〈忘都〉アテニア/4


「……つーわけで、あたしにはめっっちゃ最強の魔法がかかってんだよね」


 たださあ、と髪を掻いてまつりは笑う。


「ななおが引っ越すって聞いて、あたし、頭ん中ぐちゃぐちゃになっちゃって。やだ、とか、行かないでとか、そんな感じのことばっか言っちゃったっぽいんだよね」

「それは……仕方ないのでは? 幼い子供なら」

「ん。さんきゅ。離れたくないって思ってたのはホント、なんだけど、さ。あの時に言いたかったのは、本当に伝えたかったのは、もっと別の……」


 言葉が途切れる。

 十七になってもまだ、その感情を呼ぶ適切な名前は思いつかないでいた。


「……その後も手紙はちょいちょい送りあってたんだけど、お返事こなくなっちって。あたしの方は前に言った通り、自撮りを始めてこれじゃんってなったわけ。あの時スマホ持ってたら、ななおと一緒に自撮り、絶対したのにな。以上! はいキメて!」

「なぜ急に撮ったんですか!?」

「照れ隠しに決まってんだろー。語っちまったぜ恥ずかし」

「……素敵な思い出だと思います。その、ありがとうございます」

「さんきゅ♡ あーもうオリヴィア大好き!」

「抱き付かないでください。邪魔です。はしたないですよ」

「かわいすぎるって意味でしょ、それ。褒めんなよ♡」

「ああもう! 魔力の無駄遣いをさせないでください!」


 抱きついたままもう一度、コンパクトの側面を押して自撮りする。まつりのいたずらな笑顔と、オリヴィアの少し朱い仏頂面が小さな鏡に記憶された。


「ぃよっと。……カーニャちゃんもさ」


 まつりは岩から立ち上がって、海のように広がる霧を眺める。その何処かに沈んだというアテニアの街を。

 一歩後ろにオリヴィアは立ち、まつりの背中を見守った。


「特別顧問と呼んでください」

「特別コモンちゃんもさ、大聖女ちゃんのこと大好きじゃん?」

「……そう、ですね。そうかもしれません」

「ね、オリヴィア」

「はい」

「あのさ。……えーっと。聖女、って…………まあいいや、なんでもない! 今のなし! 自撮りしよ!」


 オリヴィアは何も言わず、背を向けたままのまつりに並ぶ。

 コンパクトを持つ手が持ち上がるのを待って、その手を支えるように下から触れた。


「貴女のタイミングで、まつり」

「ん」

「想い出は灯火――霧の夜に、迷える我らを導き給え」


 オリヴィアの静かな詠唱から三秒、四秒。

 鏡には霧と雪を纏った峻険な〈白峰〉の威容、オリヴィアをぐいと抱き寄せて、二人の頬が触れ合う。

 魔力を注がれたコンパクトの側面を、まつりの指がそっと押した。鏡が淡く輝き、霧を払う【想い出】が生まれた。



 〈忘都〉アテニアが霧に沈んだのは、二百年の昔のことだ。

 霧に呑まれたものは消える。消えて、忘れられて、なくなる。それが世界の理だ。

 だから、その石造りの街並みが残っていたのは、奇跡に他ならない。


 丘から風が強く吹いたかのように霧が散っていく。灰色がかった白の石で作られた街が、二百年ぶりの夕暮れの光に照らし出される。

 街は坂がちで複雑で、遠くから見ると複雑な紋様を象る石の並びに見えた。

 丘には大聖女を祀る神殿が、街と〈白峰〉を望んでいる。


 〈望都〉アテニア。


 記憶と変わらぬ街の姿と、そこにはもう誰もいない事実を見て、カーニャは自分に泣くという機能が残っていることを思い出した。

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