11-2 スーツのポケットに仕舞った


 正門の表札には県立西高等学校と書かれてあった。


 どうやら休み時間らしく校舎の中には生徒が行き交っていた。

 一人の男子生徒をつかまえて職員室と校長室の場所を聞くと、ついでに誰か先生を呼んで来てもらえないかと頼み込んだ。


「困りますね。警察の方が事前連絡もなく突然訪ねて来られると」


 校長室に通されると、白髪も見事な初老の校長が渋面で猿渡を迎え入れてくれた。

 そして出したIDを一瞥すると「県警の方?」と問い返された。


「県警以外の警察関係者でもお伺いしましたか」


「ただの確認ですよ」


 そしてこの学校で行方知れずになった生徒は居ないか、そして生徒間のトラブルはなかったか、と尋ねた。


「その様な報告は受けてません。いじめがあったという噂も耳にしてません。極めて平穏ですよ。ああ勿論、生徒同士の口喧嘩や仲違い程度なら発生している可能性は在りますが」


 先程、男子生徒に呼んでもらった教師に、校長室まで案内してもらいながら聞いた話と変わらなかった。

 この学校は平和なものですよ、と素っ気なく返す言葉には、言外に異分子を排するトゲが在った。


「生徒の数も素行も問題無い、そう受け取ってよろしいのでしょうか」


「いじめ問題を隠蔽して居るとでもおっしゃる?ひょっとして親御さんの方から某か依頼があったので?」


「いえ、そんなつもりは毛頭ないですよ。依頼を受けたわけでもありません。ただの確認、裏付けの為の捜査です」


 そうですか、と校長は軽く流し「今度からはキチンと事前連絡を入れていただきたいものです」と、退室を促された。

 ろくに会話も交さずけんもほろろも無かったが、手順を踏まえない来訪に腹を立てているのだろうと察した。


 猿渡は致し方なしとソファから立ち上がると、ふと思い出したかのように、


「そうだ、この学校は夜間学校も執り行っていらっしゃいますか」


 と尋ねた。


「いえ、昼間だけです」


 その返事に「そうですか、ありがとうございました」と軽く一礼して学校を出た。


 つまりあの女生徒と思しき人影がこの学校の生徒ならば、アノ時間まで制服を着たまま着替えることも無く何処かに居て、或いは徘徊し、あの雨の中に立って居た。

 もちろん、ここいら近隣ではなく別の区画の夜学の生徒だったり、制服に似た別の服装だった可能性もある。


 猿渡はふむと頷き、頭の中を整理しながらクルマを駐めた場所へ向けて曇天の路地を歩み続けた。




 署に戻ると課長から呼び出されて叱責を受けた。


 事前承諾もなく教育機関の敷地に警察関係者が足を踏み入れるとは何事か、と灸を据えられ始末書を書かされる羽目になった。

 随分と反応が早いもんだと溜息をつくと同時に、先程の校長の反応を反芻はんすうしていた。


 何かを隠しているような素振りはなかった様に思う。

 だがIDを見た後の、あの反応はどういうことだろう。

 普通の人間にとって警察はすべからく警察で、その内部組織で区別して確かめたりなどしないはず。


 最近、警察の別部所の者と接触した、ということか?


 短絡的に考えれば、公安の連中という事になる。しかし・・・


 ふうむ、と考え込んでいると「勝手なコトをするな」と小暮が背後から声を掛けてきた。


「釈然としないのは分かるが、ほじくり返してどうする。何か自分だけのネタでも掴んでいるのか。いきなり学校に踏み込むなんてどういう了見なんだ」


「先程課長からも同じお小言をいただきましたよ」


「言われて当然だ。

 興味を持つなと言ったろう。

 公安のケツ追っかけてどうする。

 俺たちが追いかけるのは任されている事件ヤマと、その犯人ホシのケツだけだ。

 それはそうと何故学校なんぞに?何に目星を付けてる。

 連中に渡してないネタ隠し持ってるんじゃないだろうな」


「忘れろ興味を持つな、ではなかったのですか」


「釘が一本だけじゃ足りんと思ったからだ。首輪とリード紐が必要だと思ったからだ」


「犬じゃないんですから」


「次は始末書じゃ済まんぞ」


「慎重を期すことにします」


 若い刑事の素知らぬ体な返事に小暮は大きく溜息をつき、今晩ちょっと付き合え、と小声で囁いた。




 煩雑な居酒屋のボックス席でナマ中とヤキトリとナンコツを頼んだところで、小暮はポケットから小さなプラスチックのケースを取り出した。

「コイツをおまえにやろう」等と云う。


「何です、コレ」


 半透明なケースの中には金属端子の付いた四角いプラスチック片が入っていた。


「メモリーカード?」


「ああ。モノは古いが大抵の機材で使えるはずだ。だがネットにアクセス可能な機材には使うなよ。そしてコピーなんて以ての外と弁えておいてくれ」


 そしてベテラン刑事は、念入りに注意事項を語るのだ。


 中身を見て捨てるもよし、保管するもよし。

 だが他の人間には見せるな。

 見るときも一人で見ろ。


 スマホには繋ぐな。

 管理信号が発信されてしまう。


 アクセスするときには必ずオフラインのパソコンのみ。

 そしてメモリーカードを見終わったらそのパソコンは必ず初期化して再立ち上げさせること。

 閲覧履歴が残らないようにしろ。


 初期化しない状態でオンラインすると、やはり管理信号が発せられて場所と使用者を特定される。


「プリンターにカード直付けでプリントアウトさせるのも手だが、誰かに見られる可能性が高くなるからお薦め出来ないな。

 最近のプリンターもネット回線在りきの物ばかりだし、履歴が残る機材は避けた方が賢明だ。

 むしろデジカメの画面で見る方が手っ取り早いかもしれん。

 見にくいことこの上ないが、それが一番安全かもな」


「何が入ってるんです、コレ」


「言えんよ」


 ナマのジョッキが来たのでソレを受け取りながら軽く肩をすくめた。

 そして少しおどけた風に、両手で自分の両目を塞ぎ、次に口を塞ぎ、最後に両耳を塞いだ。


「中身を見たらコレに徹してくれ」


「何故」


「それが一番平和裏に済むからだ。おまえの日常が壊れずに済むからだ」


「ヤバい内容なんですか」


「ヤバいかヤバくないかと言えば間違いなくヤバい。だが知らぬ存ぜぬと押し通せばどうという事はない」


「そりゃ何ともヤバそうですね。

 でも何故オレに?打ち明ける相手を間違えてませんか。

 課長ではダメなんですか。

 管理者に言えない内容なら信頼できて経験豊富な、カズさん辺りにでも相談するのが筋では?」


「相談する必要はない。というか、誰かに話をしてもどうしようもないからだ」


「どういう意味です」


 いつもなら嫌みなまでに直裁的で経験豊富な刑事が、何故にこんな歯切れの悪い物言いをするのか。

 猿渡は胸中小首を捻るのだ。


「無視してこのまま廃却しても?」


「構わんよ。ソレはもうおまえにやったものだ。

 どうしようと自由。

 ただ、捨てるなら火にくべるか叩き割った後にしてくれ。

 しかし中身を見て吹聴しようとはするなよ。

 そんなコトをしたらおまえにとって、訪れなくてもイイ未来がやって来ることになる」


「・・・・」


 小暮はナマのジョッキを一息で半分まで流し込み、そのまま来たばかりのナンコツに手を出して齧り付いていた。


「これを見たら何かが変わるのですか」


「見ただけなら何も変わらない。いや、世の中の見え方は変わるだろうな。

 洩れなく手酷い後悔が付いてくるが。

 見る見ないは自由、しかし見るならその覚悟だけはしておいてくれ」


「これ見よがしに渡して置いてよく言いますね。見ろと言って居るのと同じではないですか。小暮さんは中身を知っているんですね」


「ああ」


「今回の公安の件も絡んでいるんですね」


「ノーコメント」


「課長は知っているんですか」


「ノーコメントだ。俺が話せるのは俺のコトだけだ」


 不信と懸念と、そして釈然としない気持ちのまま傍らの年長者を見やった。

 串に残った最後の一切れをかじり、ぐいとナマのジョッキを煽っていた。

 いつもと変わらない飄々ひょうひょうとした顔だったが、頬が幾分引きつっているようにも見えた。




 年若い刑事は手渡された小さなケースをじっと眺め、やがてそれをスーツのポケットに仕舞った。


 猿渡は部屋に戻ると、ディスカウントストアで買った簡素なパイプテーブルの上にもらったプラスチックのケースを置いた。

 スーツの上着だけをハンガーに掛けて、同じく簡素なパイプ椅子に座り腕組みをする。どうしたものか、と思った。


 ラップトップのパソコンくらいなら持っているが、ネット回線に繋げられる環境下ではコレを見るなと言われた。

 しかも見た後に初期化しろ等とう。

 いちいちバックアップデータを取って再立ち上げをするのも面倒であったし、小暮の物言いからするとメモリーカードの中身のヤバさは相当なものらしい。


 用心に越した事は無いな。


 明日、仕事の帰り際にでもデジカメを買って帰ろうと思った。

 スマホはあっても専用のカメラなど持った事は無かったからだ。

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