第8話 天然親子
この人が、私に元気をくれていたんだな。と思いながらパティシエの方を見た結衣は、奥の壁に
『アルバイト募集』と書かれた張り紙を見つけた。
「アルバイト、募集してるんですか?」
「ん? ああ。母ちゃんが店番やらないっていうもんだから」
「店番? 店内の店員を探してるんですね」
「土産を買って来なかったからって、根に持ってるんだよ」
「お土産?」
「私が楽しみにしてるの、知っててさ」
パティシエの母が答えたところを見ると、本当に根に持っているらしい。
「しょうがないだろ。空港、なんか久しぶりで、どこにあったか思い出せないし。足の骨折ったっていうから、慌てて帰ってきたんだし」
「何を買おうとしてたんですか?」シャルル・ド・ゴール空港を思い浮かべながら結衣が聞いた。
「明太子」
結衣は、一瞬止まった。
「……え? パリで売ってました?」
「いや、いつもこっちで買うんだよ。パリで買うようなもの、喜ばないから」
「空港って、関空ですか」
「そう。でも、わざわざ明太子買いに、用事もないのに空港まで行くのも、あれだし。だから、ずっと根にもたれてるの。もう半年根にもたれてるの」
パティシエは母親に向かって言っていた。
「空港に出してるようなお店なら、お取り寄せできるんじゃないですか?」結衣はスマホを出して検索し始めた。
「なんていうお店の明太子ですか?」
「福田屋さんだよ。美味しいんだよ」パティシエの母が答えた。
「あ、ありますよ。福田屋さん。博多の」
(なんだろう、この人たち。パリから帰るのに、地元の空港でお土産買うって、それも、立ち寄りもしない博多の名物買うって……)結衣はスマホの画面を見せながら思った。
「あー、そうそう。こういう感じだった。美味しそうだね――」
「取り寄せましょうか? 送料かかっちゃいますけど。一八〇グラムだと、送料を入れて、最安値なのが……三千十三円です」
「そんなもんだったと思うな」パティシエが答えた。
「取り寄せるってどうやるの?」
「宅配で届きますから、宅配の配達の人にお金を払ってください」
「へー、家まで持ってきてくれるの。それはいいわね」
「じゃあ、頼んでおきますよ。ここの住所は……」結衣はオレンジケーキの入った箱に、ゴム印で押された住所を入力した。
「お母さんの、お名前教えてもらえます?」
「進上 芳江(よしえ)っていいます」
「はい。じゃぁ、進上芳江さん宛で届くんで」
芳江とパティシエは感心した。
「すごいねー、若い人は。ささっと何でもできちゃう」
芳江に褒められて、結衣は面食らった。
(今時、お取り寄せくらいで、こんなに驚かれるなんて)
それでも、毎日のように、母親に『バレエ以外何もできない』と言われ続けているので、『何でもできる』の言葉だけが、頭の中で響いて、嬉しかった。
「あのー。もし、私が、ここで働きたいって言ったら、雇っていただけるんでしょうか?」
アルバイトなんて、したこともなかった。どういう手続きが必要かもわからない。
「おー。あんた、来てくれるの? もう、半月くらい募集してるけど、誰も来なくて」
「募集って、そこの張り紙だけですか?」
「んー。そうだけど」
「あの、アルバイトの募集なら、外から見えるところに貼るとか……。そこだと、ケーキを買いに入った人しか見ないし。それだって、見るかどうか微妙です」
結衣に言われて、パティシエは、貼り紙を振り返った。
「ホントだ。これ、見てるの俺たちだけだわ」
「だから、誰も来ないんだね」
パティシエと芳江は、一緒に笑った。
(この人たち……、ド天然なんだ)滑稽な二人にちょっと呆れながら、結衣は続けた。
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