第32話 桜求めて
気が付くと美乃梨は夜の住宅街に立っていた。月明りが彼女を照らし、少し冷たい風が吹いて長い黒髪を揺らす。服装は先ほどまでとは違っていて、春先によく着る組み合わせになっていた。
あまりにあっさりとしていて、先ほどまでの出来事は夢だったのではないかとすら美乃梨には思えてしまう。
美乃梨はスマホを取り出し、待ち受け画面を確認する。そこには、三月という文字があった。
「成功、した……?」
記憶を遡ってみても、特に不自然な欠けは見つからない。頭も明瞭としていて、身体の方にも特に不都合はなかった。
(神術も、使える……)
指先に火を灯そうとしてみると、問題なく術を使える。寧ろ、以前よりも滑らかに神力を扱えたように思えた。
(でも、時神様の言い方だと、何も無いってことはあり得ないよね……?)
つまりは、美乃梨が判別できない部分で何かが変わってしまったということだろう。
分からないのなら仕方がない。今は桜真を助けることの方が大切だ。時神はちょうど良い時間に送ってくれている筈だが、余裕があるに越したことはない。
美乃梨は一旦あれこれと考えるのをやめて、時守神社へ向けて走り出した。
彼女は少し長い石段を駆け上がり、時守神社の鳥居を潜る。月に見守られながら本殿の中に飛び込むと、そこには覚えのある巫女服が綺麗に畳んで置いてあった。
恐らくそれが時神の言っていた助けになるものなのだろうが、一見そうとは思えない。兎も角、迷ってる暇はないと美乃梨は巫女服へ袖を通した。
(やっぱりよく分からない……。けど、こっちの方が落ち着くし良いか)
荷物はそのまま本殿の中に残し、美乃梨は来た道を引き返す。
石段を駆け下りながら桜真の気配と堕霊の気配を探すが、彼女の捉えられる範囲には無い。仕方なしに最初に襲われた時の記憶を辿って走り回る。
「はぁ、はぁ、どこ、桜真……」
あの時は確かこっちから逃げて来たはず、と角を何度も曲がり、気配を探す。しかし堕霊から逃げながらだったために記憶も曖昧だ。角を利用しながら逃げていたこともあって方向すら定かではない。
(せめてもう少し広い範囲の気配が分かれば……)
時間はどんどん過ぎていき、美乃梨は焦燥感を募らせる。このままでは桜真がその命を捧げてしまい、二度と会うことが出来なくなってしまうだろう。
(それだけは嫌!)
自分の足で歩けなくなっても良い。物を掴めなくなっても良い。そうなっても、桜真と暮らせるならと、彼女は力の限り走る。
美乃梨がぎゅっと目をつぶり、想像してしまった最悪に涙を滲ませた、その時だった。
「見つけた!」
彼女の知覚範囲の端によく知った二つの気配が引っ掛かった。一つはどこまでも暗い、悍ましいもの。そしてそれと対峙しているのは、そこにあるだけで彼女を安心させてくれる温かな気配だ。
重くなってきていた足が軽くなり、自然と前へ出る。
二人が向き合っていたのは、かつての美乃梨が二度も堕霊に食われた場所だった。
「桜真!」
彼は今まさに、その命を捧げようとしているところだった。美乃梨の知っている以上の力が桜真から発せられており、その身体は少し前に見た銀色の光に包まれている。
堕霊は木の根でその身に宿る神力ごと拘束されていて、桜真へ忌々しげな睨みを向けていた。木の根は神力で守られているようで堕霊の身体に触れても枯れずに済んでいるが、少しずつ侵食されていて猶予は少ない。
「っ! どうして――」
美乃梨は桜真に抱きついて術の行使を止めようとする。しかし、桜真から発せられる力の奔流は収まらない。
「時の呪い……。主様の仕業か……。どうしてですか、主様。何故、美乃梨に時を渡らせたのですか……」
桜真は時守神社の方へ視線をやる。
時の呪いが何かは美乃梨には分からない。分からないが、そんなことは後で聞けば良いことだ。
「やめて、桜真。あなたが消える必要なんてない!」
「美乃梨、今すぐ逃げるんだ。まだ間に合う。まだ、君は生きられる」
桜真は美乃梨の言葉を聞こうとしない。どころかますます己の命を燃やそうとして、力を高める。
美乃梨はどうにか止めたくて抱きしめる力を強くするが、桜真が気にする様子はない。
「あなたがいないなら、生きてたって意味がない!」
「もうこれしか無いのだ!」
美乃梨は桜真が声を荒げるところを初めて見た。驚いて力を緩めてしまう。
「何度やりなおそうとも、このモノの呪縛を振り払うことは叶わなかった!」
悲痛な叫びだった。美乃梨は目を見開いて、狼の木面を見つめる。そこには相変らず美しい桜色の瞳があったが、美乃梨の知らない光をも宿していた。
「何百、何千と、あらゆる手段を試したのだ。主様の力を借りもした。他の神にすら頭を下げた。しかし駄目だった。美乃梨をこの手で死なせてしまったことすらあった……!」
桜真の声は弱々しく、泣きそうで、いつでも彼女を守ってくれた強さを感じられない。
何百何千の試行なんて、美乃梨には想像できなかった。彼の苦悩を想像しきれなかった。
自分は桜真を止められるのだろうかと、美乃梨は不安になる。
(それでも、止めないと。桜真が死んじゃう……)
俯いてしまった美乃梨を見て、桜真は巫術を発動させるための
ますます銀の光が強まって、桜真自身の魂が削られていくのを感じる。
「……私は、桜真の伴侶なんだよね?」
「ああ。だからこそだ」
こんな時なのに嬉しくなってしまった自分が、美乃梨は嫌だった。
「案ずるな。私の存在は、この世界から消える。君は私のことを忘れて、幸せに生きられる。時の呪いについては、主様を頼ると良い」
「そんなのっ! ……そんなの」
認められる筈が無かった。
桜真と幸せになりたいのに、自分の存在が無かったことになるから幸せに生きられると言われても、納得できるはずがない。
しかし彼を止める言葉は思いつかない。
考えても考えても考えても、美乃梨は彼女を止めれらた未来を想像できなかった。
「……誕生日」
無意識の呟きだった。
「誕生日?」
だからこそなのか、桜真の視界に美乃梨を戻すことが出来た。
絶望し、未来を諦めて視野狭窄とした彼の世界に、再び彼女が映った。
「誕生日、まだ祝ってもらってない……」
「……私でなくとも、祝ってくれる者は現われる。美乃梨は、月なのだから」
桜真の声は揺れていた。声だけでない。彼の纏う銀の光も弱まって、天の月の作る彼の影もまた濃くなる。
「私は、桜真に祝ってほしいの」
美乃梨は顔を上げて、桜真の瞳を真っすぐに見つめる。月明りが彼女を照らして、黒い瞳を煌めかせた。
「だが、他に方法は……」
「桜真だけだったらでしょ」
時神は言った。桜真を助けなさいと。即ち、力になってくれと。
「桜真だけでダメでも、私と二人でならどう? 必要なら、腕の一本くらいは食べればいいから」
「うでっ――、馬鹿な事を言うな」
桜真は美乃梨の頭に手を乗せ、抗議の意味で少し揺らす。
確かに神の稀血、その中でも濃いものを持った美乃梨の腕を食らえば、桜真は相当な力を得られるだろう。
だが、そんなこと桜真自身が許す筈が無い。
「しかし、そうだな。二人でか……」
桜真は美乃梨をちらと見て顎に手を当てる。
「強力な神の稀血に、時の呪い……」
何か思い当たる節があるようであった。
美乃梨は彼が考えを纏めるのを、黙って見つめる。彼の桜の瞳には、美乃梨のよく知る強い光が戻っていた。
「ふむ、いけるやもしれん」
「本当!?」
いったいどういった話なのかと美乃梨が聞こうとした時だ。
ミシミシと音がして、堕霊が根の戒めから解放された。
「美乃梨!」
美乃梨へ向けて飛び掛かった堕霊。桜真は美乃梨を抱え、飛び退る。これまで得物を目の前に封じられていた恨みなのか、桜真への念も強まって地獄の業火のような視線が向けられていた。
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