第十九話『謹弔』
マドラスの消滅が天界に住む神だけでなく人間界に住む神々にも伝えられた。天界の屋代、大棟の両端には白と黒の弔旗が掲げられ、屋代の階段の下には祭壇が設けられ多くの神や神獣が弔花に訪れた。天界は重苦しい空気に包まれていた。そのせいか常に空にいた太陽と月は身を潜め、代わりに無数の星が空に輝き、屋代がある湖の周囲に集まった神々たちがその星を見上げては両手を合わせていた。また、点在している大樹が小さな花を無数に咲かせ、皆がマドラスの消滅を悲しんでいるようだった。
マドラスは偉大な神だった。歴代の主神の中でも一番長く主神として天界を治めていた。誰しもがそこにいるのが当たり前だと思っていたはずだ。そんなマドラスが消滅したことはなかなか受け入れられなかった。目の前で消滅を目撃した私ですらそうなのだ。見ていない者は、もっと受け入れられないだろう。そもそも消滅することを知っていたら、マドラスにあのような提案はしなかった。なんとしてでも他の方法を探した。それが私のマドラスに対する唯一の後悔だ。
天界は約一か月の間、誰が指示したわけでもなく喪に服していた。そして喪が明けた頃、予想外の来客に皆が驚き、言葉を失い、天界全体が騒然とした。
「初めまして、とでも言おうかな」
大きくて煌びやかな冠を被り、カラフルで派手な刺繍が施された赤い羽織を纏い、手には羽のついた大きな扇子、それは閻魔モウラだった。地獄から出られないはずのものがなぜ天界に来れたのだろうか。まさかマドラスを弔いに来たとは思えない。
「お前がミライか」
「そうだ。何用だ」
「マドラスがいなくなったと聞いたもんでね」
屋代の下に設置された祭壇の前に立ったモウラは、扇子をお供の者に渡すと手を合わせた。少しの間そうしていたが、閉じていた目を開くなり祭壇に向かって、指で何かを弾き飛ばすような仕草をすると、たくさんの花が手向けられた祭壇はガターンと音を立てて崩れた。辺りに手向けられていた花が散らばり、祭壇は無残な姿になってしまった。
様子を見ていた私だったが、それを見てすぐに剣を手にしモウラに怒りの矛先を向けた。ウェズとグリスもまた、気がつくと剣を手に私の隣に立っていた。
「どうやって地獄から出た」
「お前たちが獄落門に気を取られているからだ」
「なんだと!」
怒りを露わにしているウェズの隣で私は悟った。獄落門が発していたごくわずかな悪気は、時間を掛けて地獄に張られていた結界を緩めていたのだ。そして恐らく決定打になったのは繋天門の浄化だ。
「まさかここまで計画通りに動いてくれるとは思わなかったよ」
「そんな・・・まさか」
「ルドス、ご苦労だったな」
「先生?」
モウラが先生の名を口にして、私たち三人の視線は先生へと向けた。その先生はというと私たちを見ることなく通り過ぎて、モウラの側に行くとやっと私たちの方へ視線を向けた。
「主神ミライ。今日は宣戦布告だけしに来た。貴様の万能の石はもう私のものだ。必ず奪いに来るから、それまで大事にするのだぞ」
そう言い残すとモウラは先生を連れて消えてしまった。まさか先生がモウラと繋がっていたとは、夢にも思わなかった。状況を把握するので精一杯だった私は、力を振り絞って屋代の中へ入った。付いてきたウェズとグリスも言葉を失っているようだった。
どうしよう。どうしたらいい。マドラスも先生もいない。崖っぷちに追いやられてしまった感覚に心臓が早足で鼓動を刻んでいた。頭の中の整理が追いつかないでいるのにも関わらず、とんでもない知らせが耳に入った。
「獄落門がまた現れました」
ウェズとグリスと共に人間界へ様子を見に行くと、報告通り、それは人間界にあり、前回とは違いすでに実体化していて悪気を撒き散らしていた。周囲にいた人間たちは慌てふためき逃げ回っている。私の頭の中の混乱は、さらに複雑なものになってしまった。
天界に戻るなり私は真っ直ぐ主神の部屋に向かい、座禅を組むと目を閉じた。誰でもいいから助けてくれという思いと、ただ落ち着きたかった。私では処理しきれないことが一度に起こってしまったから。地獄に行きモウラと直接対決するべきか、獄落門を先に破壊すべきか、いや、もっと他にしなければならないことがある気がする。考えが行ったり来たりしていて混乱は収まらない。考えても、考えてもとはこういうことだ。気がつくとかなり長い時間が経っていたようだ。考えが定まらないまま主神の部屋を出て進んでいくと、天界の異常な状況に気がつき、歩みを早めた。天界が闇に包まれている。空にはいるはずの太陽と月がなく、星たちも息を潜め、湖面が青白く光っている。風に乗って私のところにやってきたのは、大樹が咲かせた白い小さな花だった。見たこともない光景に息をすることすら忘れそうだった。
屋代の階段をゆっくり一段ずつ降り、湖の湖面を渡ると辺りをぐるりと見渡した。誰の気も感じない。天界に私一人しかいないのだろうか。ウェズやグリスは私を見捨ててしまったのだろうか。
「なんだ?」
今渡ってきた湖面を見ると小さな波紋が沢山できている。なにが起こるのだろうかと見ていると水の中からゆっくり現れたのは赤い龍だった。先生から聞いたことがある。マドラスの前に主神として天界を治めていたミノシスは火を司る赤い龍だったと。
「ミノシス?」
一瞬目が合ったかと思った赤い龍は空を見上げ昇っていく。私は誘われるように龍の姿になると赤い龍を追いかけた。上へ、上へ昇っていく。雲を抜け太陽の熱を感じだしたころ、私の身体が黒くなっていることに気がついた。黄色かった鱗が真っ黒だ。自分の変化に気を取られているうちに赤い龍はいなくなっていて、眼下には人間たちが作り出した光の粒が無数に広がっていた。
「ミライ。其方なら導ける。自信を持て」
聞いたことのない声で耳に届いた助言は、恐らくミノシスだったと思う。私は空を何度かぐるぐると周り天界へと戻った。まるで夢を見ていたかのような気分だった。
「ミライ!いつの間に黒龍に?」
「グリス、私はどうやらミノシスに会ったようだ」
「のんびり感傷に浸っている暇はないぞ」
「そうだな。行こう。地獄へ」
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