鏡のような君は

九戸政景

第1話

 最愛の人を亡くしたのは、もう三年も前になる。出会った瞬間にこれは運命だと確信して、何度もアタックを続けてようやく交際を始めた。彼女の事を想うだけで胸が一杯になり、彼女とのデートはいつだって幸せな気持ちでいた。結婚だって考えていたからそのための費用を貯金していて、いつか子供も欲しいねと話しながら一夜を共にする時もあった。


 けれど、彼女は、各務かがみさくらは亡くなってしまった。不慮の事故が原因で、彼女の命は奪われてしまったのだ。俺は毎日のように悲しみに暮れ、彼女が亡くなってからしばらくは食事も喉を通らなかったし、なんなら後を追って死んでしまおうかと思うくらいだった。けれど、彼女がそれを望んでいるとは思えなかったし、俺も死ぬ勇気はどうしても出ず、そのまま生ける屍のような形でこの三年を生き続けてきたのだ。



「いい加減に立ち直ってもいいんじゃないか?」



 ある日、同僚がそんな事を言ってきた。同僚の御堂みどう遼太りょうたは、俺や彼女と同期の奴で、俺が彼女の事を好きなのをすぐに察知して、何かと一緒になるように根回しをしてきた。もちろん、それには感謝している。そのおかげで俺は彼女と付き合えたし、御堂もそれを祝福してくれて、結婚式での友人代表スピーチは任せろと言ってくるくらいだった。



「各務の事は残念だったし、お前がショックを受けてるのも知ってる。けどさ、今のお前の姿は正直見てられない。死んだのが各務じゃなく、お前に見えてくるよ。三良みら

「……実際、もう死んでるのかもな。肉体的にじゃなくて心がさ」

「顔も青白くて目に光もない。そんな姿で三年も生きててくれたのが奇跡なくらいだ」



 御堂はそう言うが、俺に彼女の後を追うだけの勇気が出なかっただけなのだ。そうじゃなければ、俺も今頃は故人だ。



「いっそ死んでしまえば楽になるのかな」

「そんなこと言うなって。各務がそれを望んでるわけじゃ──」

「わかってるよ!」



 思わず大声を上げてしまう。オフィスにいた他の人達が何事かといった顔で見てくる。怒りと悔しさ、悲しさと苦しさがごちゃ混ぜになった気持ちを抱えながら御堂を見ていると、御堂は哀しそうな目で俺を見てきた。



「……悪かった。そうだよな、それはお前が一番よくわかってるよな」

「俺もごめん。けど、やっぱり立ち直れる気はしない。桜が生きていた頃から、桜以外の女性なんて考えられないと思ってたし、この心の穴を埋められる人がいるとは思えない」

「お前の各務への入れ込み方はほんとすごかったからな。聞いてるこっちが胸焼けするかと思うくらいだったぞ」

「それだけ……好きだったからさ」



 これまで恋愛とは縁がなかった。周囲はちょこちょこ恋人が出来たとかデートでこういう事をしたとか話していたけれど、桜と出会う前の俺にとっては遠い世界の話だと思っていた。だけど、桜と出会った事で俺の世界は180度変わった。


 これまで白黒だった世界が鮮やかに色づき、枯れていた大地には花が咲き誇っていくような感じだった。ちょっと詩的な表現にはなったかもしれないが、それくらい俺にとって桜との出会い、そして毎日は掛け替えのないものだったのだ。



「桜……」

「まったく……今日、仕事終わりに飲みに行くぞ。せっかくだから、お前の気が済むまで話聞くからな」

「ありがとうな、御堂」

「どういたしまして。ほら、今日も仕事頑張ってくぞ」

「ああ」



 心の中で改めて御堂にお礼を言いながら俺はひとまず気持ちを切り替えた。そして始業の時間になり、朝礼をするために部長が立ち上がった時、部長は何かを思い出した様子で手をパンと叩いた。



「そうだ。今日から新しい人来るんだった」

「えー、そうなんですかー?」

「部長、そんな大事な事を忘れないでくださいよ」

「あはは、ごめんごめん。人事部長がそろそろ連れてくるはずだけど……」



 すると、部屋のドアがノックされて人事部長が入ってきた。けれど、入ってきたのは人事部長だけではなく、その顔に俺達は驚いた。



「え……」

「うそ……」

「これ、どういう事だ……」



 驚くのも無理はない。何故なら、連れてこられた人の顔は。



「桜……」



 亡くなった俺の恋人、各務桜にそっくりだったのだから。

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鏡のような君は 九戸政景 @2012712

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