第5話【結婚した従姉と、その旦那】


山城やましろさんはどちらの大学の出身で」


 初奈とその夫・宗一郎そういちろうが近所の霊園れいえんへの墓参りから帰ってきたあとは、四人で食卓を囲んでの夕食の時間。

 まるでビールのCMに出てくるタレントみたいに過剰なリアクションでグラスに入ったビールを飲み干し、彼は俺に訪ねた。


「は、はぁ。公立の大学ですが」

「公立? あ、そうですか。ちなみ私は国立の出なんですが――」


 宗一郎の事前情報としてこちらにあったのは、


1・初奈とは同じ大学の出身で、一時期初奈が駅伝部のマネージャーをしていた時に知り合った。ちなみにあの箱根駅伝に出場した経験あり。


2・現在は大手広告代理店に務めるエリート社員。


3・とにかく雰囲気がキモキモのキモ。生理的に無理(恵理那談)。


 といったところか。

 なるほど。出会って6時間足らずで恵理那の言っていたことがしっくりとハマる。

 陰キャな俺がある意味もっとも苦手とする意識高い系脳筋タイプだ。


「ええ。そこで4年間駅伝部に所属していまして。一度きりでしたが箱根駅伝にも出場したんです。よかったらその時の映像お見せしましょうか」

「いえ結構です」

「ごめんなさいね。この人、初対面の相手にすぐ箱根駅伝に出場した時の映像見せようとするの」


 この嫌にグイグイくる感じ......業界内でもあまりいい噂を聞かない大手広告代理店の社員らしいな。

 今でも時代錯誤の無茶な体育会系絶対的上下関係が社内にまかり通ってるって、いつだか週刊誌に書かれて問題になっていたのも納得だ。


「へ、へぇ~。そうなんだ」

「見たくなったらいつでもおっしゃってくださいね」


 だから見たくねぇって言ってんだろ。その無駄に白い歯のニ・三本叩き割ってやろうか? と腹の中で思っていようとも知らず、宗一郎の口は止まらない。


「ちなみに山城さんは学生時代はどんな活動を」

「活動、ですか。そうですね......映像学科に席を置いていたので、そっち方面の勉強を主に」

「そこから今のお仕事に繋がったんですね」

「はい」

 

 宗一郎の横でおかずをつまむ初奈に視線を送ると小さく頷いた。

 どうやらの俺の情報も多少は宗一郎に伝わっているらしい。


「でもフリーランスの映像編集なんて儲からないでしょう」

「正直に言うと、まぁ。その分数をこなしてどうにか生計を立ててます」


 俺の場合は運良く得意先のYouTuberを複数抱えらていることが何より大きい。

 でなければフリーで専業でやって行くことはまず無理といっていい。

 

「せっかく就職できたのにもったいない。どうして前の会社を辞めらてしまったんですか」

「宗一郎さん」

「だって気になるじゃないか。安定を捨てていつ食べれなくなるか分からない世界に飛び込む......僕からしてみると正気の沙汰さたとは思えないんだ」


 宗一郎の言う事にも一理ある。

 実際、知り合いの同業者には映像編集の仕事の片手間にアルバイトをしている者も少なからずいる。この国は、組織に属さない人間にはとても冷酷で厳しいのだ。


「さぁ、いろいろ疲れたからじゃないですかね。もういいでしょうこの話は」

「そのいろいろを是非聞かせてください。初奈の夫として近しい親戚しんせき素行そこうを知っておく権利が私にはあります」

「素行って」

「宗一郎さん、もうその辺に――」

「あのっ!!」


 これまで俺の隣で沈黙を貫いていた恵理那の叫び声が、広い居間に響き渡る。


「......私、ちょっと夜風に当ってくる」

「恵理那!」


 うつむいていた顔を横に向け、そのまま立ち上がり廊下へと出て行ってしまった。

 いくら人の少ない田舎とはいえ、夜一人で出歩かせるのはあまりいい心地はしない。

 俺は初奈に目で合図を送ると、早歩きの恵理那のあとを追いかけて居間を飛び出した。

 

 *


「おい恵理那、どこまで行くつもりだ?」


 街灯も少なく頼りない、ほぼ暗闇の夜道を、肩をいからせた恵理那が後ろも振り返らず道なりに突き進む。


「聴こえてんのか恵理那! もしもーし!」

「うっさいッ! バカ! ついてくんな!」


 てっきりカエルの大合唱で聴こえていないものだと思い大声で呼んでみたが、逆に怒られてしまった。

 こうなっては本人の気の済むまで夜の散歩に付き合ってやったほうが良さそうだ。

 車同士がギリギリすれ違えるような細長い林道を抜け、昼間以上に人も車も通らない国道に出ると、ようやく恵理那が自分から口を開いてくれた。


「......なんで言い返さないの」

「言い返すも何も事実だしな。今のご時世フリーランスでやる奴は余程のバカか、余程自分に自信がある奴の二択くらいなもんだ」

「拓にぃは?」

「さぁ、どっちだろうな」


 精米所の脇にある虫のたかった自販機に小銭を入れ、缶コーヒーのボタンを押す。

 取り出し口から商品を取り出し、虫が付いていないか念のため一旦確認してからプルタブを開ける。


「私にはよく分からないけど、拓にぃは寝る間も惜しんでお仕事頑張ってるじゃん。家事だってたまに手伝ってくれるし」

「仕事ってのは頑張ってるだけじゃだめなんだよ。特にフリーランスなんかは一度信頼を失っちまえばそこで終わり。社員なら一回でも晩回のチャンスが与えられるところを、フリーランスはその一回すら与えてもらえない」

「じゃあなおさらアイツより拓にぃのほうが凄いじゃん」


 姉の旦那さんを「アイツ」呼ばわりする恵理那。

 気持ちは分からんでもないが、一応は義理のお兄さんだぞ。


「会社のネームバリューで仕事してるアイツより、自分一人で信頼を作ってきた拓にぃのほうが全然凄いって言ってんの」

「お前もお子様だな」

「ハァ!?」

「あのな、どっちが凄い凄くないとか、優越を決めようとしてる時点でお子様だってことに気付け。この田舎者JK」


 缶コーヒーを一口飲み込む。

 ブラックの苦味が口内に広がり、残っていた麦の苦味が綺麗さっぱり上書きされてゆく。


「俺の代わりに怒ってくれるのは嬉しいが、お前までアイツと同じ場所に堕ちてくるのはいただけないな」

「ほら。やっぱり拓にぃも怒ってるじゃん」

「別に怒ってねえよ。強いて言えば呆れてる」


 これが自分と全く関係のない相手ならすぐに消化できよう。そうでないから困っている。

 

「ね? 私の言ったとおり嫌な奴だったでしょ? お姉ちゃん、なんであんなクソ野郎と結婚なんかしちゃったんだろう」

「恋する男女にしか分からない何かがあるんだろ。それこそ部外者の俺たちには到底理解できん”なにか”がな」


「飲むか?」と恵理那に缶コーヒーを差し出せば、奪いとるようにして受け取りそのまま口に流し込む。

 そして目を大きく見開き、口を膨らませたまま缶コーヒーをこちらに返し、側溝の前にしゃがみ込んだ。酔っ払ったおっさんか。


「......げぇッ。よくこんなの飲めるよね」

「恵理那も大人になったらそのうち飲めるようになるさ」

「大人、ねぇ」

「ん? どうした?」


 俺のシャツの袖を掴み、恵理那が上目遣いで訴えかける。


「......勉強しよう」

「......いまここでか?」

「うん。彼女が彼氏の悪口を言われて凹んでる時、拓にぃだったらどうなぐさめる? っていうシチュエーションで」


 随分限定的なシチュエーションでの要求が来たな。

 幸い周囲から近くの民家までは500m以上は離れ、人の気配も感じないので可能ではあるだろう。しかしどうにも気が乗らず迷っていれば恵里菜があおってきた。


「意気地なし」

「誰が意気地なしだコラッ」


 残った缶コーヒーを一気に飲み干し、空き缶入れの中に勢いよく放り込んでから恵理那の背中に手を回す。ビクンと肩を震わせ、されるがままに俺に唇を塞がれる。が直後。


「......ギブ」


 恵里菜が顔を歪めて俺の肩を数回タップした。そして俺のシャツをタオル代わりにして唇をぬぐう。


「お前さ、自分からかしておいてそりゃないだろ」

「だって苦いもんは苦いんだもん」


 確かに。苦い汁の味しかしなかった。


「しょうがないなぁ。今はこうして抱いてくれるだけで許してあげる」

「はいはい。左様ですか」


 たまには中学生みたいなソフトな愛情表現もいいかもな。

 夜の散歩から帰ってきたあと。宗一郎の姿はどこにもなく、初奈だけが家に一人残っていた。

 なんでも仕事関係で急なトラブルがあったらしく、部下の人間が迎えに来て行ってしまったそうだ。大手広告代理店のエリート社員様も大変である。

 今日は夫婦揃って泊まっていく予定だったので、鬱陶うっとうしい旦那がいなくなったのは正直ありがたい。

 すっかり冷めてしまった食べかけの夕飯を初奈が温め直してくれたので、俺はそれを今いただいている最中だ。

 恵理那はというと、先に汗を流したいということで風呂場へ直行した。


「ごめんなさいね、拓ちゃん」

「なにが」

「その、宗一郎さんのこと」

「気にすんな。でもさすがにあの態度はちょっと驚いたな」


 圧迫面接にも似た口調で相手に考える隙を一切与えず、自分の優位性を構築し、相手に自分の方が上だと分からせる。三流政治家辺りがよくテレビの討論会などで見せる話術だ。


「私の方からも感じが悪いからやめてって前から言ってはいるんだけど。まったく聞き入れてもらえなくて」

「大手広告代理店のエリート社員様の妻も大変だな」

「もう、なにそれ皮肉?」

「いんや。本音を言ったまでだが」


 宗一郎がいなくなったこともあり、会話の距離感をいつもみたいなフランクの方向に戻っていた。

 うん。こっちのほうが昔馴染みの親戚同士に戻ったみたいでしっくり来る。

 二人で残った夕食のおかずをつまみに一杯やり、会話も弾む。


「そっちこそ恵理那とは上手くやってるの?」

「じゃなきゃ夜の散歩の付き添いなんてできないだろ」

「言えてる。あの子、どういうわけか昔から拓ちゃんに懐いてるわよね」

「そうだっけか。歳取ると昔の記憶が思い出せなくてな。忘れた」


 久しぶりに食べた初奈の卵焼きはほど良く醤油と砂糖で味付けされ、この一品だけでご飯何倍でもいけそうだ。


「そうよ。一緒にいる時間の長い私よりたまに来る拓ちゃんと遊んでる時の方が楽しそうで」

「思い出した。たくあん事件か」

「いや! 思い出さないで!」


 初奈は顔を両手で隠し、恥ずかしそうに頭を左右に振った。


「恵里菜が初奈の真似して俺のことを「拓ちゃん」って呼ぼうとしたら甘噛みして「たくあん」になっちまって。そしたら初奈がめちゃめちゃツボったんだよな」

「いちいち説明しなくていいから! うぅ......拓ちゃんの嘘つき。しっかり覚えてるじゃない」


 指の間から初奈がめつける。

 結婚して随分大人っぽくなったと思ったが、恥ずかしがり方と怒り方といい、俺の知っている初奈が確かにそこにいた。


「......また思い出、増やしていけたらいいね」

「ん? なんか言ったか」

「ううん。なんでもない。それよりも拓ちゃん聞いて」

「なんだよ」

「私ね――しばらくここで生活することになったから」



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