第12話 ホントに来たの……
パティシエは
「ホントに来たの……」と呆れていた。
その割には、部屋は、芳江がもう掃除してあった。布団も入っていた。
荷物はスーツケース一つだけなので、荷ほどきもあっという間に終わってしまった。
トウシューズとバレエシューズは持って来た。トウシューズはこの床じゃ履けない。バイト料が入ったら、リノリウムを買って敷こう。と思いながら、つかまる所を探した。
真四角の部屋。
何の出っ張りも、家具もない。
唯一の突起、ドアノブに手を置き、
「これをバー替わりにするか……」と独り言を言った時、ドアがノックされた。
「はい!」
びっくりしてドアを開けると、芳江がいた。
「夕飯の支度するの。一緒に手伝ってくれない?」
「はい。行きます。――あの、実は、私、あんまり料理、得意じゃなくて。お役に立てればいいんですけど」
「あら。じゃあ特訓ね」
「よろしくお願いします」
料理をちゃんと作ろうなんて思ったこともなかった。
何も出来ないことが、恥ずかしかった。
芳江は部屋を覗き、カーテンレールにかかった洋服を見て
「お洋服、掛けるとこがなかったわね。あとで、ヤスにハンガー付けてもらうわ」
と言った。
「あの、つけていただけるなら、この辺りに、このくらいの高さにつけていただけませんか?」結衣が部屋の壁の前に立ち、バーの高さを示した。
「それじゃぁ低すぎて、ほら、このワンピースとかなら引きずっちゃうよ」芳江がアドバイスした。
「でも、このくらいの高さにバーが欲しくて。お願いします」
「ふーん」芳江は不思議そうに頷いた。
夕食の準備は、思ったより楽しかった。
名前はわからないけど白身の魚をグリルで焼きながら、結衣は生まれて初めてひじきを煮た。
包丁でニンジンを切る時は、あまりの危なっかしさに、芳江がギブアップした。
「だんだん、上手になるよ」と言って包丁担当はまた次回となった。
味噌汁は朝の残り物があった。
「いただきましょう」
「いただきます」
「いただきます」
三人で食卓につくと、なんだか変な感じがした。
(ホームステイに来たみたい)
「このひじきは、結衣ちゃんが煮たんだよ」芳江がパティシエに言った。
「煮ただけです。味付けは芳江さんの言うままに入れただけです」結衣が慌てて訂正した。料理を作って誰かに食べてもらうのは、記憶にある限り、初めてだった。
「うん。うまいよ」パティシエはどちらにともなく言うと、よく食べた。
一口が大きい。
食べるのが早い。
「進上さんって、食べるの早いですね」パティシエを何と呼べばいいかわからず、結衣はそう呼び掛けてみた。
「ドーンの連中は、みんな早いんだよ。フランス人じゃないみたい」
「あんたは子供のころから早飯食いじゃないの。結衣ちゃん、気にしないでゆっくり食べましょう」
すんなり話が進んで、安心した。
「あの、私、履歴書、書いてきたんですけど」
結衣は着いた時からタイミングを見つけられずに持ったままでいた履歴書を進上に渡した。
カンパニーに提出するエントリーシートは何度も書いていた。それに比べて、文房具店で買った日本の履歴書は、書くことがあまりなかった。
進上が黙ってじっと見ているので、結衣はちょっと不安になってきた。
学歴も経歴も、何の役にも立たないものが並んでいる気がした。
進上が結衣の方を向いておもむろに言った。
「1997年生まれ。若っか…」
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