ワンクッション

西奈 りゆ

今日.

「仕事がうまくいかなくて」って言ったら、何人が慰めてくれるんだろう。

「そんなもんだよ」「なんとかなるって」「俺も・私も」。だいたいこんな感じか、アドバイス。それ以外の返事を、少なくとも私は聞いたことがない。

そして私がほしいのは、どれでもない。そんなワガママ、許されるのかな。


ただ漠然と、周りから遅れている気がする。

毎日が同じことの繰り返しなんていうけれど、デスクに座りっぱなしでもない限り、本当は何かしら進んでいる。私だって、そのはずなのに。


自信がないことも自己責任だと言われたのは、同行したときつい本音を言ってしまった先輩からだ。「そんな自分を放置しているのは、怠慢だ」。企画部内で首位独走の先輩は、はっきりとそう言った。


落ち着いてみて。そんなの暴論だよ。人に押し付けていい言葉じゃない。


分かってはいるけれど、分かっていることと身に堪えることは、全然別の話で。

表の皮だけ剥けた、擦り傷みたいな痛みを歩きながら平らにしたくて、わざと遠回りをして帰った。


揃わない箸。噛み切れない肉。

値段のわりに筋張った肉を無理やり飲み込みながら、ついでにため息も飲み込む。

立ち上がった拍子にグラスを倒してしまって、床に染みが広がっていく。


『怠慢だ』


先輩の言葉が、リフレインする。

温めたご飯は、とっくに冷めきっていた。

推しているわけでもないのに、ネガティブな考えにはどんどん沼っていく。

フレンドもいらない。課金もいらない。なんてお手軽な、でもこの希望のなさ。


それ以上考えると本当に沼に落ち込みそうで、私は慌てて外に飛び出した。

小銭入れだけ掴んで、行く当てもなく。


そして今日が最悪な日になったのは、ついさっきのこと。

道端で盛大に吐いている女の子は一人で、周辺にはここからでも分かるくらいにすえた酒の匂いが漂っていた。


見たところただの酔っ払いだし、関わらないほうがいい。

とは思ったけれど、一応若そうな女の子一人だし、放っておくのもどうかと思う。

うざ絡みされたらヤダなと思いながらも、けっきょく声をかけた。


「あの・・・・・・大丈夫ですか?」


小刻みに身体が震えているだけで、返事はない。

いや、何か言おうとしているのだけれど、聞き取れない。


「・・・・・・あ」


聞き取ろうとした私が馬鹿だった。

次の瞬間、私のスニーカーの上に、彼女は盛大に嘔吐した。



「ほんっと、もう・・・・・・すみません。何から何まで」


「いえいえ・・・・・・」


なりゆきというのは、こんなときに使う言葉なんだなと思う。

けっきょく、私は彼女を自分の部屋へと連れて帰った。

被害に遭ったスニーカーはひとまずシャワーをぶっかけて、お風呂場に放置してある。彼女がそれに、そうなった経緯も含めて気づいているのかは分からない。


さっきまで気がつかなかったけれど、向かい合った彼女はずいぶんと理知的というか、賢そうな顔をしている。色白の、切れ目のボブ。クールビューティー。洗顔ついでに化粧も落としてきたようだけれど、それでも美人の部類に入る。


そういう整った顔立ちも含めてエリートっぽい雰囲気なのだけれど、何であんなところにいたのか。

訊いてみれば、宅飲みのし過ぎだったらしい。

しかも―――。


「作家さんなんて、私初めてお会いしました」


言うと、彼女はぶんぶんと首を振り、それが頭に響いたのか、顔をしかめて否定する。


「作家というか、たまにミニコミ誌にエッセイとかコラムとか書いてるだけで、漠然と❝物書き❞っていう感じです。それでも、それ一本っていうわけでもないですし、そもそも人手がいなかったっていうだけで」


そうは言っても、人様に見せられるまとまった文章をかける時点で、私にとっては特別な力を持った人の仕事という感じがする。水のおかわりを持ってきてそれを言うと、彼女はお礼を言いながら苦笑した。


「ぜっんぜん。評判だって良くないから、そのうち降板ですよ。堅苦しいって。面白みがないって、よく言われます」


「そういうものなんですか。エッセイって、なんとなくもっと自由なものなのかと思ってました」


「自由と言えば自由なんですけど、誰にもうけないものを書くわけにはいかないので。好きなように書いていいよって言われて書いたら酷評されるし、じゃあ改めて面白いものを書こうって思ったら、何も浮かばなくなっちゃって」


その先は、ということなのだろう。彼女が行き倒れていたのは。


「難しいですね」


「難しいです」


ふっと訪れた沈黙。彼女が水をゆっくりと飲み込む音まで、やけに大きく聞こえる。

グラスを下ろした彼女は、今気がついたというように言った。


「勉強熱心なんですね」


今の今まで気がつかなかったけれど、テーブルの上には先輩から「オススメ」されて貸し出された自己啓発本が置いてあった。あちこちから付箋が飛び出していて、中はマーカーであちこちが塗りつぶされている。

とはいえ、自発的に求めてうちにあるものではないので、どうしても頬が熱くなる。


「違うんです。これは先輩からのお勧めで・・・・・・」


その次の言葉をなぜ口にしたのか、私は今でも分からない。


「自信がないのも、自己責任だからって・・・・・・」


本のタイトルは、「自分に自信がもてる100の方法」だった。















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