ダンジョン配信

第33話


記者会見から2か月後。


世界は今なお、ダンジョンの特異点と拉致事件の衝撃の中にあった。


拉致国家は事件への関与を頑なに否定し続けているが、信頼を完全に失い、国際社会からの孤立が深まるばかりだ。その国では連日抗議デモが繰り広げられ、政権に対する国内外の批判がますます高まっている。一方、各国政府は制裁措置を強化し、真相究明と再発防止の取り組みを進めていた。


ダンジョンへの関心も過熱している。


特異点の存在が公表されたことで、科学者や冒険家たちだけでなく一般市民の間でも謎への熱狂が広がり、様々な仮説が飛び交っている。中には、「地球外生命体や未知のテクノロジーとの関連があるのでは」という大胆な推測も。各国の研究機関や情報機関も独自の調査を始め、特異点を巡る競争は熾烈を極めていた。


そんな状況下で、星波兄妹のダンジョン配信がついに再開される。


この再開は、日米両国による協定の下、慎重に計画されたものだ。兄のレンはこれまで数々の階層を攻略してきた経験豊富なシーカーであり、その実力と冷静な判断力から再び挑戦の場に立つことが認められた。一方、妹のリナは最新技術を駆使し、独自の方法で探索に参加することとなる。


舞台は22階層――広大な氷の湖。


湖面は分厚い氷に覆われ、その下には奇怪で凶暴な生物が潜むとされる危険なエリア。兄のレンにとっては過去に何度も訪れた馴染みの場所だが、リナにとっては全く未知の世界である。


「リナを直接危険にさらすことはできない」と考えたレンと関係者たちが用意したのが、最先端のVRシステムだった。


リナは自宅からVRヘッドセットを装着。


その瞬間、視界が犬型ロボット「ポチ」へと切り替わる。ポチはアメリカの最先端技術を駆使して設計されたプロトタイプで、探索用に特化した視覚センサーや環境分析ツールを搭載している。通常はオートモードで周囲を撮影するが、リナが遠隔操作することも可能だ。このシステムにより、リナはダンジョン内に身を置く感覚で探索に参加することができる。


「あの日から一か月……ついに配信再開」


リナの感情のこもった呟きの後、彼女は視聴者に向けて丁寧に挨拶する。配信画面にはポチの視点が映し出され、リナの声が解説を添えていく。


この今まで家を守っていたリナが命名した「ポチ自立型犬型ロボット」は、アメリカの最先端技術によって大幅に改良され、新たに進化を遂げた。


このロボットは、最新鋭のVRリンク技術を搭載し、リナとリアルタイムで完全に視覚・聴覚を共有できるシステムを実現している。ポチが捉える高解像度映像は、リナのVRヘッドセットに即座に送信され、あたかも自分自身がその場にいるかのような没入感を与える。


基本機能はオートモードで、ポチ自身が周囲の状況を分析し、安全なルートを選択しながら探索をサポートするが、必要に応じてリナが直接操作するマニュアルモードへの切り替えも可能。さらに、内蔵されたAIは、音声コマンドによる指示に即座に応答し、気温や地形データ、さらには潜在的な危険信号をリアルタイムで解析・報告する。


ポチの本体には、自己修復型のカーボン合金製フレームが採用され、極限環境下でも耐久性を発揮。また、内蔵バッテリーは小型の結晶石融合技術を応用しており、数週間に及ぶ稼働を可能にしている。脚部には振動吸収機能と静音システムが搭載され、氷の上や不安定な地形でも音を立てずに移動できるよう設計されている。


特筆すべきは、「戦術支援モジュール」と呼ばれる機能だ。このモジュールは、周囲の地形スキャンや敵の動きの予測に加え、氷下の隠れた危険を可視化する特殊センサーを搭載しており、視覚データに危険エリアをリアルタイムでオーバーレイ表示する。これにより、リナはまるでゲームのHUDヘッドアップディスプレイを見るように、敵や障害物の位置を把握できる。


ポチはただのAIロボットではなく、リナの目、耳、そして知恵を補完する究極のパートナーとなった。


この技術革新は、今後、ダンジョン探索における新たな可能性を切り開く象徴として注目を集めていくこととなる。


そして、そんなポチから見るそこに広がる光景は息をのむほど美しかった。


視界いっぱいに広がる氷の湖は、滑らかで透明なガラスのように輝いている。湖の表面には繊細な氷の模様が走り、無数の小さな結晶が冷たい光を反射してキラキラと輝いていた。湖の縁には巨大な氷柱が垂れ下がり、天井から差し込む光に照らされて青白い輝きを放っている。


ポチの高性能カメラは、氷の下に潜む奇妙な魚影を鮮明に映し出していた。巨大なシルエットがゆっくりと動き、時折鋭い背びれが見える。その姿に、思わずリナは息を呑んだ。


「わぁ……すごい……」


視界一面に広がる白銀の湖。氷は厚く透明で、その下には奇妙な魚影が蠢いているのがはっきり見える。湖面にはひび割れた痕跡がところどころに残り、冷気が漂う。


「お兄ちゃん、これが22階層なんだね。綺麗だけど……なんか怖い」


「見た目は綺麗だが、この階層は厄介だぞ」


レンが微笑みながら答える声が通信越しに響く。その声にはどこか余裕が感じられた。


「お兄ちゃんは何度も来たことあるんだよね?」


「ああ、移動車両で通過するのが殆どだが、何度も来ている。この湖の攻略法はある程度頭に入ってるが、何が起こるかわからない。だから油断は禁物だ」


リナが操作するポチは軽快な動きで湖の周辺を歩き、周囲を観察する。湖の縁には氷柱が垂れ下がり、時折冷たい風が吹き抜ける音が耳元に響く。


「この階層は基本的に二つのルートがある。一つは湖の外周を回って安全な場所を探しながら進むルート。もう一つは、氷を割って湖の中にいる生物を倒しながら突き進むルートだ。近海程度の水深しかないから大したことは無い」


レンは湖面に立ち、足元を軽く蹴りながら説明を続けた。


「近海程度って……、それなら外周ルートは安全ってこと?」


「いや、安全ってわけじゃない。外周にも外敵は存在するから戦闘が発生する箇所がある。さらに時間がかかりすぎるのが難点だ。移動車両でなら問題ないが、今回はここの説明もある。だから、今回は正面突破を選ぶ」


レンが持つ巨大なハンマーが氷に軽く叩きつけられるたび、低い振動が湖全体に伝わる。その音が、氷の下で潜んでいる生物たちを刺激しているようだった。


「お兄ちゃん、本当に正面突破するの? 氷の下のあれ、すごく怖そうなんだけど……」


「安心しろ。ここの連中は動きが派手な分、隙も大きい。あとはタイミングを見極めればいいだけだ」


リナがポチを操作しながら配信画面を確認すると、すでに視聴者からのコメントが殺到していた。


『おかえり! 星波兄妹!』

『22階層とか今まで詳しい情報も無かったけど、かなりヤバいとこじゃん!』

『リナちゃん、ポチの視点めっちゃ綺麗!』

『え?え?大人ぐらいありそうなハンマーを片手持ち?マジパネーっす』

『もしかして、物理だけで行くとかじゃ……ないよね?いやまじで』

『レン兄、凄い余裕そうw』

『そもそも近海でも10メートルぐらいはあるような……』


他にも配信再会に歓喜するコメントが多く見られる。ちなみに視聴者には事前に今回の配信とポチのことは伝えてある。


画面には湖全体が映し出され、奇妙な魚影が視聴者の目を引いている。氷の下で蠢く巨大なシルエットは、どこか幻想的でありながらも恐怖を感じさせた。


「じゃあ、行くぞ!」


レンはハンマーを振り上げ、氷を力強く叩きつけた。一撃で厚い氷が砕け、水しぶきが上がる。その瞬間、湖全体が揺れるような低音が響き渡った。


リナはポチを操作してカメラを水面に向けた。そこには、巨大な魚が跳び上がる寸前の姿が映っている。


「お兄ちゃん、来るよ! 右下から!」


「分かってる」


魚が水面を突き破り、鋭い牙をむき出しにしてレンに襲いかかる。しかし、レンは冷静に一歩後ろに下がり、ハンマーを振り上げた。そして、魚が地面に着地する瞬間を狙って一撃を叩き込む。


ドン!


魚の巨体が氷の上に叩きつけられ、動かなくなる。


『えっ、物理一撃www』

『レン兄、強すぎる……!』

『すっげぇ!』


1人と1機は泳いで湖の中央付近に進むと、再び大きな振動が起きた。ポチのセンサーが警告音を鳴らし始める。


「お兄ちゃん、センサーが反応してる! すごく大きいのが来る!」


「ああ、あれがこの階層のボス的存在だ。各階層にはそういった生物が存在し、そいつらの特徴としては単独行動が多くて兎に角にでかい。そして何故かボス的なのと戦っているときは他からの攻撃が止む」


レンが冷静に説明していると、氷が激しく割れ、巨大な魚が現れた。その体長は人よりも巨大であり、湖の氷の下で泳いでいるのは、氷の湖の冷たさを突き破るように、深い水面から現れたのは、巨大なパイクカマスに似た淡水魚だった。背中に氷の反射が映るその姿は、まるで湖底の幽霊のように、沈黙の中で浮かび上がった。


その魚は、非常に鋭い歯を持ち、肉食性が強い捕食者として知られている。パイクは水域で素早く動き、何も知らない獲物を一瞬で飲み込んでしまう。その体は細長く、引き締まった筋肉を持つ。冷たく暗い水中でその姿はまるで長い矛のように見え、鋭利な背びれが氷のように冷徹だ。


リナはポチの視点を通してその姿を見つめながら、少し息を呑んだ。


その魚の動きは非常に速い。水面下で目に見えることは少ないが、波紋だけはしっかりと感じ取ることができる。パイクは、氷の下でひっそりと息を潜め、獲物が近づくのを待っている。その一瞬の隙をつかみ、無音で襲いかかるため、捕まるのは一瞬だ。


「あいつは氷の下に潜んで、ひとたび動き出すと素早く獲物に迫る。下手に氷を割ろうとすると……」


レンの声がポチのマイク越しに届く。


レンはこれまで何度もこの湖を越えてきたが、そのたびにパイクの姿を見る度、戦慄を覚えると言う。たとえ慣れていても、捕食者としての本能がいつでも襲ってくる危険を忘れさせない。


リナはVRヘッドセット越しに周囲を見渡す。湖の氷面は分厚く、透き通った青白い光が水面から漏れ、底に奇妙な影が泳ぐのが見える。影の中に、パイクが隠れているようだ。あちこちに微かな波紋が広がるたびに、その影がじわじわと近づいてくる。


「やっぱり、近付いてきてる……」


リナは不安げに言う。だが、レンは冷静だった。


「問題ない。パイクは氷を突き破ってこない限り、泳いでいるだけだ。だが、こうやって間合いに入ると――」


その言葉と同時に、水面下から巨大なパイクが飛び出した。冷たい水が飛沫を上げ、その姿は瞬く間に現れた。鋭利な歯と引き締まった筋肉が光の中で一瞬煌めき、次の瞬間、再び氷の下へと消えていった。


「こうやって攻撃してくる」


レンは冷静に構え、既にその動きに対応できる準備が整っている。


リナはそのスピードに驚く。


「こんなに早いの!? もう、氷の下に引き込まれたってこと!?」


レンは頷き、冷静に答える。


「パイクは氷の下を泳ぐのが得意だから、氷を割って戦うのは得策じゃない。あくまで慎重に行動しろ」


その時、ポチのカメラが再び水面下の異常を捉えた。影が一層大きくなり、確実にパイクが近づいてきているのがわかる。


「近い……」


リナは息を呑み、ポチの操作を微調整する。ポチは無駄に動かず、目標をロックオンして静かに待機している。


次に見えたのは、氷の下から突き出る巨大な尾びれだ。パイクはゆっくりと水面下から浮上し、獲物を目の前に捕えようとしている。リナの心拍数が上がる。次の瞬間、その尾びれが一気に水面を切り裂き、凄まじい勢いで跳ね上がった。


リナは思わず息を飲んだ。


「お兄ちゃん、こんなのどうやって倒すの!?」


「焦るな。こいつの動きは派手だが、その分、隙も大きい。お前はポチを動かして敵の動きを追ってくれ」


リナはポチのカメラを操作し、ボスの動きを追った。尾びれが湖面を叩きつけ、氷の破片が飛び散る。その中でレンは軽快にステップを踏み、攻撃を避けていく。


「お兄ちゃん、す、すごい……」


「これをかわしたら反撃だ」


レンは氷の破片を避けると同時にボスの頭部に向かってハンマーを叩き込む。骨が砕ける音が響き、パイクが一瞬のけ反る。


そのまま何度か攻撃を受けたパイクはついに力尽き、その巨体を湖の下へと沈めた。視聴者たちからは歓声がコメント欄に溢れる。


『凄い!!凄い!!レン兄凄い!』

『リナのカメラワークも完璧だった!』

『ってか、レンの方が化け物じみてるんだけど……』


こうして、22階層を突破した兄妹は、無事にダンジョン初コラボを達成した。







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