スイートルームが一室しかないと予約の段階で告げられた。一室しかないものは仕方ないだろう」

「……そうですね」

 なにも驚くことはないのかもしれない。

 紗英はすでに悠司と体を重ねた仲だ。

 たとえ同室でなにかあっても、なにもなくても、困ることはないと言える。

 車を降りた悠司は待機していたドアマンに車のキーを預けると、助手席側に回り込んでドアを開けた。

 紗英が降りようとすると、彼はてのひらを差し出してエスコートする。

 まるで王子様がお姫様に対するような扱いだ。

 恥ずかしいけれど、振り払ったりするほうが目立つと思い、紗英はおとなしく悠司のてのひらに自らの手を重ねる。

 そうしてつないだ手を掲げられ、壮麗なラグジュアリーホテルの玄関をくぐった。

 豪奢なロビーにずらりと並んだ瀟洒な椅子のひとつに、紗英は導かれる。

「ちょっと待っていてくれ。チェックインしてくる」

「はい」

手を離した悠司はコンシェルジュデスクに向かった。

 手続きを済ませた悠司は優雅な足取りで紗英のもとへ戻ってくる。彼は、するりと、再び紗英の手を取る。

「さあ、部屋へ行こう」

「あの……桐島課長」

「ふたりきりのときは名前で呼んでくれ。紗英」

「それじゃあ……悠司さん。出張で来ているのに、私までこんな豪華なホテルに宿泊できませんから、私だけビジネスホテルに泊まります」

「なにを言い出すんだ。そんなワガママを言ってると、お姫様抱っこで部屋に運ぶぞ」

「それはちょっと……冗談はやめてください」

「俺はいつでも本気だ」

 悠司は真剣な表情をしている。しかも彼は紗英の手を離そうとしない。

 紗英は観念して、このホテルに悠司と宿泊することにした。

 エレベーターに乗り込むと、悠司が最上階のボタンを押す。

 そのとき、くいとつないだ手を引かれたので、紗英はバランスを崩した。その隙に軽々と横抱きにされてしまう。

「きゃあっ! お、下ろしてください。まだエレベーターの中なんですよ!」

「別のホテルに泊まるなんて言って、俺を怒らせるからお仕置きだ」

 悠々と言った悠司は、到着したエレベーターから紗英を横抱きにしたまま下りる。

 スイートルームは最上階に一部屋という仕様だったため、ほかの客には会わなくて済んだ。

 カードキーでロックを外し、扉を開けた悠司が室内に入る。紗英は抱き上げられたままなので、彼の肩にしがみついていることしかできない。

 広い室内はリビングと寝室の二部屋がつながっており、奥の窓からは煌めく夜景が見えた。フットランプでわずかに照らされた室内には、すでにふたりのキャリーケースが運び込まれている。

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