隣の彼女

見鳥望/greed green

「何してんの?」

「ん? ああ、磯貝」

「ひょっとして、傘ないの?」

「恥ずかしながら」

「そ」

「参ったよ。で、置き傘でもパクろうかなと思ってた所だった」

「うわ、極悪」

「そこまでか?」

「じゃあ、入る?」

「ん?」

「傘。どうせ駅までは一緒でしょ」

「いいのか?」

「みすみすこの学校から犯罪者を出すわけにはいかないし」

「大袈裟だろ」

「あ、でも新井君こそいいの?」

「何が?」

「いや、彼女」

「ああ。まぁ、大丈夫だよ」

「ほんとに?」

「それぐらいは分かってくれるよ」

「じゃあ、行こっか」

「わりい、頼むわ」

「仕方ないわ。朝は晴れてたもの」

「だよな」

「でも夕方雨って予報は出てた」

「俺責められてる?」

「そう思うならそうかもね」

「やな刺し方してくるなお前って」

「刺したのはそっちでしょ」

「え?」

「なんでもない。よく言われるのそれ」

「じゃあ直した方がいいだろ」

「優しさって人の為にならないと思うから」

「お前どんな修羅場くぐってきたんだよ今まで」

「だってどうせ今ここで優しくしたって、他の誰かに厳しい言葉を向けられるか、無知のまま自覚なしに痛い目に会い続けるかのどちらかよ」

「失敗した事のない男の人生の話を思い出したよ」

「何それ?」

「単純な話だよ。何一つ不自由なく一度も失敗を経験した事のなかった男が、初めて失敗を経験した瞬間、あまりにも失敗に慣れてなくて耐えきれずにどうにかなっちまったって話」

「ずいぶん曖昧な逸話ね」

「細かい内容は忘れたけど、お前が言いたいのはそういう事だろ?」

「そうかもね」

「曖昧な返事だな」

「どっちでもいいんだけどね。どうせどれだけのものを積み上げても人は死ぬんだし」

「すげえ寂しい事言うな」

「事故で死ぬかもしれない、病気で死ぬかもしれない。急にミサイルを落とされて国ごと滅ぶかもしれない」

「お前そんな暗いやつだっけ?」

「明るいと思われてた事にびっくりしてる」

「いやだって普通に友達とかと喋ってるし」

「それはそれ。これはこれ」

「意味分かんね」

「雨の日ってなんか嫌だよね」

「急になんだよ」

「嫌じゃない?」

「そうだな」

「雨の日って、なんだかバランスが崩れるみたい」

「バランス?」

「そう。全てのバランスが歪む感じ。雨の日って、事件が起こりやすいんだよ」

「そうなのか?」

「最近もあったでしょ。女の子が殺された事件」

「ああ」

「彼女、怒ってないかな」

「何で怒るんだよ」

「死んで間もないのに、女の子と一緒に歩いてるから」

「お前、何なんだよ」

「だからバランスが崩れるの。雨の日は」

「意味わかんねえって」

「ちゃんと見えなくなるの。いえ、見えなくてもいいものまで見えるの」

「……」

「駅、着いたね」

「新井君じゃないよね。殺したの」

「何言ってんの?」

「ずっと横にいるよ、彼女」

「……」

「ずっと見てるよ、新井君の事」

「そっか」

「それだけ?」

「俺に何か言ってるか?」

「何も。見てるだけ」

「そうか」

「国見さん、だっけ。彼女」

「ああ」

「ちゃんと見てもらった方がいいよ。何か言いたそうだから」

「そうするよ」

「じゃあね。見てるからね、私」

「気持ち悪いよ」

「人殺しの方が気持ち悪い」

「勝手に犯罪者にするな」


 そう言って、磯貝は先に電車に乗った。方向は同じだったが、俺はホームに残った。


「あの姉ちゃん、勘違いしてるみたいだな」


 俺は自分の横にいる女の子に顔を向けた。

 彼女のお腹には死んだ今も尚、赤い沁みが広がっている。









「…何やってんだよ、お前」


 雨の日だった。思えば雨の日になると国見涼子はいつもそわそわしていた。

 雨の日になると会う予定の日でも”雨だから”という理由だけでキャンセルされた。別にキャンセルする事ないだろうと言っても涼子は譲らなかった。


 そんな彼女に不信感が募り、俺は雨の日に彼女を何度か尾行した事があった。ただふらふらとあてもなく歩いているように見えたが、やがて一つの目的があるように感じるようになった。


 女の子。


 彼女の視線がいつも、小さい女の子に向けられている事に気付いた。

 見ているだけの日もあれば、声を掛ける時もあった。


『行方不明の女児が死体で発見』


 そんなどこかで見たような凶悪なニュースが頭の中に流れた。

 そんなわけない。頭で何度も否定した。

 涼子はどこにでもいる大人しく可愛い女の子だった。その普遍的な姿がとても魅力的だった。涼子がそんな事をするわけがない。


 そう思ったのに。


「涼子」


 その日も雨だった。予定をキャンセルされた俺はまた彼女を尾行した。しかしなかなか見つけられなかった。


『ねえ、山登り行こうよ』


 その時ふと頭に電流が走った。

 決してアクティブではない彼女が、ふいに山登りに誘ってきた事があった。

 場所はそう遠くはなかったが、特別なスポットがあるわけでもない場所だった。俺は何の疑いもなく彼女の申し出を受け入れ、二人で山を登った。


『わざわざ来ようとは思わない場所だね』


 彼女の言う通り、決して景色がいいわけでもない登り甲斐のない山だった。だが今思えば、彼女の目的は全く別だったのではないか。


 俺は急いであの山を目指した。

 そんなわけない。考えすぎだ。


「…何やってんだよ、お前」


 運が良かったとしか思えない。だがもしそうなら、どうせなら間に合ってくれてもいいじゃないかと神様を恨んだ。

 ここまで気付けたのに。

 涼子は蹲った女の子の前で呼吸を荒げていた。


「ダメなんだ。雨が降ると」


 瞳孔の開いた彼女の目は完全に狂っていて、だらしなく垂れた涎は野生の獣のようだった。


 そこからぷつりと意識が途絶えた。

 気付いた次の瞬間、女の子の横に涼子も同じように腹から血を流し倒れていた。

 俺の両手は当たり前のように血でどろどろに汚れていた。

 彼女が持参していたリュックの中から水とタオルを拝借した。

 自分だけを清め、二人の身体はそのままにした。

 捕まるなら仕方がない。いやに冷静だった。

 雨でおかしくなったのは、彼女だけじゃなかったのかもしれない。

 ひょっとしたら、彼女に不用意に着いていった女の子だってそうかもしれない。


 どうでもいい。全てを雨のせいにしよう。







 雨の日はバランスが崩れる。

 俺の隣には雨の日になると必ず涼子に殺されたあの女の子が出てくる。

 何か伝えたいのか、はたまた助けてくれなかった恨みなのか、それは分からない。

 だが磯貝は俺の隣に涼子の姿を見た。


 バランスが崩れている。

 俺には見えない涼子の姿を、国見は見ている。

 国見に見えない女の子の姿を俺は見ている。


 これに何の意味があるのだろう。

 それは分からないが、多分俺は近いうちに捕まるだろう。


 でもどうだっていい。

 どうせ全ては、雨のせいなんだから。




































































【某国から打ち上げられた不定期なミサイル発射。その意図や理由等、ただの威嚇や軍事力の誇示程度に思われていた行為だったが、それが既に他国への直接的な攻撃であった事に十年近くも気付けなかった事は愚かと言わざるを得ないだろう。


振りまかれた微粒の粒子は空気を漂い他国を汚染していった。即効性のあるものではなかったが、着実に地面に降り積もった粒子と上塗りのように精度が高められたその粒子は雨により昇華され、一瞬で全てを消し炭とするような破壊力とは違い、幻覚や殺人衝動など肉体的ではなく精神面に作用し、内部から誰も気付かぬうちに国を破壊していったのだ。


それが外部からの攻撃によるものとは露とも思わず自国を守るためだけに機能するべき自衛が全く何の役にも立たず、これは平和ボケと揶揄されても仕方のない史実だろう。


我々は過ちを学び、二度と同じ失敗を、悲劇を起こさぬよう、行動していかねばならない。その中で我々は――】

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