第3話【恋人の、勉強】

 恵理那えりなの手料理はお世辞抜きに美味い。

 コンビニがない田舎では気軽に弁当を買うという、都会ではごく当たり前の選択肢もなく、自炊ができないと最悪生死に関わってくる。


「ふぅ。ごちそうさま」

「お粗末様でした。今日もまたいっぱい食べたね」


 無駄にだだっ広い家の和室の居間には、俺と恵理那の二人きり。

 食べ終え両手を合わせると、向かいに座る恵理那が頬杖をつきながら満足そうな笑みを浮かべていた。


「お前が作りすぎなんだよ」

「じゃあ残せばいいじゃん。そんな毎回無理して全部食べなくても」

「もう少し日持ちするものがあれば、俺だってそうしたいところなんだがな」


 お前今日の夕飯も見て見ろよ、という風に空になった食器類たちに視線を送る。

 俺がこの家、真中家まなかけに引っ越してきてからというもの、毎晩何かしらの刺身が出るのは当たり前で。プラス肉料理に家庭菜園で取れた食材を使用した品が3・4品。

 いくら恵理那が食べ盛りなJKにしても、俺は座り仕事でそこまで日々体力は消費しない。今日みたいなウォーキングは特別だ。


「足りなかったらどうしよう? って思ったらつい、ね☆」

「ね☆ じゃねぇ。ちょっとは想像力を働かせてみたらどうなんだ。ま、お前の空っぽの頭じゃ無理か」

「むうっ。受験生に向かってその言い方はないんじゃない、先生~」

「誰が先生だ誰が。......はぁ~」


 ちょっと息苦しく、だらしないと分かっていながらも、食後の癖でだらしなくその場であお向けに寝そべってしまう。


「あ~いけないんだ~。食べてすぐ寝ると牛になっちゃうよ」

「お前のせいでこうなってんだろうが。それに食べてすぐ寝ることを悪くとらえてるみたいだが、実は短時間だったらむしろ身体にいいんだぞ」

「え、そうなの?」


 恵理那が半信半疑に食いついた。


「長時間『寝る』行為が逆流性食道炎を引き起こす原因に繋がるからダメなだけであって、15分20分の短時間『横になる』行為自体は、消化促進しょうかそくしんや脳のリフレッシュ効果的があるんだ」

「さすがはたくにぃ。物知りだね。テレビのうんちく王とか出たらいい線行きそう」

「褒めても何も出ないぞ」


 俺自身どこで仕入れたか忘れたうんちくを、さも自分の知識同然に語り、恵理那がそうなんだと頷く。

 こんなやり取りをかれこれずっと続けてきた。一種の二人の会話のルーティンみたいなものだ。 


「じゃあ私もちょっと横になろうかな~」

「......なんでわざわざこっちに来るんだよ」

「いいじゃ~ん。うんちくを教えてくれたご褒美ってことで。お納めください」


 俺が子供の頃から既にこの家にあった、分厚く畳三枚分ほどの大きさを誇る木のテーブルを四つん這いでぐるっと回り、恵理那はすぐ隣へと寝そべった。

 武市商店たけいちしょうてんに出かけた時は珍しくよそ行きのワンピース姿だったのが、家に戻ってからはいつの間にか見慣れたキャミソールにショーパン姿へと着替えをすませていた。


「夕飯食ったばかりだぞ。少しは休ませろ」

「そのわりには下のほうの拓にぃはやる気みたいだけど」


 横に身体をかたけた俺の首に抱き着いたと思えば、今度は片手を下半身へと忍ばせる。

 肩甲骨の辺りをこの世のものとは思えない柔らかな物体が押し当たり、恵理那の吐息が耳元をくすぐる。 

 恋愛のお勉強開始の合図だった。


「んっ......」


 対面へ向きを変え、強引に恵理那のピンク色の唇にかぶりつく。

 瞳は一瞬大きく見開き、舌を入れればすぐにうっとりととろけ出す。もっとほしいと首の後ろに回った腕が強く締まり、こちらも負けじと痛くしない程度に恵理那の頭の後ろに手を添え、口内責めをアシスト。

 畳の上をぴちゃぴちゃとなまめかしい音を立てて泳ぐ男と女が、そこに生まれた。

 

「......はもっ......はぁ......んっ......」


 少し前に比べてだいぶ息継ぎが上達してきている。感情に流されるがまま求めていた最初の頃が嘘みたいに。優しさと、激しさと、緩急をつけて本気で堕としに来ているのが伝わる。

 だがこちらも大人の男として、人生の先輩として主導権を握られるわけにはいかない。


「んふぅっ!?」


 キャミソールの上からピンポイントで胸の中心を当てにゆく。親指は見事に深くめり込み、その証拠に恵理那からは大当たりの嬌声きょうせいが上がった。

 傾きかけたバランスが戻り、完全に主導権をこちらが収めるべく、マッサージの要領でさらにゴリゴリと親指をねじ込む。おまけに駄目押しでもう片方も。


「ぐっ......んんぅっふ!?」


 恵理那の瞳からこぼれた一筋の涙が頬を伝って唇まで流れ、唾液と交ざりあって俺の喉元へと運ぶ。

 流した時の感情によって涙の味は変わるというが、いま口の中を支配する味は、ほんのり甘かった。


「......して、いいよ」


 息も絶え絶えの恵理那が呟いた。


「して......いいから」


 繰り返し、懇願こんがんするようにうったえる。


「今すぐここに......拓にぃのもの......入れてほしい」


 言葉の意味を理解できないほど、俺はバカではない。

 下半身をムズムズさせ、左手でショーパンのボタンから下をなぞる。

 それはつまり、キスからその先へ――普通の恋人が当たり前にする行為を、恵理那は望んでいる。しかし俺は。


「......終わりだ」

「え」

「そういうのは、本当に大事な時まで取っとけ」


 世の男性陣の中には処女を好む連中が一定層存在すると聞く。

 恵理那の好きな相手がそのタイプかは謎だが、俺なんかが一時の情に流されてむやみに奪っていいものではないんだ。


「......ごめんね、ちょっと調子にのりすぎちゃった」


 寂しそうな笑みを浮かべ、恵理那は俺から離れた。


「何かあったか」

「......気付いちゃった?」

「今日はやけに積極的だったからな」


 食べ終わった食器をまとめている最中、どうしても気になって訊ねた。

 すると恵理那は一度天井を見上げてからため息をつき、ゆっくり正面へと向きこう言った。

 

「うん。あのね......来週、お姉ちゃんが帰ってくるの。旦那さんを連れて」


 初奈と、その夫がこの家に――6年ぶりに初恋の人と会えるというのに、俺の心はざわざわと嫌な音を立てて騒ぎはじめた。

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