一、パパとママとわたし
乱れ咲く島原の蘭
だっだっだ――! と、急な階段を駆け下りてゆく。
下り終える頃にはトーストの芳純な香りが鼻腔を撫でる。
洗面所から「おはよー!」と今日も元気にあいさつをする。じゃぶじゃぶ顔を洗って、ぱぱぱっと寝癖を直すと、キッチン前の朝食テーブルまで大股歩き。
「パパママ、おはよー!」
と改めて、元気にあいさつ。
洗面所からするあいさつは、「わたしがおきたよー!」って知らせるためのものだから、こっちがほんもの。
「「おはよう」」
と、パパとママがあいさつを返してくれる。
けれど、
「元気なのはわかったから、階段は走って下りちゃダメだって、いつも言ってるでしょー」
ママが、わたしの分の目玉焼きを焼きながら、ムッとした顔で言ってきた。
「ごめんなさーい」
とテキトーな返事をしながら、わたしはパパの正面の席につく。
「もぉー、パパからも言ってあげて。あんな高いところから落ちたら、ただじゃ済まないんだから」
目玉焼きをくるっと裏っ返しにしながら、ママはわたしのお叱りをパパに任せる。
わたしの正面で、トーストにバターを塗るパパが、にやにや、のほほん、とした顔で、「ゆっくり下りないと、去年のパパみたいになっちゃうぞー」と自虐を織り交ぜ注意する。
「ちゃんと注意して。」と、目玉焼きを白いお皿に乗っけるママ。「お義父さんとお義母さんから引き継がせてもらったお家なんだから、大切に住んでくれないと。――って、本来、パパが言うべきなんだよ」
パパが、トーストにオレンジママーレイドを塗りながら、「それはそうかもしれないけどさ、こんな元気な姿、もしかすると、あと数年で見られなくなるかもだから。今という時間をしっかり堪能しないとね。あむ」と、トーストをおいしそうに頬張った。
「そぉーだよねえ、ぱぱー。よっちゃんなんか、毎日『おとーさんきらーい』って言ってるもん。他のみんなも言うんだよー」
「だからって、」
ママがなにかを言おうとした時、ガシャン、と、ポップアップのトースターから、わたしの分のトーストがほくほくお出まし。わたしはそれに手を伸ばし、
「――あちっ」
すこし、やけどしたかも。それでもトーストをプレートに乗せると、ママの分の食パンをセットする。タイマーもセットしてー……。
「もぉー、去年のパパみたいに骨折しても知らないんだからね。はい、目玉焼き」
冷たい言い方ながらも、ママが、両面がいい具合に焼けた、もくもく湯気を伸ばす目玉焼きを持ってきてくれた。
ママの朝食はトーストとコーヒーだけ。
ママは、わたしの分の目玉焼きを作り終えると、ふぅと席に着いて、細い湯気の立つコーヒーをしんちょーに啜る。それからパンが焼けるのを待つ。
「…………」
わたしはテーブルを眺める。
わたしのまわりには、トースト一枚と、バターがひと欠片と、それから牛乳と、あと、
真っ赤な、真っ赤な、いちごジャム。
だけど、パパのところには、ふたつのジャムが、
オレンジ色のジャムと、
赤っぽいオレンジ色のジャムが置いてある。
わたしは、バターをべたっとつけて。
「パパ。ままーれいど、ちょーだい!」
もう少しでトーストを食べ終えそうなパパに、自分のトーストを突き出した。
パパが口に入ったトーストを呑み込み何かを言う前に、ぷくうっと顔のママが言う。
「だーめ。残りはママが使うんだから。それに、いっつもおいしくないって言うじゃん」
「えー、今日こそ、いけそーだもん!」
ママとパパがトーストに塗るジャムは、ママお手製のオレンジのママーレイドと、パパお手製のグレープフルーツのママーレイド。
月に二回、お休みの日になったら、ふたりでキッチンをせんりょーして、ふたりきりで楽しそうにジャムづくり。しかも味見し合って、おやつの時間にふたりでおいしそうに試食会。そんなの素直に、ずるいずるい。だけど、わたしはママーレイドが嫌いだから、べつにいいの。――でも、たまに食べられそうな気がするんだよね。ママーレイドを食べられるようになって、わたしもパパとジャムづくりしたいもん。
そう思い、パパが可愛いっていってくれた、ちょおーかわいい顔をして、おねだりをする。
「ぱぱぁ~、おねがぁ〜い」
直後、「もぉ~、仕方ないなぁ~」と、へらへら顔のパパが、ちょびっとトーストの隅にオレンジのママーレイドを塗ってくれた。
「あーむ」と、わたしはママーレイドのところをかぶりつくけど、
「――うわぁ~、やっぱきら~い」
甘いより、にがい、が、べろにべったりついちゃって、牛乳を流し込む。
「ほうらね」とママが言うけれど、まだグレープフルーツを試してない。
パパが今度は、ちょこっとトーストの隅にグレープフルーツのママーレイドを――、
「――あ、皮はいらん」
グレープフルーツの皮を除いてもらい、「あーむ」とママーレイドのところをがぶっと食べたけど、
「――ううぇぇ~」
今度は、甘いよりも、にがいとすっぱいが、べろにびっしりこびりついちゃって、牛乳をごくごく飲み干した。
「だから、言ったでしょー。パパのマーマレイドは、大人にならなきゃ、おいしさが分からないんだから」
ママが得意げに言う。
「うん? でもママもおいしさが分かったのは、この子が生まれてからって……」
「そ、そのとき、大人の自覚が生まれたんじゃない?」
ママがふいっと視線を逸らし、気まずそうに、気恥ずかしそうに言った。
「えぇ~、わたしもパパとママーレイド作りたーい、作りたーい! ママーレイドじゃなくてさあー、いちごのジャムつくろぉーよぉー!」
そうわたしが提案すると、
「それはだーめ」
と、ふふんと、ママがなぜか勝ち誇ったようなニヤニヤ顔で、さらには、
「マーマレイドに意味があるからね」
と、パパもにっこり笑顔で却下してきた。
「パパとママの、けちぃー」
「じゃあ、高校生になったら一緒に作ろう。オレンジだったら食べられるようになっていると思うからさ。それで、良いかな?」
パパが、食べ終えた食器を持ってシンクのほうへ向かいながら、そう尋ねてきた。
「じゃあー、はやく高校生になるー」
とムスッと顔で、わたしが言うと、
「いやいや。ゆっくりでいいよ」
とパパ。それからシンクの水を出し、ささっと食器とフライパンを洗うと、ママに「ごちそうさま。今日もありがとう」と優しい顔で言う。
そう言われたママの顔が赤くなる。
なんか、ううぇーって感じ。
「――もぉおおおおおお!」
わたしは、無性にお腹がイライラして、
「高校生になったら、わたしがパパのごはん作るし、」
いちごジャムを、べったあああり塗って、めーいっぱいに頬張る。
「わたしがパパとママーレイド作るもんね! パパ、ちょおー約束だよ!」
右手小指を突き出した。パパの大きな右手小指が、わたしのそれにそっと触れた。
「うん約束。三人でマーマレイド作ろうね」
「ぜったい、ぜったいね!」
「もちろん。じゃ、お仕事行ってきます」
「いってらっしゃいっ!」
「いってらしゃい」
「うん。いってきます」
パパが、お仕事へ向かった。
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