親子と妖

第18話 涼風

 街道を移動する鵺とサラサは、麻織物の産地として知られるアサキ村の近くへと差し掛かっていた。アサキ村には宿泊施設が無いので、村には寄らず、もっと先にある宿場町で宿を取る予定だったのが、予期せぬ天候の変化によって、文字通り暗雲が立ち込めつつあった。


「降ってきたな」

「かなり強いですね」


 少し前まで天気が良かったのに、突然大粒の雨が降り出してきた。旅のお供に傘を持ち歩いてはいるが、それで凌ぎ切れるような勢いではない。


「私の力なら雨雲を晴らすことも出来なくはないが」

「無茶はお止めください。これもまた自然の営みですから」


 雷の妖である鵺ならば誇張を抜きに気象に干渉することも可能だが、それは本来この土地に振るはずだった雨を奪ってしまうことは他ならない。もちろん鵺だって本気で実行しようなどとも思っていない。


「無論、冗談だ。少し先にお堂が見える。しばらく雨宿りをさせてもらおう」

「賛成です。あれぐらいの距離なら傘も持ちそうですね」

「サラサは傘を差していてくれ。一瞬で駆け抜けるぞ」

「きゃっ」


 サラサの体を抱きかかえ、傘を預けると、鵺は俊足で一気にお堂まで駆け抜けた。

 元々周囲には自分たち以外に街道を利用している旅行者はいなかったし、視界が悪くなるほどの強い雨だ。少しぐらい妖としての力を使っても問題はない。文字通りの一瞬で二人はお堂まで到着した。


「着いたぞサラサ。あまり濡れていないといいが」

「お、おかげさまであまり濡れないで済みましたが、危うく勢いで傘が持っていかれそうになりましたが」


 サラサの笑顔は若干引き攣っている。濡れるのは最小限で済んだが、傘を手放さないように必死で余裕がなかった。


「雨宿りのため、少しだけ滞在をお許しください」


 礼節を持って一礼すると、サラサはお堂の扉を開けた。


「あなた方も雨宿りですか。突然の雨でしたからね」


 お堂の中には先客がおり、若草色わかくさの小袖を着た男性がお堂の隅に腰を下ろしていた。年齢は二十代前半といったところだろうか。頭に手ぬぐいでほっかむりをしているが、襟足が長く白髪が覗いている。表情と声色は穏やかで、細身の優男といった印象だ。


「は、はい。びっくりしてしまいますよね」


 先客がいるとは思っていなかったので、サラサは僅かに緊張する。呪いのかけられた編笠で顔を隠しているとはいえ、狭い空間でマジマジと顔を見られたら真紅眼であることがバレてしまう可能性は否定できない。お堂の扉はしまっていたが、鵺が人間離れした俊足で到着した瞬間を見られていないかも心配だ。


「おや、お嬢さん。珍しい目をお持ちのようですね」


 サラサの背筋に悪寒が走った。顔は隠しているはずなのに、真紅眼のことがバレている。男性の声色は攻撃的ではなく温厚だし、魂の色も澄んだ若草色をしていたが、真紅眼を見抜かれたことで過去の辛い記憶を思い出し、激しく動揺してしまった。


「心配するなサラサ。この者に敵意はない」


 サラサの背中を鵺が優しく抱き留めた。先客がいたことは鵺にも予想外だったが、幸いにもサラサに悪意を持つ存在ではないらしい。


「体にまといし風の気配。狗賓ぐひんか」

「狗賓の涼風すずかぜと申します。以後お見知りおきを」


 涼風と名乗った男性がほっかむりを脱ぐと、隠されていた狼のような耳が露わとなった。狗賓とは天狗の種族の一つであり、狼に似た身体的特徴を有している。鵺の友人には、同じく天狗である鴉天狗の砌がいるし、各地を巡る中で何度か狗賓と会った経験もある。纏う気配だけで涼風が狗賓であると見抜いていた。


「私は鵺。雷の妖だ」

「ああ、あなたが鵺殿でしたか。旅の中で何度もお名前を耳にしたことがありますよ。砌殿とも交流があるとか」

「同じ天狗として、砌のことは知っていたか。あいつにはよく世話になっている。彼女の被っている編笠も砌の特性でな」


 会話に入るきっかけを掴めずにいたサラサに、鵺はそう言って視線を送った。


「サラサと申します。涼風様、先程は失礼なことを。申し訳ございません」


 妖だと知らなかったとはいえ、警戒してしまったことをサラサは詫びた。鵺や彼者誰ノ里の妖たち、ウグイスの町の宿の女将との出会いを経て少しずつ己の真紅眼のことを受け入れられてきているが、それでも長年染みついていた負の記憶と咄嗟に身を守ろうとする習慣はそう簡単には消えてはくれない。


「こちらこそ怖がらせてしまい申し訳ない。真紅眼を持つ者の苦難は聞いています。僕も人間の前では、この特徴的な耳を隠している身だ。もっと相手の気持ちを重んじるべきでした」


 今この瞬間も、涼風の魂の色は澄んだ若草色をしている。彼が清廉な人物であることの証明だ。初対面の時の印象通りの優しい人物なのだとサラサも感じ取った。お互いに謝れたことで、気まずさは徐々に無くなりつつあった。


「涼風様も旅をされているのですよね。目的地はどこなのですか?」

「僕の旅は修行として意味合いが強く、勉強のために各地を巡っています。路銀を稼ぐために、商人としての顔も持っていますが」

「修行と言ったが、薬師の勉強か?」


 天狗の中でも狗賓は特に薬学に秀でていると砌から聞いたことがあった。鵺の予想は当たり、涼風は頷きを返した。


「狗賓の里の周辺だけでは、採取出来る薬草の種類にも限りがありますから、より見識を広めるために外の世界へと飛び出しました。里では見られなかった珍しい素材や景色を見られますし、正体を隠しながらではありますが、旅商人として人間と交流する時間も嫌いではない。良い経験が出来ていると思います」


 涼風の屈託のない笑顔からも旅の充実ぶりが伺えた。一方で妖は正体を隠しながらでなければ人間と交流することが難しいのが黎明ノ国の実情だ。涼風も本心ではそのほっかむりを脱いで、有りのままの姿で旅をしたいことだろう。


「旅が充実しているのなら何よりだが、ずいぶんと軽装だな。商売道具も見えないようだが?」


 お堂に着いた時点で気になっていていたが、涼風は着の身着のままで荷物を持っていななかった。薬師として旅を続けるならば、薬を調合するための道具や売り物となる薬が不可欠のはずだ。


「実はここ二週間ほど、近くのお家に間借りさせていただいているんです。道具や薬の在庫もそこに」

「正体を隠しながら滞在するのはやりづらかろうに、何か訳ありか?」

「……いえ。大したことでは」


 涼風は一瞬迷いながらも、言葉を飲み込んだ。同じ妖として鵺には親近感を覚えているが、初対面の相手にするような話ではないと遠慮が勝ってしまった。


「ここで会ったのも何かの縁だ。困り事なら話ぐらいは聞くぞ。どの道この雨ではすぐに出られんしな」

「鵺様のおっしゃる通りです。困った時はお互い様ですよ。涼風様」


 突然の雨に見舞われてお堂に駈けこまなければ、こうして涼風と出会うことは無かった。これもまた巡り合わせだ。急ぐ旅というわけではないし、事情によってはお節介を焼くことを鵺とサラサはすでに心に決めていた。


 この人達にだったら話してみてもいいのかもしれない。涼風は自然と口を開いていた。


「薬の材料にするため、近くの合子山ごうしやまに自生する欽慕草きんぼそうという薬草を採取したいのですが、群生地を強い禍津獣がうろついていて、近づくことが出来ないでいます。何とか採取出来ないかと、この一週間機会を伺っているのですが、今日もそれは叶いませんでした」


 天狗の種族の中では、狗賓は戦闘能力が低い。人間を上回る身体能力や嗅覚を有しているが、強い禍津獣が相手では分が悪く、実力行使で欽慕草を採取することは難しかった。


「どうしてこの場所にこだわる? 旅を続ければ、他の群生地が見つかる可能性もあるだろう」

「……あまり時間がないのです。救いたい命がある。治療するためには、欽慕草が必要だ」


 涼風は覚悟を決めて深く息を吸うと、真っ直ぐ鵺を見据えた。


「鵺殿。お力を貸してもらえませんか?」

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