第9話

 バーを出てエレベーターに乗ると、カードキーを認証センサーにかざした悠司は、とある階で箱を降りた。

 手をつながれているので、紗英も彼についていく形になる。

 ここは客室のみの階のようだ。廊下には同じデザインの扉がいくつもある。

 その中のひとつに、悠司はカードをかざして鍵を開けた。

 どうやら宿泊するつもりで部屋をとっていたらしい。

 入室すると、キングサイズのベッドが鎮座する向こうには、煌めく夜景が窓辺に広がっていた。窓から射し込む光が、落ち着いたデザインでまとめられた室内を、ぼんやりと照らしている。

 紗英の背後で、カチリとドアが自動でロックされる。

 その音に、はっとした紗英は、自分が彼の領域に閉じ込められたことを知った。

 直後、後ろから熱い腕に抱き込まれる。

「あっ……悠司さん」

 紗英の体は、男の強靱な腕の中に収められていた。

 驚きと、かすかな喜びが胸のうちで交差する。

 悠司は耳元に、甘く掠れた声を吹き込んだ。

「抱きたい。いいか?」

 どきん、と鼓動が跳ねる。

 悠司は、セックスするつもりなのだ。ということは彼がバーで口説いたのも、冗談ではないということになる。

 私と……?

 でも、どうして……。

 はっとした紗英は気がついた。

 勝負が云々と言っていたが、あれは後付けで、紗英が失恋話をしたからだ。それを聞いた悠司は、傷心の紗英を慰めようとしてくれるのだ。

 家に帰ったら彼氏が浮気相手を連れ込んでいたなんて、惨めの極みだろう。

 もう別れたわけなので、紗英はフリーだった。部屋まで来たのも、期待がなかったわけではない。もしかしたら……という予感はあった。そうでなくては、男のとった部屋についてこない。

 今夜は、優しい悠司に慰めてもらえる。

 紗英としても、誰かに慰めてほしかった。その相手は、悠司しかいない。

 たまたま誘われたからではなく、彼がよかった。

 だって悠司は、紗英の話を丁寧に聞いてくれて、味方になってくれたから。

 きつく絡められた腕に、紗英はそっと手を添える。

「私を……慰めてくれるんですか?」

「ああ。今は、それでいいよ」

 今は……ということは、彼には別の意図があるのかと訝ったが、体を返されて正面を向かされると、考えている余裕はなくなる。

 真摯な表情を浮かべた悠司は、ゆっくりと端正な顔を傾けた。

 キス、される。

 その予感を、紗英は高鳴る胸の鼓動とともに、喜びをもって迎えられた。

 雄々しい唇が触れると、紗英はそっと瞼を閉じる。

 悠司のくちづけは優しかった。

 ふたりは神聖な誓いのごとく、夜景の煌めく部屋の中で、長い接吻を交わした。

 極上のキスに、紗英の胸のうちが蕩けていく。

 こんなに素敵なキス、初めて……。

 求められるのは心地よくて、胸がきゅんと高鳴る。

 横抱きにされ、キングサイズのベッドにそっと下ろされる。

 紗英はさりげなくベッドサイドに靴を脱ぎ捨てる。

 同じく革靴を脱いだ悠司はベッドに上がると、紗英の体に覆い被さってきた。彼の双眸は情欲の熱を帯びている。

 着々と紗英のスーツが脱がされていった。

 悠司はジャケットを剥ぐと、ブラウスの釦のひとつひとつを外していった。さらにスカートを下ろし、パンストまで脱がせる。

 そうすると、紗英が身にまとっているのはキャミソールとブラジャー、そしてショーツのみになる。

「可愛い下着だね。ピンクが好きなの?」

 ピンク色の下着を眺めつつ、そんなことを聞く悠司は余裕があるらしい。彼はキャミソールの紐を紗英の肩から外しながら、笑みを見せた。

 紗英は恥ずかしくてたまらないというのに。

 なにしろ、セックス自体が久しぶりだし、こんなふうに男性から脱がせてもらうのも初めてのことなのだ。

 悠司とセックスするとわかっていたなら、新品の下着をつけてきたのに。

 今日の下着はいつもの普段着である。お気に入りのブランドだったのが幸いというべきか。

「ピンク、好き、ですね……。ほかのカラーも持ってますけど」

「ふうん。たとえば?」

「えっと……ライトグリーンとか、水色とか……」

「ああ。薄い色が好きなんだね。そういえば、シュシュもライトグリーンだったな」

 細かいことなのに、悠司はよく覚えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る