離婚式

秋田 優

ままならないから:真衣の章

「それでは、旧郎旧婦のご入場です。」


 司会の一言で煌びやかな会場の話し声が止まり、しんと静まり返ったのが扉の外からわかった。私は横の夫だった男を一瞥する。扉がコンコン、と叩かれたのち、会場への道が開かれた。これは披露宴である。私とこの男の終わりを告げるための。


 浩介こうすけと結婚したのは今から八年前、私が高校を卒業してまもなくの十八歳の時だった。きっかけは息子のまさを妊娠したことだった。当時、二十八歳になっても定職に就いていなかった浩介は、私がそれを告げると、即座に婚約を申し込んできたのだ。

真衣まい、結婚しよう。責任を取る。」

 私はそれを聞いて不安に苛まれた。なんの根拠と自信があって、その甲斐性で結婚だなんて口にできるのだ。しかし、それと同時に幸せに思ってしまう自分もいた。

 浩介との交際は周りからよく思われてなかった。それもそのはず、十も歳上でフリーター、さらに女癖も悪い男だ。だが、いかんせん顔は整っていたし、女性の扱い方の上手さは類を見なかった。大学生の頃はホストのバイトをしていたと聞いたが、納得だ。浮気を何度咎めたかわからない。それでも私は彼を愛してしまっていた。

 そんな彼が他の女を捨てて私といることを選んだことを嬉しく、誇らしくも思ってしまったのだ。


 開かれた扉の先に進む。私の友人や家族、浩介の友人や家族が一斉にこちらに目線を向ける。控えめな拍手が聞こえる。

 綺麗な黒いカーペットの上をヒールがコツコツと音を立てて歩く。浩介とは手も組まず、歩幅が合うことはない。目の前に主役席が現れ、ゆっくりと腰を下ろす。


 私は結局、浩介のプロポーズを受け入れた。それから浩介は人が変わったように就職活動に専念していた。私はというと、雅を妊娠したことで高卒で入った会社で間もなく休職することになった。結婚式をするいとまもお金もなかった。

 浩介の就職活動は難航した。まともな職歴のない彼をあえて採用しようという企業はそうそう無い。厳しい現実に打ちひしがれる彼を私は献身的にサポートしていたが、出産が近づくにつれて私も余裕を失ってしまい、言い争いが増えた。

 私は友人に会うたびに別れろと迫られていたが、どうしてもそれはできなかった。雅のため、というのは表向き。私は彼を失いたくなかった。


「それでは、旧婦のご友人の石原美沙いしはらみさ様からご挨拶いただきます。」

 司会が呼びかけると、私の友人の美沙が立ち上がり、マイクの前に歩いてきた。

「ご紹介賜りました、真衣の友人の石原と申します。真衣、おめでとう。別れる決断をしたのは辛かったと思うけど、それが貴女の幸せに繋がると信じています。」

 隣で浩介が苦笑するのを感じる。おめでとう、とはなかなか皮肉なものだ。

 美沙は続けて私が別れるまでの経緯を彼女の知る限り話してくれた。浩介は終始俯いていて、挨拶が終わると同時に「参ったな」と呟いた。その寂しげな横顔に心を揺さぶられてしまうのが私の欠点だな、と思う。


 浩介の就職が決まったのは出産予定日のわずか二週間前だった。帰ってきた浩介は私を強く抱きしめ、仕事が決まったよ、と言った。ベンチャー企業の営業職だった。どうやら、電動のキックボードの企画・販売をしている会社らしい。そこで私は「ああ、やっと普通の家族として暮らせるんだ」と涙した。

 だが、現実はそう甘くなかった。

 雅が産まれてから、浩介は仕事にのめり込んだ。ほぼ毎日深夜まで帰らず、休みの日も寝てばかり。育児に追われてすり減った私を気にも留めなかった。

 一年はそんな生活を続けていたとき、ついに私は爆発した。なんで私のことを見てくれないの、雅の面倒をちゃんと見たことないよね、ねぇ、なんでそんな平気でいられるの。

 普段なら言い返すはずの浩介は私に気圧され、目を泳がせるばかりだった。


「続いて、旧郎のご友人の小野健おのたける様よりご挨拶いただきます。」

 司会が呼びかけると、次は浩介の友人の小野君が立ち上がる。

「えー。ご紹介いただきました。浩介の友人の小野です。彼とは高校時代からの付き合いです。まずは真衣さん、浩介がご迷惑おかけしました。彼は悪いやつではないんですが、不器用で後先を考えないところがあります。それが度重なり、こんな形になってしまったと思います。」

 浩介はじっと見つめている。

「それでも彼は真衣さんに本気でした。でも、想いだけじゃ家族にはなれませんね。残念ですが、真衣さんと浩介のそれぞれの道での幸福を願います。」

 小野君の言う通りだ。なんだ。


 私が不満を爆発させてから、浩介は気を遣ってくれるようになった。浩介の仕事も順調だった。給与も格段に増えて、生活に余裕もでき、貯蓄もそこそこできる頃には雅は四歳になっていた。

 やっと家族らしくなってきた。そう思った矢先のこと。

 浩介の会社で販売していた電動キックボードが暴走し、乗っていた幼い女の子が死亡する事故が起きた。それも、浩介が担当していたエリアの家族の娘だった。

 急転直下。浩介の会社はこの事故によってメディア・SNSで激しく非難された。幼い女の子を亡くした両親がテレビに映されるたびにその炎は激しさを増していく。世間からは白い目で見られ、浩介は退職した。

 それからの日々は以前のように逆戻り。彼はフリーターをしながら転職活動を行ない、持ち前の話術と経験で再び別のベンチャー企業の営業として内定を獲得した。

しかし、その会社も浩介が入社して数ヶ月で経営危機に陥り、苦しい状況になった。

それに加えて、いまだにママ友の間でも浩介が以前いた会社の製品の事故について囁かれており、私と雅は孤立し続けていた。

 いつまで私はこんな不安定な日常を送らないといけないんだろう。

 そんなように毎晩考えているうちに、浩介とはどうしても上手くいく未来が見えなくなってしまった。

 ある日のこと、仕事から帰ってきた浩介に私は玄関でこう告げた。

「浩介、私たち別れよう。」


「これより、旧郎旧婦によるラストバイト、ケーキ入刀となります。」

 司会がそう言った後、式場のスタッフが大きなナイフを持ってきた。

 私と浩介の二人でナイフを持つ。これが私たちの最後の共同作業。

 浩介が今日のうちで最も私に近づいて、手を重ねる。

 ああ、やっぱり好きだな。でも、見るべきは浩介でなく、だ。

 親族席で私たちを見守る雅を見つめる。私がこの子を守らないといけないんだ。

 ケーキにナイフが入り、やがてテーブルにトン、と当たる。拍手が起こることはなかった。

 すかさずスタッフがナイフを回収し、代わりに大きなスプーンを私に手渡す。ラストバイトでは、ケーキを食べさせ合うのではなく、ぶつけ合うことになっている。

 二人で切ったケーキの一部分をスプーンで掬い上げ、浩介の眼前に掲げる。

「浩介、今までありがとうね。」

 浩介の表情を見ないようにして、顔に目掛けてケーキをぶつけた。

 会場に今日、初めて少しだけ笑いが起きる。続いて、浩介がスプーンを持ち、私の眼前に掲げる。目を瞑って少ししたら、顔に優しくケーキが当てられた。

 なんだかこのケーキ、しょっぱいなぁ。

 ケーキまみれのお互いを見つめて、私たちは久しぶりに笑い合う。


 さようなら、私の好きな人。






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離婚式 秋田 優 @akita_yu

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