なっちゃんは、足を伸ばして遠出して

諏訪野 滋

なっちゃんは、足を伸ばして遠出して

 手術同意書に、なっちゃんと、彼女のママのサイン。なっちゃんは未成年だから、手術を受けるためには保護者の承諾が必要なのだ。

「太ももの骨を伸ばせるのは、一日一ミリが限度です。ほら、皮膚から出ている四本のピン。これらをつないでいる機械の表面に、小さなダイヤルがありますでしょう? これを四分の三回転させると、切った骨のところで隙間が一ミリ開く、って寸法なんです。そこに新しい骨が出来て固まり、結果として身長が伸びる。要は、骨折治療の原理を応用したものなんですね」

 僕が参考として出した術後患者さんの写真を、なっちゃんはカブトムシでも見るように目を大きく開いてのぞき込んでいる。なっちゃんのママは対照的に、なんだか心ここにあらずといった感じ。

 もぎたてのプラムのようにつるりとした太ももから、鈍く輝く金属ピンが何本も突き出しているその写真は、十二歳のなっちゃんを怖がらせるのではないか。そんな僕の心配をよそに、なっちゃんは決意を秘めた目で、僕の顔を挑むようにじっと見ている。

「この身長を伸ばす手術のことを、仮骨延長術、っていいます。なっちゃんのようにアコンドロプラージア、あ、すいません、軟骨無形成症のお子さんは、治療しないと最終的な身長は平均で百二十四センチにしかなりませんし、実際になっちゃんも百二十センチのところで伸びがほとんど止まっています。今回は太ももの骨を八センチ、来年にすね骨を八センチ伸ばすことで、身長を百三十六センチにすることを目標にしたいと思いますが、いかがでしょうか?」

 なっちゃんのママは髪の毛先をいじりながら、ただ一言。

「夏季、いいわね?」

 こくり、とうなずくなっちゃん。

「一日一ミリですので、八センチ伸ばすのに八十日。骨が成熟して機械を外すことが出来るまで、個人差もありますがさらに三か月。つごう約半年の入院になりますので、その間は併設の養護学校に通っていただきます。学校が付属していることが、小児専門の病院であるうちの強みだと思っています。小学生にとって、勉強は大切ですので」

 僕からの説明はお決まりの流れに終始し、なっちゃんのママにもそれは都合のいい展開だったようだ。

「同じようなお友達がいるから大丈夫よね? ママも週末には会いに来るから」

 こうして、なっちゃんの小学六年生は入院で始まることになった。


 なっちゃんは、生まれつき手足が短い。なっちゃんのママはそうではないし、パパもそうじゃないらしいけれど、僕もなっちゃんも彼女のパパには会ったことがないので、本当のところはわからない。

 額とあごが少し出っ張っているし、鼻もちょっと低いけれど、なっちゃんがむふふと笑うと、一緒に入院している周りの子供たちはみんな笑顔になる。そんななっちゃんがひとりでベッドの端に座って、くすんだガラス越しに青空を見上げていたりなんかすると、その横顔に僕は思わずどきりとしてしまう。


 手術は予定通り。太ももの外側の皮膚を切開し、大腿骨のそれぞれの端の方に金属ピンを入れ、その間を電動のこぎりで切る。皮膚を縫い、外に飛び出したピンを創外固定器と呼ばれる機械でつないで終了。もちろん、右と左のどちらとも。片方だけ足を伸ばしたんじゃあ、今よりももっと困るからね。

 麻酔から覚めたばかりのなっちゃんの目の端からは、きれいな涙がすうっと一筋。ウミガメの産卵と同じだ、と僕は考えることにした。ウミガメの涙というのは別に産みの苦しみというわけじゃなくて、体内の塩分を調整する為なんだと何かの本で読んだことがある。つまりは、ただの生理現象。だからなっちゃんのそれは、悲しみの涙なんかじゃない。そうでなければ、僕は自分が、なっちゃんに何か悪いことをしたんじゃないかと思ってしまうから。


 なっちゃんは病棟ではいつも、中学生の頃に不良と呼ばれる友達がはいていたような、妙に太ももの部分が膨らんだだぶだぶのズボンをはいている。そりゃあそうだ、身体につながっている機械なんて、自分も見たくないだろうし他の人にも見られたくないに違いない。まるっと隠したい、なっちゃんの乙女心である。

 ラッパーみたいで格好いいじゃん、と僕が言うと、ピンのところが痛いんだYO! と拍子をつけながら、薬指と小指を曲げた手の甲を向けてくる。包帯を外しながら、何そのジェスチャー、となっちゃんに聞くと、アフリカ大陸の形なんだYO! と返してきた。へえ、と感心しながら傷口を見ると、ピンの根元から黄色い汁が出てきている。少し化膿してるみたいだね、しばらく毎日洗おうか、と僕がいうと、うええ面倒くさい、となっちゃん。

 注射器で生理食塩水を傷口にかけながら、ふと尋ねてみる。

「ねえ、なっちゃんはさ。どうして背が高くなりたいの?」

「先生が、伸ばした方がいいって言ったから」

「え、僕? ほら、もっといろいろあるじゃない。人からじろじろ見られたくないとか、ジュース買う時にボタンに手が届くようになりたいとか、そんなやつ」

「先生はわたしのことじろじろ見ないし。それに、ジュース買う時も、先生がボタンを押してくれるでしょ?」

「今はそうかもしれないけれど、僕はただの研修医だからさ、もうすぐ別の病院に転勤になっちゃうんだよ。ずっとなっちゃんの隣にいるわけにはいかないんだ」

 そっか、となっちゃんは、きれいになった自分の傷を見つめる。

「それより、学校はどう? しっかり勉強してる?」

「つまんない、六年生は私だけだし。でもテストはいつも満点だよ。先生が小学生だったときより、いまのわたしの方が点数いいんじゃない?」

 それは事実。なっちゃんはとても頭がいい。

「でも中学校はどうしようか、うちの養護学校は小学校までしかないし。退院して中学校に入学しても、すねを伸ばすために、すぐにまた入院しなくちゃいけないよね。今度はさすがに休学するしか……」

「もう、入院はしないよ」

 さらりと言うなっちゃんに、僕は驚いて問い返す。

「え。すねと腕、どうするの。伸ばしたくないの?」

「先生が手術してくれるんじゃないんでしょ? だったら、しない」

「いや、誰がしても同じだからさ。手足を伸ばしておくの、大事だよ?」

 創外固定器をズボンで隠すと、なっちゃんはよっと診察台から飛び下りた。

「先生はさ。背が高くなったわたしを見たい?」

「それは、もちろん」

「手術してからもう六センチくらい伸びているはずだけど、手術する前と比べてどう? わたし、変わって見える?」

 なっちゃんはなじみの笑顔で、いたずらっぽく僕の顔をのぞき込んだ。キラキラ飾った言葉なんて、きっとすぐに見透かされてしまう。なんせ彼女は頭がいいからね。

「いや、毎日会ってるからさ。正直、よくわからないんだ」

 こういうのを、馬鹿正直って言うんだろうな。

「そうでしょ? だったらこれ以上伸びなくても、わたしはもういいかな。先生、成長したわたしにぜんぜん気付いてくれないんだし」

「本当にごめん」

 はあっとため息をついたなっちゃんは、憐れむように僕を見上げた。

「ゆるさなーい。女の子は、男の子が気付かないうちに成長してるんだよ」

 なっちゃんは短い腕を腰に当てると、目を細めて笑った。


 宿舎から引っ越しの荷物を運び出していると、両手に松葉杖をついたなっちゃんが、ひょこひょこと僕の隣に歩いて来た。

「ごめんね、僕の方が先にいなくなっちゃって」

 僕が謝ると、なっちゃんは飄々と笑った。

「わたしの骨の出来が悪いんだもん、しゃーない」

「冬休みまでには、退院になるといいね」

「この機械を外してくれるのは、次に来る先生?」

「うん、そうなると思う」

 なっちゃんは荷室がほぼ埋まったワゴン車を退屈そうに眺めていたけれど、ふと思い出した様に、肩掛けポーチの中からメモ帳と鉛筆を取り出した。

「退院したら、先生の家に遊びに行くから。住所、おしえて」

 僕は少しの間、いろいろな事を考えた。

「あのね。医者と患者って、そういう付き合いしちゃいけないんだよ」

「でも先生は、明日からわたしの担当じゃないんでしょ。だったら、もう気にしなくてもいいんじゃないかな」

「なっちゃんのママが気にするでしょ」

「ママは、わたしのことを気にしたことなんてないよ」

 確かに、なっちゃんのママは毎週末どころか、二か月に一回、僕が説明のために呼び出した時にしか面会には来なかったけれど。

「もう、病院はあきあき。もうすぐ中学生になるんだから、いい加減にそとに出なきゃ、なんて思ってるんだけど」

「怖くはないの?」

 なっちゃんは片方の松葉杖を落とすと、短い指をすいと伸ばして、手持無沙汰だった僕の指に絡めた。

「こわがってるのは、先生の方でしょ」

 これも大当たり。僕はたじたじになりつつも、今までずっと気になっていたことを聞いておこうと思った。

「ねえ、なっちゃん。足を伸ばして、良かった?」

「うん。どこにでも、前より少しだけはやく行けるから」

「……それだけ?」

「わたしにとっては、それでじゅうぶん」

 間抜けなことに僕は、別れ際の今になってようやく、すっかり成長した彼女に気付いた。女の子っていうのは、知らないうちに自分の足で歩くようになっているものなんだ。松葉杖を拾うためにかがんだ僕の頬に、とどめを刺すようになっちゃんは音を立ててキスをした。

「ここでの思い出は、もう必要ないでしょ。わたしも、先生も」

 なんでもお見通しのなっちゃんはそれだけ言うと、両脇に松葉杖を当てて、再びひょこひょこと病棟に向かって歩いていく。ようやく我に返った僕は、引っ越し先の住所を渡すために、なっちゃんの背中をあわてて追いかけた。


 彼女が足を伸ばす訪問先に、僕の家を加えてくれたなら、とてもうれしい。

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