死にたがりの彼女と死なせたくない俺
修行僧
第1話 生きるか死ぬか
「佐藤さんは、この仕事を一生続けたいって思います?」
「なんだよ急に」
俺はスマホを弄る手を止めて、松本の方に視線を向けた。松本は自分で言い出した癖に、気まずそうな表情でこちらを見ている。
「いやだって、 毎日同じ事の繰り返しで飽きるっつーか、 やりがい ? ないっつーか」
「やりがいねぇ。 俺もそういうのを仕事に求めてた時期があったな」
「マジすか! それでどうしたんすか?」
「求めなくなったから今の仕事をしてる」
「あぁ、そっすか……」
松本が肩を落とすの見て、なんだか複雑な気持ちになった。こいつはまだ二十五歳だったか? このくらいの年齢だと、まだ色々と諦めがつかないことも多いだろう。三十歳を超えるとそういう事も少なくなっていく。
不意にエレベーターが一階に到着したことを知らせる音がホールに響いた。 俺と松本はお喋りを一旦やめて椅子から立ち上がり、 姿勢を正す。
「「お疲れさまでした」」
右手を目の高さ、 帽子の横に沿わせるようにして敬礼する。エレベーターから降りてきた男性は、俺たちに軽く会釈をすると正面の自動ドアから外に出て行った。時計を確認すると、現在の時刻は午後6時30分。 今の男性がおそらく最後だと思う。
「今の人で終わりだろう。 先に事務処理済ませるぞ」
「へーい」
俺たちの仕事はこのビルの警備員だ。出入りする人の管理とビル内の警備が主な仕事内容になる。日中は受付の業務を兼ねていたりと、それなりに忙しかったりするのだが、今の時間からは大分落ち着く。早々に事務処理を終えると、松本が拳を前に出してニヤニヤと笑っていた。
「今日もジャンケンでいいすか?」
「おう。 流石に三回連続はねえよ」
負けた、三連敗だった。 ジャンケンで負けた方が夜の巡回に行く。それが俺と松本との間で決めたルールだった。俺は机の引き出しに入っている鍵束を腰のベルトに付けて、懐中電灯を手に取った。
「……行ってくるわ」
「はーい。お願いしやーす」
ひらひらと手を振る松本を尻目にして巡回を開始する。一階は玄関ホールになっているので、 まずはエレベーターで二階に上がる。
やることは単純だ。各階の事務所を回って扉や窓の施錠を確認し、電気が点いていたら消して回る。それを八階まで繰り返す。
「二階......よし、と」
エレベーターの近くにあるスイッチで二階フロアの電気を消す。 月明かりや外の街灯の光だけが窓から差し込む廊下は薄暗く、なんとも不気味だ。 俺はエレベーターに乗り込んで次の階へと向かう。
(……仕事のやりがいか)
各階を巡回しながら、松本が言った言葉を思い出していた。そういった類いの哲学書や心理学の本を読み漁っていた時期もある。
『自分が本当にしたいことはなにか』
そういうテーマの本を読めば読むほどに、自分が空虚な人間だということに気付かされていった。ないのだ、これといったものが。感情がないとかそんな大それた事じゃない。夢中になるほどのものが俺の人生、価値観の中に存在していない。それを悟った俺は本当の自分探しを辞めた。
別に人生に悲観しているわけじゃない。生活に困窮しているわけでもないし、程々には人生を楽しんでいる。『足るを知る』ってやつだ。昔はこの言葉が嫌いだったな。何かを諦める言い訳のように聞こえて。
脳内で自分語りをして悦に入る間に、八階まで来ていた。こういう単純な作業と妄想の相性は凄ぶる良い。さっさと終わらせて、ゆっくり一服でもするか。
「ん、電気点いてるのか」
事務所内の電気が点いていた。別に珍しい事でもない。気を遣って消してくれる人もいるし、気にせずに帰宅する人もいる。ただ……。
「パソコンもかよ」
室内の電気は消しても問題はないが、パソコンは駄目だ。勝手に電源を落としてデータが保存されていなかった、なんて言われたら責任問題になる。もしかしてまだ残っている社員の人がいるのか?そう思って辺りを見渡すがそんな気配もない。俺は胸ポケットに付けた小型の無線機を手に取った。
「松本ー」
「はいなんすか、どうぞ」
「今日7時以降に残業するって連絡受けてるか?」
「いや、ないすね」
「了解」
このオフィスビルでは、午後7時以降に残業する場合は警備員に連絡する、という決まりがある。松本が聞いてないということは、その旨の連絡は無かったということだ。じゃあ、ただの消し忘れか?トイレの方も見ておこう。それで誰も居なければ、パソコンの電源はそのままにして事務所の施錠と消灯だけしてしまおう。
そうしてトイレに誰もいないことを確認するついでに、自分の用も済ませた俺が廊下に出ると違和感に気づく。風が吹いている。どこか窓でも開いてるのか?
廊下をしばらく歩いていると、風は奥の方から吹き込んでいることが分かった。廊下の窓ガラスが閉まっているのを確認しながら進んでいくと、反対側の階段まで来てしまった。
「……上か?」
このビルは八階建てで、今いるのも間違いなく八階だ。なら目の前にある昇り階段の先に何があるかといえば屋上である。風はそこから吹いているようだった。基本的に屋上は立ち入り禁止となっているのだが、あまり守られておらず、喫煙所代わりになっている。
確認の為に階段を上がると、屋上の扉は開け放たれていた。俺は溜め息を吐いた。おそらくだが、まだ残業している社員がいる。その人は残業することを警備員に伝えるのを忘れ、長時間の作業にも疲れたので、屋上で気晴らしに一服でもしている。そんなところだろう。
面倒だな、そう思いながら懐中電灯を点けて屋上に出た。手に持った懐中電灯を左右に振る。照らされて視界に入るのは、ずらりと並んだ空調用の室外機と大型の貯水タンク。人影はなかった。もしかすると当てが外れたのかもしれない。パソコンの電源もただの消し忘れ、屋上の扉も閉まりが悪くて風で開いただけなのかも。ちょうど、そう思っていた時だった。
「……え?」
思わず声が漏れた。正面の夜空には、コンパスで引いた線のように綺麗な球体の満月がある。だけど、それに目を奪われたのも一瞬の事だ。もっと目を引くものが、その手前にはあった。
「あ、あの、そこで何しているんですか?」
馬鹿な事を聞いたと思った。ただ、聞かずにはいられなかった。自分の子想を否定してほしい、心からそう願った。そして目の前の女性はこちらに振り返り、俺の事を虚ろな瞳でじっと見つめた。
「死のうと思っているんです」
彼女はただそう言った。
月明りの下、フェンスの向こう側で。
死にたがりの彼女と死なせたくない俺 修行僧 @Training_Modes
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