第26話 恋心は隠れ上手だった


 鬱蒼と生い茂る大木の間を縫いながら飛ぶ。何を考えるでもなく、目的があるわけでもなくただただ、飛ぶ。景色を眺めるわけでもなく飛び駆けて、それで心が晴れるわけでもないというのにシャロンは飛んでいた。


 暫くそうして飛ぶとシャロンはとある大木の前に降り立った。樹齢数百年の大樹は見上げるほどに大きく立派で。そんな木の根に腰を下ろして深い溜息を吐いた。



「やってしまった……」



 何も言わずに逃げるように飛んできてしまったと今更ながらに後悔する。あの場にはカノアもいたのだから置いてけぼりにされて困っていることだろう。ジークハルトだっていきなりそんなふうな態度をされては困惑するに違いない。


 もう少し冷静になるべきだったと反省するけれど、あの時は何も考えられなかったのだ。自分の情けない顔をジークハルトに見られたくなくて、勝ち誇ったように笑うマーシェの姿が見たくなくて。だから、咄嗟に飛んで逃げてしまった。


 もう随分と森の深い場所まできてしまっている。早く戻らなければ日も暮れてきてしまい、魔物に遭遇する確率が上がってしまう。それは分かっているけれど、シャロンの腰は岩のように重くなっていて立ち上がれなかった。



「ジークさん、いなくなっちゃうのかー……」



 彼はそう、たまたま出会って、匿うために婿候補になったのだ。お互いを知るところから始めようと言ったけれど、夫婦になるだなんて決まってはいない。


 ジークハルトが婿候補を解消して旅芸人の護衛として出ていくというのなら止める必要はない。



「わかってはいるけどさー」



 そう頭では理解していても、何故だか心はずっともやもやしっぱなしだ。これがなんなのか、シャロンはなんとなくだがわかりつつあった。



「好きなのかなー……」



 ジークハルトのことが好きなのかもしれない。好きになるのに共にいた時間など関係ないと言われたけれど、なんだが不安になってしまう。


 前世から恋愛経験皆無で耐性すら持っていない自分では、これが好きなのかどうか判断できかねていた。けれど、言葉にするならばそれぐらいしか思いつかない。認めたいけど認めたくないような、そうでないような。そんなとても複雑な心境となっていた。


 認めてしまっては相手がいなくなった時に苦しくなる、悲しくなって辛くなる。それは嫌なのだが気持ちは知らんふりをしてはくれない。今までそんな感情見せてこなかったというのにだ。


 恋心は隠れ上手だなとシャロンは思った。だって、こうなるまでずっと心の奥に潜んでいたのだから。



「うぅぅぅ……どうしたらいいのさぁー……」



 シャロンは頭を抱えながら唸った。そうやって悩んでいれば空が茜色に染まっていく、日が沈み始めているのだ。流石に暗くなる前に里に戻らなければならず、家に帰るのは嫌だけれど一人でこの森の中にいるのは危険だ。


 シャロンは仕方なく、重い腰を上げて翼をはためかせた——その時だ。



「がうぁ」



 唸り声がした。振り返ってみるとそこには大柄な狼のような魔物がいた。黒い毛に紅い瞳が特徴的なその魔物にシャロンはびくりと肩を振るわせる。



「レッドアイウルフ……」



 頭の中にある知識が危険だと知らせる。このレッドアイウルフは大柄な身体に鋭い牙と爪を持ち、群れを成して行動する。一匹、いるということっは十数頭は近くにいることになるからだ。


 茂みの方を見遣ればぎらつく眼光が見えた。一頭ならばまだしも、複数頭の大柄なモンスターを一人で相手にするのは危険だ。


 シャロンはすぐさま飛び立つも、それに続くようにレッドアイウルフが追いかけてくる。ちらりと振り返って確認すると五頭ほどいた。



「あれは駄目だ、駄目!」



 シャロンは戦う選択を捨て、逃げることに徹した。どうにか撒こうと大木の間を縫い、木々の枝葉の中へと飛び込む。姿を消すように飛びかけながらレッドアイウルフの様子を時折、確認する。彼らはまだ諦めていない様子で追いかけてきていた。


 彼らは肉食であるけれどその肉にこだわりはなく、人間だろうとハルピュイアだろうと喰らう。なので、逃げきれずに捕まれば食べられるのは確定だ。


 そんな死は嫌なのでシャロンはひたすらに逃げた。枝葉が顔に当たるのも気にせず、ひたすらに速く速くそうやって飛んで逃げて大木の密集した場所の枝葉の中に飛び込んだ時だ。


 姿を見失ったレッドアイウルフは立ち止まり、諦めたように別の方向へと走っていってしまった。シャロンは飛びながらそれを確認してほっと息をつく。



「びっくりしたー!」



 食べられるかと思ったと内心、ひやひやしながら周囲を見渡すと里の近くまで戻ってきていたようだった。



「ちょっと疲れたしゆっくり行こう」



 そう呟いて地に降り立つ。少し土が盛り上がっているところで下を見てみれば水溜りでぬかるんでいるようだった。



「シャロン!」



 足が汚れるなとシャロンが思っていれば背後から声をかけられて、誰だろうと後ろを振り返ってシャロンは動揺する。



「やっと見つけた、シャロン」

「じ、ジークさんっ」



 そう、声をかけてきたのはジークハルトだった。シャロンを探し回っていたようで少し息が上がっているようだ。そんなことよりもシャロンは彼が現れたことで隠れいた気持ちが顔を覗かせ、それに動揺する。



「シャロン、話が……」

「え、いや、その、だ、大丈夫ですか……」



 わたわたと慌てながら両腕を振った時だ、シャロンはずるりと足を滑らした。



「シャロン!」



 ジークハルトの手が伸びて——二人は転がり落ちた。



「いててて……あ! ジークさん大丈夫ですか!」

「あぁ……」

「あーー! ずぶ濡れ! す、すみません!」



 ジークハルトはシャロンの下敷きになるように落ちていた。シャロンは慌てて起き上がって謝罪するが、彼は気にしている様子はなく、怪我はないかとシャロンの心配をしていた。



「わ、私は大丈夫です!」

「それならいいんだ」

「服濡れちゃってますけど……」

「それはいいんだ、シャロン」



 シャロンが申し訳なさげにジークハルトを見つめていれば、真剣な瞳を向けられた。それに思わずびくりと肩を跳ねさせる。



「旅芸人の一団の護衛だが」

「あー、別に気にしてないので、だからそのー」

「あれは断った」

「……はい?」



 シャロンは予想していた言葉ではなくて思わず呆けた声を上げる。そんな彼女にジークハルトは「ずっと断っている」ともう一度、告げた。


 旅芸人の一団に紛れていれば逃げることはできるだろう。里の世話になるよりかは幾分か楽になるのも理解している。給金も出て、食事と寝床に困らない、それがどんなに魅力的なことかも。それでも、ジークハルトはその申し出を断った。



「な、なぜ……」



 何故なのか、シャロンは気になった。ハルピュイアの里で婿候補としているよりは断然、護衛の方がいいだろうと思ったからだ。そんな疑問に答えるようにジークハルトは口を開く。



「俺はシャロンと一緒にいたい」

「……はい?」



 二度目の呆けた声が出た。彼は今、なんと言っただろうかとシャロンは目を瞬かせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る