第6話

 リラックスしている悠司は、バッジをつけたソムリエにワインの相談をしていた。

「紗英は、赤ワインは飲める?」

「はい。ワインは好きです」

「じゃあ、ペアリングでいいかな」

 ペアリングとは、一皿の料理にひとつのワインを合わせるオーダーである。

 知識としては知っているが、紗英はもちろんそのような贅沢な注文をしたことなどない。しかも数種類のワインを注文するということは、コース料理であることが前提になる。

 悠司は高級店に慣れているらしいが、そのようなオーダーをして会計は大丈夫なのかと、紗英は少し心配になった。

 注文を終えた悠司は景色をいっさい見ず、向かいの紗英を眺めている。

 そんなに見つめられたら、緊張してしまう。

 高級店なのも相まって、かしこまった紗英は、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「あの……どうしてそんなに私を見るんですか?」

「景色より綺麗だなと思ってね」

「もう……からかわないでください」

「からかってないよ」

 悠司の声音には真剣な響きが含まれているが、顔は笑っている。

 きっと、紗英をからかって楽しんでいるのだ。

 けれど、朱に染まってしまう頬はどうしようもなかった。

 ややあって、給仕が前菜をテーブルに運んできた。同時にペアリングである白ワインも、ソムリエの手にしたボトルからワイングラスに注がれる。

 紗英がおそるおそるワイングラスの細い柄を持つと、優雅にグラスを掲げた悠司が縁を触れさせた。

「ふたりきりのディナーに、乾杯」

「か、乾杯……」

 こくりと白ワインをひとくち含むと、繊細でありながらも芳醇な味わいがした。とても飲みやすい。店の雰囲気から察するに、かなり高価なワインだと思われる。

 コース料理の前菜はパテドカンパーニュ、スープは冷製オニオンポタージュだ。白身魚のポワレにはすっきりとした味わいの白ワインを合わせて。メインの和牛のヒレステーキには濃厚な赤ワインが提供される。

 いずれも高価な食材を使用し、繊細な模様の皿に盛られた芸術的な料理ばかり。

さらにどのペアリングワインも料理とのマリアージュが絶妙で、最高の味わいだった。

 デセールのタルトタタンと紅茶を堪能する。

 ほうと、満悦の吐息をついた紗英は、紅茶のカップをソーサーに置いた。

「こんなに豪華なお料理を食べたのは初めてです。すごく美味しかった……」

「いつでも連れてきてあげるよ。ひとりで食べてると、ほかの客の視線が痛いんだよな」

「悠司さんは、こういったレストランで、ひとりで食事するんですか?」

 紗英は目を見開いた。

 彼くらいの美丈夫に誘われたら、どんな女性でも食事に同行するだろう。なぜひとりでレストランを訪れるのだろうか。

 肩を竦めた悠司は苦笑した。

「たまにね。無性にコース料理が食べたくなることってあるだろ? でも居酒屋ではひとりの客は珍しくないけど、レストランでひとりなのは目立つから、なんだか肩身が狭いんだ。だから今日は紗英と来られてよかったよ」

「ほかの女性は誘わないんですか?」

「……それって、俺に浮気しろって言ってるの?」

「えっ? 意味がわかりませんが」

『浮気』という単語が出て、どきりとする。

 つい昨夜、浮気現場を目撃したばかりの紗英はフラッシュバックが起こり、思わずナプキンで口元を押さえる。

 悠司は心配そうに覗き込んだ。

「どうした。具合が悪いのか?」

「いえ……なんでもありません。――そういえば、悠司さんは私に聞きたいことがあるとか言ってましたけど、それってなんでしょうか?」 

 まさか食事の相手というだけで、高級レストランに連れてこられたわけではないだろう。

 仕事ではなくプライベートに関する質問があるようだが、いったいなんだろうか。

 イケメンで御曹司の上、仕事もうまくいっている悠司が、凡庸な紗英に聞きたいことなんてあるのか。まさか恋愛相談ではないと思われるが。

 優美な手つきで紅茶のカップをソーサーに戻した悠司は、ゆるりと言った。

「ああ、それね。もうデセールも終わったことだし、長い話になりそうだから場所を変えようか。最上階のバーへ行こう」

「そ、そうですね。長居するのはマナー違反でしょうしね」

「ここよりもっと景色がいいから、紗英もきっと気に入るよ」

 給仕が差し出した二つ折りの伝票ホルダーを開いて、さらりとサインした悠司はスマートな貴公子そのものだ。

 ほろ酔いだが、少しくらいならバーへ行って飲めるかなと紗英は思い、席を立った。

 なにより悠司の質問がなにかを聞かなければ、すっきりしないので帰れそうにない。

 ところが、席を立ち上がった紗英は、ふらりと体が傾いだ。

 咄嗟に腰を支えた悠司が、しっかりと手を握る。

「大丈夫かい? 少し飲ませすぎたかな」

「あ……すみません。平気です」

「心配だから、俺の手を握っているように。バーの席に座るまで、離してはいけないよ」

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