第20話 欽慕草

「サラサさんにはこれを。足元にお気をつけて」

「ありがとうございます。涼風様」


 合子山に到着した頃には、すでに辺りは薄暗くなっていた。妖とは違い、夜の山では人間の視界は限られるため、涼風はサラサに提灯ちょうちんを持たせてくれた。


「火を使っていないのですね。それに普通の提灯よりも明るい」

「天狗の呪いが込められた特殊な提灯です。僕が意識している間は灯が点いたままですし、引火もしないので安全ですよ」


 砌が存在感を消す編笠を作ってくれたように、同じく天狗である涼風も特別な道具を作ることが得意だった。禍津獣の件を抜きにしても、暗い森を移動するのは危険が伴う。サラサの安全には涼風も気を遣っていた。


 道を知る涼風が先頭を行き、三人は緩やかな登山道を登っていく。いつでもサラサを守れるように、鵺はピッタリとサラサの隣を歩き、周囲を警戒している。


「涼風様は、どういった経緯でミドリさん親子と知り合ったのですか?」


「実は一週間前に僕は、禍津獣がうろついているとは知らずに合子山に入ってしまい、襲撃を受けたんです。身軽さには自信があるので逃げることには成功しましたが、左腕に傷を負ってしまいました。山を下りて治療しているところにミドリさんとユカリさんが通りがかって、家にきてゆっくり治療をしてくださいと声をかけてくださったんです。僕は妖ですし、怪我自体は大したことはなかったのですが、ミドリさんもユカリさんもまるで身内のように心配してくれて。その優しさが嬉しかった」


「その気持ち、分かります」


 サラサは鵺に命を救われた時のことを思い出していた。母親以外で初めて自分に優しい言葉をかけてくれた人。出会いは時に人生を大きく変える。


「ミドリさんが体調を崩したのも、同じ日のことでした。泣きじゃくるユカリさんのことを放ってはおけなかったし、その日からお家に滞在し、薬を調合しながらミドリさんの看病を続けてきました。彼女たちは僕を気づかってくれた。僕はその恩返しがしたいのです」


「絶対に欽慕草を持ち帰りましょうね」

「救ってみせます。ユカリさんのためにも」

 

 力強い涼風の言葉には絶対にユカリの命を救うという覚悟が滲んでいる。先頭を行く背中が大きく見えた。そうしてしばらく山道を進んでいると。


「……鵺殿。この感覚」

「サラサ、私の後ろに」


 山の中腹に差し掛かると、涼風が足を止め、鵺が一歩前に出てサラサを背中に庇った。夜の山は静かに思えて意外に生き物の声が聞こえてくるものだが、それが少し前からパタリと止んでいた。山が禍津獣を恐れている。


「暗くても分かる。西から来ます!」

「私が受け止める。涼風、サラサを頼むぞ」


 サラサが禍津獣の黒い影を捉えると同時に、地面が揺れ、木々が擦れるような音が響き始める。巨体が近づいてきている。狙いは間違いなくサラサだろう。鵺は一時的にサラサの身を涼風に預け、掌に雷を溜めて巨体を迎え撃った。


「ウワーン!」

「喚くな。山の生き物たちの迷惑だ」


 鵺は体当たりしてきた巨体に両手で雷の掌底を打ち込み、その勢いを完全に打ち消し、受け止めた。雷が夜の山を照らし出し、鵺と肉薄したその巨体の全貌を捉える。禍津獣は土色の体毛の巨大な猿のような姿をしており、右腕だけが巨大に発達していた。


「巨大な猿? あの禍津獣は一体」

「うわんと呼ばれる種です。その名の通り右腕が発達していて、その一振りは木々をも簡単になぎ倒す。肉体も強靱で、僕は手も足も出ませんでした」


 サラサを背に庇い、涼風は雷の閃光とうわんに目を細める。自然治癒能力と自ら調合した薬の効果ですでに傷は塞がっているが、感情に刺激されているのか疼きのようなものを感じていた。


「噂には聞いていたが、鵺殿の本当に強い。あの巨体を相手に力負けしないとは」


 鵺も偉丈夫とはいえ、うわんの巨体はそのさらに三倍もある。うわんは自慢の右腕で鵺へと殴り掛かったが、鵺はそれを両手で軽々と受け止め、一歩たりとも後退はしない。それどころか雷を纏った鵺の両手と接触したことでうわんの右腕から白煙と共に鮮血が飛び散り、猿に似た顔にも苦悶の表情が浮かんでいる。


「事は一刻を争う。一瞬で決めさせてもらうぞ」


 鵺の姿が一瞬で消え、力の均衡が崩れたうわんはバランスを崩して前のめりに倒れた。次の瞬間、鵺はうわんの遥か頭上に現れた。全身に雷を纏い、かかと落としの体勢で急速で効果した。うわんは咄嗟に巨大な右腕を掲げて防御姿勢を取ったが、その判断は誤りだった。


 落雷の如き速度で降下した鵺のかかとは、盾となったうわんの右腕と接触した瞬間、まさかりの如く破壊力で易々と右腕を焼き切り両断。勢いは止まらずそのままうわんの頭部もかち割った。鵺の強力な一撃はまさしく落雷であり、うわんの巨体はそのまま炎上。限界を迎えて完全に消滅した。


「うわんを一撃で倒してしまうとは。鵺殿には何とお礼を言ったらいいか」


 うわんを撃破し安全が確保されたことで、涼風とサラサは鵺の元へと駆け寄った。


「これぐらいどうということはない。それよりも火の始末を頼めるか? 範囲は絞ったが木々に燃え移れば事だ」

「もちろんです。幸いにも日中の雨で水分が多い。消火には十分でしょう」


 そう言うと涼風は天狗の術で周囲の水たまりから水分をかき集め、鵺の攻撃で発生した火の消火を開始した。鵺も周囲に燃え移るものが無いことを確認した上で攻撃に転じたので影響は最小限。消火作業も直ぐに完了した。



「綺麗! まるで星空を歩いているみたいです」


 うわんの驚異が去り、一行は目的地である欽慕草の群生地へと到着した。夜の山の中で多数の欽慕草がその特徴である淡い光を放っており、その幻想的な光景を前にサラサは無邪気に声を弾ませた。欽慕草の中に佇むサラサもまた神秘的な美しさを放っており、鵺はしばしサラサに見惚れていた。


「あまりサラサに見惚れるなよ。涼風」

「こちらも見ずによく言いますね。心配せずとも、鵺殿の特権を奪おうとは思いませんよ」


 鵺のサラサに対する思いに苦笑しつつ、涼風は早速、欽慕草の採取へと取り掛かった。必要な量を採取して山を下りたら、早速薬の調合に取り掛かろう。そうすれば朝までには薬が完成するはずだ。


「涼風様。私もお手伝いします」

「私も手伝おう」


 三人がかりで欽慕草の採取を進めていく。おかげで予定よりも早く採取を終えることが出来た。涼風の背負うカゴは欽慕草で一杯になり、財宝でも手に入れたかのように夜の中で光っていた。


「禍津獣を警戒する必要もなくなった。一気に山を降りるとしよう」

「僕に遠慮は不要です。足の速さについては鵺殿にも負けませんよ」

「鵺様。呼吸が苦しいので程々でお願いしますよ」


 サラサのことは鵺が抱きかかえ、鵺と涼風は妖としての足の速さと動体視力で一気に合子山を駈け下りていく。暗さも手伝ってサラサは最初は表情が引き攣っていたが、そこは流石は鵺。サラサの安全第一かつ最速で下山してくれた。

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