一章 蒼穹に飛ぶ

第2話 遭遇


 受取人の体格のいい男は、ぴかぴかに磨き上げたホイールに、早速指紋をつけながら満足そうに笑った。


「おう、いい仕上がりだな! ありがとさん。また頼むよ!」


 そこの錆び取りと磨き上げが一番大変だったんだけどなぁと、セリオスは内心で肩を竦めた。すぐに、まあいいかと、自分のものでもないしと思い直す。

「はーい、毎度ありがとうございました」

 軽い調子で答え、セリオスは作業帽をかぶり直しながら、ぺこりと適当に頭を下げた。ベルトバックを上から触って、忘れ物がないか確認し、譲り受けたがらくた屑の入った雑嚢ざつのうを背負った。

 そんなに沢山入ってないが、随分重たく感じる。……もう少し筋肉が欲しいな。そんな事を思いながら、ふらりと大通りを目指した。


 相も変わらず日差しは弱くて、けぶる空模様は微妙だ。少し湿った工業地の煙臭い空気も、下水道口から立ち上る微弱な刺激臭も、日常的過ぎて最早臭いを感じる事の方が少ない。

 軒を連ねる煤けた街並みの屋根の向こうでは、煙突がいくつも建ち並ぶ。今日もどこぞの工場で、せっせと空の色を薄くするように、煙を吐き出している。

 時折、空を横切る反重力装置を登載した二輪車レベラルが、忙しそうに横切るくらいだ。


「やっぱいいなぁ……あれ」


 反重力装置を登載した乗り物は普及しているとはいえ、簡単に手に入る程のものではない。セリオスは自分が乗りこなす様を想像しながら、とぼとぼと往来を目指して歩いた。


 道の集まる広場は、昼の時間もあってか人通りは多くない。大通りまではもう少し先で、そこまで行けば市場も賑わっているだろう。

 通りに面した雑貨店やカフェが、いくつかのんびりと店を開けている。最も、あまりにも静かに店を開けているから、お客が入っているかも怪しい。

 今日は珍しく、閑静なカフェには客が入っているらしい。先にあるそのカフェの路肩に、エンジンがかけられたままになっている二輪車レベラルから、静かな駆動音がしていた。


 確かテイクアウトが主力のカフェだったか。自分のお昼ごはんはどうしようかな、と、なんとなく思う。

「うわ、かっこいい……」

 遠目に二輪車レベラルを見ながら、無意識に呟いていた。


 きっと既製品ではない。持ち主がわざわざカスタマイズしてるのだろう。

 重たい荷物が沢山運べる利便性より、やはり見た目を重視するべきか。自分が今手を加えている“作品”を思い浮かべて比較しながら、セリオスは頭を悩ませた。

 外観を理想的にするよりも、いっそ反重力装置を取り入れて、飛べるようにするべきか。見た目と性能、どちらを取るか非常に悩ましく思う。



 セリオスが何気なく目を奪われつつ歩いていた時、不意に背後から駆けてくる足音に気がついた。

「うん……?」

 思わず目線だけそちらに向けると、真っ先に見えたのは白だった。顎の位置で切り揃えられた頭髪は真っ白で、弱い日の光に輝いて見えた。

 毛先だけ桃色なのは、きっと染めているからではなかろうか。走るのに合わせて軽やかに揺れている。


 次に目に止まったのは、こちらに目もくれずに真っ直ぐ先を見据えていた赤い瞳だ。セリオスよりも頭二つは小さい。

 幼さを残す表情から察するに、女の子ではなかろうか。中性的な顔立ちは、少年と言われても不思議ではない。


 走るのに不向きそうな、膝丈まである白いワンピースの裾をはためかせながら、真剣な表情をしていた。首もとのレースのストールもまた、走るのには不向きだろう。


 彼女は何にそんな急いでいるのだろうと、横を抜けて行った背中を、何気なく見送る。

 同時に、おや? と気がついた。彼女が目指していたのは、そのエンジンのかかったままの二輪車レベラルの元だ。

 もしや彼女のものだろうか。だが、それにしては体格に合っていなさすぎると、セリオスはすぐに否定した。


 セリオスが何気なく見守る先で、彼女は案の定、二輪車レベラルに向けて躊躇う事なく飛び乗った。

 ひらりと舞い上がるワンピースの裾に、思わず目を取られてしまう。

「あ」

 危なそうだな、と。セリオスが思うのと同時だろうか。ブレーキも握らずにハンドルを握っていた姿は、身体が乗るより先に、二輪車レベラルだけが吹っ飛んでいった。


「うわっ……痛っ!!」


 酷い音を立てて、その二輪車レベラルは路肩の庭木に突っ込んでいた。

 走れる状態のまま停めていた方にも問題大有りだが、彼女も彼女だ。咄嗟に手を離していた事だけは救いだろうか。べちっと床に落ちただけの衝撃で済んだのは行幸だ。

 セリオスに見せてしまったのは……白い、カボチャパンツだけである。不可抗力だった。


 関わらない方が良さそうだ。そう思って目線を反らそうとするより前に、がばりと身体を起こしてこちらを振り返った少女としっかり目が合ってしまった。顎から打ち付けなくてよかったねと思ったのも束の間、慌てて反らそうとしたものの、次の瞬間には駆けてきた彼女に腕を捕まれていた。

「助けて」

 逃げる間も、考える暇もなかった事に戸惑って、セリオスは一歩後退りした。

「え、いや……」

 しかし同時に逃げ出せなかった。真っ直ぐに見上げる目は真剣そのもので、有無を言わせない迫力があったせいだろうか。

 迷ってる余裕も与えられなかった。彼女がやってきた方と、それから音を聞き付けた周囲から、人の気配が来るのが解った。

「もう、しつこいなぁ……! お兄さん、こっち!」

「え、ちょ、ちょっと?!」

 ぐいっと強く腕を引かれて、セリオスはやはり振り払う事が出来なかった。不意を突かれたせいもあるが、少女の力が思いの外強かったせいもある。


 ただ、彼らが細い路地に入っていく様をずっと眺めている人影があった事に、二人はついに気がつかなかった。



 * * *



「悪い、ルーザ。待たせたな――――」


 ほくほく顔で店から出てきた男は束の間、テラス席にのんびりと座っていた姿から、その先にあるはずのものを見て首を傾げた。

「……て、あれ? ルーザ、俺の二輪車レベラルどこいった?」

「あそこにあるけど」

 ルーザと呼ばれた男は、肩を竦めて指差した。残念だったねと告げられて、食べ物の包みを抱えていた青年はただ戸惑う。

「え? なんで? え……?」

「だからあれほど、きちんと停めろと言っただろう? リシュリオ。結構すごい音したけど、聞こえなかったの?」

「え、何?! お前それ言う為だけにあれやったの?! 酷くねぇ?!」

「まさか。僕じゃない」

「えー?! もう何それ、お前犯人見てたなら止めろよな?!」

 リシュリオは声を震わせながら、慌てて二輪車レベラルの元に向かっていった。しれっと肩を竦めたルーザは、仕方なさそうに席を立つとその背中をゆるりと追う。

「うう……酷い。あんまりだ。どうしたらこんな突っ込み方出来るんだよ……。ここまで作るの大変だったのに……」

「リオ」 ぶつぶつと呟く背中に、ルーザは背後を伺いながら声をかけた。

「落ち込んでるとこ悪いんだけど、お客さんだ」

 間もなく、人相の悪い大柄な男達に六名程に囲まれていた。

 なんでよりにもよって、と言わんばかりに、不貞腐れたリシュリオは、彼等にうんざりした目を向けた。

「……俺らに何か?」

「おいお前ら、ガキを見ているだろ。何処に行ったか言え」

 高圧的に言われたところで、リシュリオに心当たりはない。そもそも偉そうにされる理由も、リシュリオにはなかった。

「知らねぇよ。なんだお前ら」

「隠し立てすると痛い目に合うぞ」

「は?」

 苛立ち混じりにリシュリオは、男達をただ見やる。


「あーあーやだなあ」


 深く溜め息をこぼしながら、手にしていた紙袋を二輪車レベラルの脇に置いた。二度目のどうしようもない溜め息は、己の災難を嘆いていた。

 げんなりとしつつも、身体を解すように軽く肩を回していた。ぱしっと軽い音を立てて、自身の手のひらを拳で打つ。

「こちらとらイライラしてんだ。いちゃもんつけたのはそっち。売られた喧嘩はちゃーんと買い取ってやるから、てめぇら感謝しな」

 かかってこい、と。人差し指だけで手招いた姿に、男達も怒気を増した。

「……やれやれ」

 その横で、ルーザも仕方ないと肩を竦めながら、口元だけ楽しそうに笑っていた。

 

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