第26話 ぼやけた日々

 

 桜の季節も終わりが見えてきた。美乃梨の大学生活は相変らずで、友人たちとの距離を微妙に詰め切れないまま日々は過ぎていく。

 講義の方も相変らずで、中身が変わった以外はこれまでの二年と大差ない。

 

 強いて変化らしい変化を挙げるならば、彼女の所属する旅行サークルに新入生が入って来たことだろうか。


 四月に入学式を終え、講義をひと月ほど受けて大学生活にも慣れてきたころ、新入生たちは大学に数多あるサークルのどれかに参加する。

 今はまさに、その新入生たちの歓迎会をいつもの居酒屋で行っていたところだった。


 それなりに広い居酒屋の一角を美乃梨のサークルが占領しており、本来なら暇なはずの平日の夜を戦場に変えている。時折酒のコールをして騒がす彼らは酒場の従業員たちから煙たげな目で見られていたが、彼らは自分たちだけの世界で盛り上がっていて気が付いていない。


 美乃梨は店員たちに対して申し訳なく思いながら、そんなサークルのメンバー達へ何か言うことは出来ずにいた。

 

 主役として歓迎されているのは、男女半々くらいの割合で、それぞれがそれぞれの事情を抱えた新入生たちだ。当然その大半が抱えている事情は取るに足りないもので、概ね普通の大学生と言って良いだろう。


 もしかしたら、彼ら彼女らの内には美乃梨と凄く気の合う者がいるかもしれない。しかしその新入生にも彼女の秘密を打ち明けるのは難しい。打ち明けられたとしても、同じ世界を見られるようになるわけではないのだから、無意味なリスクだ。

 

 けっきょく彼らとも、これまでと同じように表面的な関係を作るに留めることとなるのだろうかと彼女はこっそり溜息を吐く。


「えー! 彼氏絶対いると思った! 意外!」


 同期の一人が新入生の女の子に大げさな反応をしてみせた。態とらしく驚いた風にしている彼女は今時の大学生らしいファッションとメイクの可愛い女性で、サークル内での男性人気も高い。しかし裏で影口を言うタイプの人間だということを女性陣は全員知っていた。

 

 美乃梨も当然知っていて、どうせそんな事思っていないくせに、と味の薄いカシスオレンジに口を付ける。


(明日あたり野菜の種でも見に行こうかなぁ)


 美乃梨も会話へ適当に相槌を打ってはいたが、あまり話の中身を聞いていなかった。単純に楽しくなかった。虚飾とマウントだらけのくだらない会話に参加するくらいなら、園芸のことを考えている方が良かった。


「はい! なーんで持ってんの? なーんで持ってんの? 飲み足りないから持ってんの!」


 美乃梨とは別の机でまたコールが始まった。標的となったのは、一浪して入ったと話していた新入生の男の子だ。大方、成人済みなのがバレてしまったのだろう。美乃梨は可愛そうにと心の中で合掌しつつ、店員のいる方をちらっと見た。


 美乃梨の所属したサークルは、いわゆる飲みサーだ。

 

 旅行に行けると思って入ったサークルであったのにそれらしい集まりは殆どなく、あっても宿でお酒を飲むばかり。フラフラのまま二人で消える男女もよく見かけた。


 もちろん、観光をまったくしないわけでもないので楽しい時間もある。とはいえ気を使いながらの団体行動になる場合が多いし、日程の全体から見ればごく限られた時間のみだ。

 他の活動をしているサークルの合宿などの方がまだ観光をしているのではないかとすら、彼女には思えてしまう。


 今もそれらしい話は殆どしていない。新入生たちが旅行に関する質問をしても、その会話はすぐに終ってしまう。美乃梨の正直なところを言えば、参加している意味をあまり感じない集まりだった。しかし全く顔を出さなくなるのも何かに負けたような気がして、こうして出席するようにしていた。


「そういえば巫月ふづきさんって浮いた話聞かないよね」

「えっ」

 

 何となく左手の薬指を弄っていた美乃梨は、不意に声を掛けられて置いていた箸を落としかける。

 

 質問の主は先ほど大げさな反応をしていた女だ。美乃梨を可愛そうな女に仕立て上げて、親身になる自分を演出したいのだろう。彼女がそういうことをしているのも美乃梨は何度か見ていた。


「そういえば。美乃梨ちゃんは彼氏いないの?」


 美乃梨は呼ばれ方に少しイラっとしながら、彼氏の有無を聞いてきた如何にもチャラそうな男の名前を思いだそうとする。思いだせたら彼に水を向けて、自分から意識を逸らしたかったのだが、残念ながら思いだせなかった。


(まあ、利用されなかったらそれでいいか)


 冗談でも彼氏が欲しいだなんて言えば、その同期の女は嬉々として相談に乗るふりをするなり、美乃梨に薄っぺらい賛辞を並べるなりして自分の株を上げようとするだろう。

 だから美乃梨は、事実を一言だけで言って終わりにしようとする。


「私はいないよ」


 美乃梨の胸がズキリと痛んだ。誰かの顔が浮かんだ気がして、内心で首を傾げる。


「へー! じゃあ俺、立候補しちゃおうかなぁ!」

「あんたなんか相手にされないって」


 浮かんだはずの顔をもう一度思い出そうとしても、もう出てこない。代わりに桜の枝が見えた気がした。


「そんな事ねぇって。なぁ、美乃梨ちゃん!」

「えっ、あ、ごめん何? ちょっと考え事してて聞いてなかった」

「ひでぇー!」


 美乃梨の周囲で笑いが起こる。彼女も合わせて笑って見せたが、心の内では先ほど思いだしかけた何かの事ばかり考えていた。


(何か、大事なことだった気がするのに……)


 美乃梨はこの日、思いだしかけた何かの事ばかり考えていて、新入生の名前も顔も一切覚えられないままに帰路へ着くこととなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る