第15話

「ええっ……そこまで……?」

「ホテルマンに止められたから部屋に戻って、ひとりでインルームダイニングを食べたよ。砂の味しかしなかったな。俺のなにがいけなかったのかとか、懊悩してた」

 そんなことになっていたなんて知らなかった紗英は驚いた。

 まさか悠司がいなくなった紗英を気にしていたなんて、露ほども思わなかったのだ。

「わ、私のことなんて、放っておいていいじゃないですか」

「よくない。改めて聞くけど、どうして逃げたんだい?」

「それは……なんだか怖くなったんです。酔った勢いで上司と寝てしまうなんて、なんてことしたんだろうと、混乱して……」

 悠司はまた小さな息をついた。

 真剣な双眸をした彼は、手を置いている紗英の両肩に力を込める。

 だけど決して痛いほど力を入れているわけではなく、子猫を怖がらせないよう、ほんの少し押さえるといった程度だ。

「紗英は、俺と一夜をともにしたことを後悔してるのか?」

「……わかりません」

「じゃあ、俺とセックスして、嫌だった?」

 紗英は首を横に振った。

 嫌なんてことはなかった。

 悠司は紗英を優しく抱いてくれた。あんなにも丁寧な愛撫を施されて、感じるセックスを経験したのは生まれて初めてだった。

「ちょっと嫌なこと聞くけど、元カレのことはまだ好きなのか?」

「いいえ。一度も好きと思ったことありませんので」

「え? じゃあ、なんで付き合ってたんだ?」

「……なんででしょう。元カレが要求するので料理をしたり洗濯したり、あれこれやらされていた感じですね」

「利用されていたということか。付き合ったのはクズ男ばかりだから、俺もそうなるだとか言ってたもんな」

 紗英はもう恋愛しないほうがよいと思っている。

 自分はクズ男を引き寄せるばかりか、さらに男をクズにしてしまう。

 もしも悠司が紗英と付き合うようなことになったら、彼がクズ男に変貌してしまう恐れがある。優しくて気遣いに溢れる悠司が、自堕落になっていく姿なんて見たくなかった。

「そうなんですよね。でも一夜限りのことですから、その話も忘れてください」

 悠司は訝しげに目を細めた。

 間近から見つめてくるので、吐息が触れそうなほどだ。

 端麗な容貌に圧倒されて、紗英は思わず硬直する。

「一夜限りなんて、誰が言った?」

「え? だって……」

 そういえば、一夜限りだとか、忘れるだとか、すべて紗英が勝手に解釈したことである。

 悠司がどう考えているのかは、まだ聞いていなかった。

 彼は真摯な双眸で言葉を紡ぐ。

「俺はバーで言ったはずだ。俺がクズ男になったら、俺の負け。きみのことは諦める。ただし、きみが俺に惚れて甘えられたら、俺の勝ち。俺の言うことを聞いてもらう。そうだったろ?」

「そういえば、悠司さんはそんなことを言ってましたね。酔っていたので意味がよくわかりませんでしたけど」

「つまりな、俺ときみが付き合うということだ。だからセックスしたんだろ。遊びじゃないんだぞ」

「……ええっ⁉」

 悠司の言い分を聞いた紗英は驚きに目を瞠った。

 なんと、付き合う前提でのセックスだったという。

 だが悠司の言うことをすんなりと受け入れるわけにはいかない。彼をクズ男にしたくないゆえに、付き合えないのだから。

「ちょっと待ってください。それって、私が勝ったら、悠司さんがクズ男になってしまうわけじゃないですか。あなたは将来、会社を背負って立つ御曹司なんですよ? その未来を潰すようなことできません」

「心配ない。俺が勝つ」

 絶対の自信を見せられ、紗英は目眩を覚える。

 悠司が勝つには、紗英が彼に惚れて甘えられるようにならなければいけないという。

 惚れる――という箇所はともかくとして、甘える女になんてなれる気がしない。

「私は甘えるのはすごく苦手なんです……」

「そんなところあるよな。仕事でも誰かに頼ることをしないし、全部自分で片付けようとするだろ」

 仕事でもそうだが、プライベートでもそういった傾向がある。

 クズ男と付き合ってしまうのも、男性に甘えられないのが要因なのもあるだろう。

 求められるままに食事を作って洗濯をして、寝転がってテレビを見ているだけのクズ男のために脚のマッサージまでする。

 まるで母親である。

 しかも、してあげた分だけ返してもらおうとはしない。

 紗英だって、愛の言葉を囁いてほしいだとか、どこかに連れていってほしいという欲求はある。だけど、それとなく言っても、面倒そうな返事しかもらえないので我慢していた。

 だから相手が図に乗って紗英に甘えるのだ。

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