第27話 ひと光
青葉が茂り、日差しの厳しい日が続くようになった。近年ますます高くなった気温に誰もが額に汗を浮かばせ、気だるげな表情で冷房の効いた構内を目指す。
大半の学生たちは既に前期講義の全てを終えて夏休みに入っており、登校の義務はなくなっていたが、一部の学生は就活であったり部活であったりで亡者の更新に参加させられていた。
美乃梨も大多数と同様に灼熱の空の下に出る必要のない側だった。しかし今朝がた来た連絡で急遽快適な自宅の玄関を潜ることとなてしまった。
美乃梨を呼び出した諜報人は今、大学の運動場にいる。彼女は陸上トラックを先頭で駆け抜けて、後輩からタオルを受け取ると、そのまま美乃梨のいる観客席の方へ駆け寄った。
「美乃梨ー!」
ショートヘアで可愛らしい彼女は、美乃梨の幼馴染だった。猫っぽい目に笑みを浮かべて、己の救世主の名を呼ぶ。
「ナイスラン、
美乃梨は座席下の日陰に置いていたスポーツドリンクを投げ渡す。ペットボトルに着いた水滴が跳ねて彼女の黒いワンピースを濡らしたが、今日のような日はむしろ心地よい。
美乃梨はごくごくと喉を鳴らしながら美味しそうに仰ぐ幼馴染へ、柔らかな笑みを向けた。
「ふぅ。いやー、助かった!」
「ほんと、いっつも急なんだから」
「ごめんごめん。でも今回は仕方なくない?」
まあね、と返した美乃梨の笑みはサークルの面々といる時のようなものではない。友香は彼女の体質を知る数少ない人物で、小学校時代からの友人だった。中学高校は同じ陸上部として切磋琢磨をした仲で、今回呼び出されたのも、記録会であるのに競技用の靴が壊れたから貸してほしいという理由だ。
「あとどれくらいかかるの?」
「んー、どうだろ。コーチの気分次第かな」
正直美乃梨はクーラーの効いた部屋が恋しくなっていた。日傘を差してはいるが、それで足りる暑さではない。
「あれだったら家まで返しに行くけど?」
「大丈夫。あんまり暑かったら食堂行くし」
美乃梨は予定外のモーニングコールに慌てて家を飛び出したため、昼食もまだとっていない。起きた時間は遅かったが、もう昼時は疾うに過ぎていていい加減お腹が空いているのもあった。
「じゃあさ、部活終わったら久しぶりにご飯食べに行こうよ!」
「あー、いいね」
最近はサークル以外で誰かと食事をすることはめっきり無くなっていた。
友香の部活が終わったのは、けっきょく夕方が近くなった頃だった。大学のシャワー室で彼女が汗を流すのを待って、美乃梨たちは校門を出る。向かったのは、高校時代によく通っていた喫茶店だった。
「ここも久しぶりだねー」
「だね。友香が調子いいせいだよ?」
「いやーごめんね? 三年連続で駅伝の走者に選ばれちゃって!」
二人はニヤっと笑みを交わす。美乃梨は久しぶりに軽口をたたきあった気がした。
「美乃梨も続ければ良かったのに」
「いや、もういいかなって。陸上じたい、元々早く走れるようになるかもって始めただけだったし」
早く走れるようになれば、人ならざるモノから逃げやすくなるかもしれない。そう思ってのことだった。
友香はそんな彼女につきあって中学から陸上を始めた口だったが、才能があったのか、メキメキ実力を伸ばした。
「……まだ、そういう事あるの?」
「うん。お祖母ちゃんと一緒なら、死ぬまで無くならないと思う」
「そっか……」
友香は一瞬目を伏せて、すぐに明るい表情を作る。
「そういえば、美乃梨はもう就活始めてる?」
急な話題転換だったが、美乃梨としてはありがたい。友香は美乃梨と同じ世界を見れないのを自覚していて、下手に同情してみせることは無かった。だから他の同級生たちよりも気楽に接することが出来た。
彼女の根本的な孤独を解消することはできないが、誤魔化すことはできる、家族以外で唯一の相手だった。
「一応。明後日からインターンに行くんだけど、正直憂憑かな。友香は?」
「私は今年の大会が全部終わってから。たぶんそっち方向で有利に進められるし」
「いいなー。私もいっそ修士に行っちゃおうかな。そしたら学部の勉強内容も活かせるし」
美乃梨は、ここまで自然に盛り上がれたのはいつぶりかと頭の片隅で考える。サークルのほうでもこれくらい楽しく話せたら良かったのにと叶わない夢を思い描きながら、同時に友香と出会えたことを感謝した。
こんな相手とはこの先もう二度と会えないかもしれないのだ。彼女の事を大切にしようと、美乃梨は心に誓う。
二人の会話は料理が来ても途切れることは無い。不必要に姦しくなることもなく、美乃梨にとって心地の良い時間だった。
「……あれ、トマトが付くようになったんだ」
疑問の声を漏らしたのは美乃梨だった。この喫茶店に来たらいつも頼んでいたセットの付け合わせを見ての反応だ。
「え、トマト? なくない?」
「ほら、これ」
「無いって。……そういうこと?」
友香と同じタイミングで美乃梨も気付く。
美乃梨がフォークでそのトマトを突っついてみると、案の定もぞもぞと動き出した。トマトと思っていたそれがパックリと割れて内側から目と足が現れ、かと思えば慌てた様子でどこかへ走り去っていく。
その姿を目で追っているのは、美乃梨だけ。友香との間に微妙空気が流れる。
「食べ物に紛れ込むのもいるんだね! なんか、小さいころ見てたアニメ見たい!」
こういう時も、空気を変えるのは大抵友香だ。
それが、それだけが、美乃梨が幼馴染といる時に不満を感じてしまうところだった。彼女が友香を親友と呼べない理由だった。
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