第4話【再開の、従姉】

 子供の頃。物心がついた時から俺は、若い女性に対し何故か正体不明の恐怖心めいた感情を抱いていた。

 同年代の女子も当然その対象内で。女友達はおろか会話することさえ一苦労だったのは今でも鮮明に覚えている。

 そんな情けないガキんちょだったからか、男子だけでなく女子からもからかわれ、学校に行くのは正直苦でしかなかった。

 楽しみと言えば家にこもってするゲームと、家族で年に四季の数だけ訪れる、母方の実家である真中家に遊びに行くこと。


「あー! 拓ちゃんまた隠れてゲームやってるー! ゲームは一日一時間までって私と約束したでしょー!」

「うるさいなぁ。やることなくて暇なんだから仕方ないだろ」


 俺がいま使わせてもらっている部屋は元々母親の親父、つまり俺からすると祖父じいちゃんに当る人が使っていた部屋だった。

 泊まりに行くとそこを根城ねじろとして買ったばかりのゲームに没頭する。


「――よし、開発完了。これでこいつとあいつを掛け合わせれば新しい機体が作れるはず」

「まだそのゲームやってるの? 去年も、その前の年も、いつも同じゲームばっかりやってて飽きない?」

初奈はつなには同じに見えるかもしれないけどなぁ、これは先週発売したばかりのシリーズ新作なんだ。作れる機体数も年々増えて、なんと今回は合計1000体もユニットが登場するんだぞ」

「でもやることはいつもと一緒でしょ?」


 子供とは時に、無自覚かつ残酷な一撃を放ってしまう。

 初奈は何の悪気もない顔で正論を口にする。


「......あ~あ、なんか急につまんなくなってきた」

「ご、ごめんね」

「いいよべつに。俺んとこに来たってことは何か用があって来たんだろ」


 コントローラーを投げ出し畳の上に大の字に寝そべると、初奈が申し訳なさそうに隣に体育座りし、横髪をいじる。

 初奈が俺に頼みごとをする時に決まって行う仕草だ。

 

「一緒に武市商店行こう」

「今日もかよ。昨日も行ったろ」

「だってアイスの当たりが出たんだもん。早く交換しないと無くなっちゃう」

「無くなりゃしねぇって、おれたち以外に誰があんなおんぼろボロボロの店に買いに来るっていうんだよ」

「一緒に来てくれたら半分あげる」


 初奈が昨日買ったのは二つに割って食べるタイプのアイスではなく、棒状の、ごく一般的なアイス。つまり合法的に間接キスが許されるということ。

 あの頃の俺は初奈に明確な好きの感情を抱きはじめていて、とにかく漫画やアニメに出てくるような恋人的シチュエーションに好奇心旺盛だった。


「......しょうがねぇなぁ、初奈一人だとおばさん心配するだろからついてってやる」

「やった! ありがとね拓ちゃん!」


 起き上がりこぼしが起き上がる時みたいにシュンッと綺麗な所作で立ち上がる。


「居間にいる大人たちにちゃんと言ってこいよ。俺はひと足先に外で待っててやるから。我が愛馬のカギはどこだ」

「なに言ってんの。拓ちゃんが去年パンクさせてからずっとそのままだよ」

「うそだろ?」


 田舎は自転車のタイヤのパンクすら直すのにも一苦労で。特に祖父ちゃんが亡くなってからというもの、一度パンクしたらワンシーズン放置されることはざらにあった。


「じゃあ初奈の貸せよ。二人乗りで行こうぜ」

「ダーメ」

「なんでだよ」

「だってたっちゃんの運転怖いんだもん。昔二人乗りして田んぼに落ちそうになったのもう忘れたの?」


 唇を尖らせ拒否の意思を示されてしまった。

 それはお前が同年代の女子より少々ぽっちゃり気味だからだよ、とは口が裂けても言えなかった。

 まぁ俺も当時もやしで非力だったせいも多少はあるだろうが。


「私は歩いて行くよ。代わりに拓ちゃんが私の自転車に乗って」

「んなダセーまねできるか。いいからお前が乗れ」

「でもでも」


 初奈は子供の頃から自分よりも他人を優先してしまう優しい子だった。

 だからこそ俺は、そんな癒しを与えてくれる初奈に単純にも惚れてしまったのかもしれない。

 

「じゃあジャンケンで決めるか。それならはっちゃんも文句ないだろ」

「......うん。わかった」


 二人で何かを決める際は必ずじゃんけんを行う。そして気付かれないよう後出しをし、

わざと負けてやる――初奈の笑顔が見たくて――。

 子供にありがちな好きな相手に意地悪をしてやろうなんて気持ちは一ミリも湧かず。

ただ初めての恋を子供なりに純粋に堪能している自分が、確かにあの時存在していた。

 

 *


『仕事の話はこの辺にしといて。みやびさんの最新、見てくれました?』

「見たよ。見ないと誰かさんがうるさいからね」


 いつも通りビデオ会議アプリで得意先の一人でもあるYouTuber『カイト』と納品したばかりの動画の確認が終わると、彼お待ちかね? の世間話のターンが開始される。


『で、どうっスか』

「どうも何も、相変わらず素人の撮る写真としか言いようがないな。アングルも中心から微妙にずれたものばかりだし」

『そこがまたいいんじゃないっスか!』


 PCの音が割れる。

 主に子供向け科学動画をアップし幅広い世代からの人気が高い彼も、プライベートでは大の人妻裏垢、つまりエロ垢好きという、決して良い子には知られてはいけない一面を持っていた。聖人せいじんほど一皮剥けばアブノーマルな本性が顔を出すとはよく言ったものだ。


『その辺にありふれたインプレ稼ぎのすぐに丸裸になる痴女のエロ垢と違って、まだ恥ずかしさを捨てきれないウブな感じが男心をくすぐるんスよ』

「ま、まぁ。言わんとしたいことは分かるが」

『でしょ? 同士がこんな近くにいて嬉しいッスよ。ウチの連中、誰一人としてあの良さを理解してくれないんスから』


 どの世界にも、素人だがプロに負けない光るものを持つ存在というのはいたりする。映像の世界でもしかり。大抵そういった人材はちょっとコツを掴んだだけで恐ろしく化けたりするのを前職で何度も見てきた。

 あの女性がダイヤの原石かはともかく。スタイルも若干細身ではあるものの出るところは出ていて、おまけに肌も白くて綺麗。何より、俺個人として不思議と惹かれるものを初見の時から感じていた。

 そうだ。俺は仕事上仕方なくをよそおっておきながら、人妻裏垢『雅』を毎回欠かさずチェックを入れている。


『多分俺の見立てだと雅さん、30歳はいってないと思うんですけど。いいとこの出の女性が家や仕事での欲求不満のけ口に人妻裏垢を作ってしまった。そんな見立てっスかね』

「アダルト動画とかエロ漫画の見過ぎ。仮にいいとこの出だとしても、んな危険な真似をしなくても他に欲求を満たす方法はいくらでもあると思うけど」

『その方がロマンがあるでしょ。妄想を抱くだけなら誰にも迷惑かからないし、押し付けず個人の自由で楽しむのが人妻裏垢の醍醐味だと、俺は思いますけどね』


 さすがは日本のみならず世界中にその触手を広げる自称ワールドワイドなエロ垢王子。

 エロスを力説する彼の姿は絶対に彼を尊敬する世の子供たちには見せられない。

 一応大事な得意先の一人でもあるので、いつも通りヒートアップする前にこちらが先に折れておく。


「趣味の探求もいいけど、本職の探求も忘れないようにね。子供向けチャンネル二年連続一位狙ってるんだろ。今のままだとちょっと厳しいかもよ」

『あちゃ~。痛いとこ突きますね』

「遠慮なく言ってほしいって言ったのはカイトじゃないか」


 大事な得意先の一人ではあるが、彼とは五歳年下で関係としては少し年の離れた兄弟に近いのかもしれない。


『確かに。自分もこのままだとヤバイ感じをびんびん肌で感じてるんですけど、なかなか打開策が見つからなくて』

「そういう時こそ原点に立ち返ってやってみるのもありなんじゃないかな。長く続けてるとどうしても最初の頃が良かったっていう層がある程度出てくるわけだし。新規開拓もいいけど、一度離れてしまった人たちに狙いを定めるのも面白いんじゃない」


 なあなあにもならず、かといって分厚い壁を一枚をへだてるわけでもなく。

 お互いプライドや生活がかかっているからこそ、ただのフリーの動画編集屋の垣根かきねを超えて本音をぶつける。全てはいい作品を作るために。


『なるほど......正直俺、新規開拓ばかりに目がいって、離れて行った人たちのことなん

かほとんど考えたことなかったです』

「普通はそうだろうよ。去るものは追わずって良く言うけど、下手に新規さんを狙うより、一度でもチャンネル登録してくれた層を

再び沼に落としてやった方が面白いだろ」

『相変わらず、山城やましろさんの発送は面白いっスね』

「ありがと」


 さも偉そうなことを自分の部屋のゲーミングチェアにふんぞり返って言ってはみたものの。相手は明らかに俺の使っているゲーミングチェアよりも何倍も値段もするやつを使っている勝ち組YouTuber。言い終わってから恥ずかしさで顔が熱を帯びる。

 

『そうですね。人がまずやらないことをするのがYouTuberの基本。山城さんに騙されたと思っていっちょ原点回帰してみますか』

「ちなみに何があっても俺はこれまで通り一切の責任は取らないので。自己責任でよろしく」

『大丈夫ですって。あながち山城さんの言うこと、間違ってない気がするんスよ』


 得意先が一つでもなくなるのはこちらにとってもかなりの痛手だ。でも本人が構わないと言うのであれば、俺は率直に感じた感情をありのまま伝える。フリーランスになってからその辺りの人間関係での立ち回り方が上手くなったような気がする。

 と会話の最中。窓の外、家の敷地内の坂を車が降りてゆく音が聴こえた。


「......ん?」

『どうしました?』

「いや、なんでもない。じゃあ次回の動画楽しみにしてるよ。もちろんファンの一人としてもね」

『了解しました! それじゃまた!』


 ビデオ会議アプリの映像が切れ、窓の外を覗こうと立ち上がり空きスペースに止まった車を凝視する。ここからでははっきりと見えない。が、誰が来たかは当然前もって知っている。

 それから数分後。

 インターホンも鳴らずにガラガラと気持ちのいい音を立て、ステンレス製の玄関の扉が開く。


「久しぶり」

「......おう。久しぶり」


 柔らかな雰囲気の中に、懐かしさを含んだ、大人っぽい魅力。そして......力の抜ける笑顔。

 数年ぶりに会った初奈は、一瞬小さく驚いたような表情を見せ、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「ごめんね、本当は長女の私が実家に戻ってこないといけないのに。代わりに恵理那の面倒見てくれて」

「......気にすんな。俺もちょうど前住んでたところを出なきゃいけないタイミングだったから」


 顔を直視できない。なんとか頭は動かさず視線だけを落とした矢先、見えてしまった。左手の薬指。初奈が結婚した証である指輪が。


「恵理那は?」

「ちょっといま友達と図書館に行ってる。ああ見えてもあいつ、一応受験生だからな」

「ああ見えてって。恵理那は見た目は派手だけど、中身は結構真面目なんだよ」

「知ってる」


 真面目だからこそ好きな人と結ばれた時のことを想定し、俺と恋人の予行練習を重ねてしまう――同じ屋根の下で暮らすようになり、期間限定の恋人関係を結んでからも、彼女の印象の乖離かいりをまったく感じさせなかった。

 恵理那のことをふと考えていると、初奈の後ろから大きなスイカを抱えた見知らぬ若い男が現れた。


「おい初奈、お前も荷物運ぶの手伝ってくれないか――あ」

「......どうも」


 コイツが、初奈が選んだ結婚相手......。

 写真でしか見たことがなかった人物を前にし、改めて初奈がになってしまったんだなと実感が湧き、胸が苦しくなった。

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