ケッペキショウ
夢星らい
第1話
ショートホームルーム前、男子どもがある少女の席を囲んで騒いでいる。歪んだ紫色の視線を向けながら話しかけていた。気持ち悪いにやけとともに、周りの人に便乗して一方通行の質問が投げ出される。きたない。やめてほしい。性的な魅力を感じない人から向けられる興奮した視線がどれだけ気持ちの悪いものなのか、お前らには一生分からないことだろう。今すぐにでも殴り飛ばしてこの場から去りたいところだが、騒ぎになってしまうからと自分を慰めた。
この世はきたないことばかりだ。あそこにいる女子も、だれでもいいから自分の魅力で堕ちてもらうために男子との距離を近づけて誘っている。あそこの男子は、周りに聞こえる声で下ネタを発して性欲を発散している。そしてあそこの教師とその隣の女子生徒は――。誰もかれもよごれている。
性欲というものが、どうしても受け入れられないのだ。
自分が性的に見られているというのはただの思い違いかもしれない。それでも彼らの視線は、私がよごされていくようで、プライドがぐちゃぐちゃにされるようでたまらない。侮辱されているようにも感じられて不快だ。この苦しみから解放されるならば、死ぬことさえも厭わない。
女として生まれて来なければよかったのだ。そうすればこんな視線も、きたない部分も気づかず生きていけたのに。性別は、性欲は、ただ自分が気持ちよくなるためだけにあるものではない。
性欲とは本来きれいなものだったことは知っている。子供を産むことだって、恋をすることだって、神聖で、尊いものだと思っていた。私だっていろいろな人に惚れて夢見て楽しんでいた。
いつからだろう。私の考え方が曲がったのは。男性と恋するのが怖くなり始めて、必然的に避けるようになった。友達だった男子との会話もぎこちなくなり、相手には今も気を使われている。どこから道を選び間違えていたのだろう。こんな事になった原因をぼんやり探る。ほとんど思い出せないが、確かなのは嫌なことをされてトラウマになり私から男性に性欲が向けられることはなくなったことだ。
ああそうだ、あの時だ。友達だと思っていた彼が、ベットに私を押し倒し、荒い呼吸で私に跨ったとき。あの時私は彼の性欲を受け止められなかった。恐怖が体の芯から凍るようにのどから言葉を奪った。私は一切そんなことを望んでいなかった。もし受け止められていたら、何か変わっていたのだろうか。変わっていたとしても男性が嫌いになることには変わりないだろう。
次の日学校に行けば、どこを見てもきたないもので蔓延り、いつか襲われるんじゃないかという恐怖が体を縛り付けた。そんなことは起きないと思ってていても、完全に友達だと思っていた彼があの行動を起こしたことがフラッシュバックされてしまい、また恐怖に冒される。
今まであった自由が一気に遮断される感覚。あの人かっこいいとか、優しいとか、それらは全てそういうことをするための手段なんだと考えるようになってしまった。もうあのときめく感覚は戻ってこない。恋することはできない。そう思ったらもう、完全に恋愛という言葉から切り離された。
どうやら思い出す必要はなかったようだ。また体内が苦しみに占領されていく。もう二度と思い出せないようにまた脳みその端に小さく折りたたんで隠しておいた。
きたない物に囲まれて過ごしていると自分もきたない物に蝕まれていく。それが気持ち悪くてたまらない。ムカデが全身から這って出てくるようなゾワゾワした感覚。私の体はムカデによって食い尽くされ、腐った部分はどろどろに溶けてべっとりと肉から離れずにいた。
とにかく落としたい。よごれたくない。どんなに体を洗っても、男子と話さなくても、どんどんよごれていった。腐ってよごれてもそのまま屍のように生かされるのだ。欲の塊がぐじゃと、地によって少しずつ塗り減らされながら足を引きずろうとも生きていかなければならない。魂が死ぬのを拒むから。綺麗に死ぬために、綺麗に生きるために、いつでも汚れの落とし方を探していた。
授業が始まっても紫やら濃いピンクやらの油絵の具のようなものが男子や女子の体からどくどく流れて体を巻いていた。溢れる性欲は毒々しい色のものだけではないらしい。綺麗な淡い色の人もいた。いくら綺麗な色でも身の毛もよだつような不快感が練り込まれているため、決して触れなかった。近くの人と意見交換となったら色は筆洗のように色が混ざり合う。男子から机を通じて女子に侵食しそうになっている。女子からも四方にじわじわ塗り拡げられていく。一部は不透明な色を吐き出し、多くは薄く水に溶かされたように欲がにじみ出ていた。私の隣の人もまた零している。苦みを噛むように顔をしかめてしまった。こんな顔を見せるのはさすがに失礼だと思い偽の笑顔で話し合った。
ふとひと際目立つ女子を見つけた。彼女からは何も流れていない。外からの欲もカプセルの中にいるかのように押しのけていた。彼女には純粋というこの言葉が似合いすぎた。
誰でもきれいなものには惹かれるでしょう?だから、私はそれが欲しかった。気づいたら真っ黒な世界で這いつくばって、遥か遠くに見える真っ白な光に手を伸ばしていた。
授業が終わってからもずっと彼女を見ていた。きれいである原因を知りたかった。なぜよごれていないのか、なぜ欲を拒絶できているのか。そこに何か神聖なものがあるのではないかと思い、なるべく彼女の核に近づけるように試行錯誤した。本能が惹きつける不思議な魅力。彼女を見ていると真っ白な世界へ誘われて二人だけの空間ができる。自分もきれいになったかのような錯覚に陥る。きれいにさえならなかったが、心が洗われるような、そんな感覚がした。ほしい。目の前の春の木漏れ日のような真っ白な心が欲しい。そして彼女自身も。清廉潔白なあの塊を独占しなければいけないような義務感を感じた。
そこら中に塗りたくられた欲を踏みつけながら彼女のもとへ向かった。一度でも話してみたかった。普段は話しかけられる側なので私が自ら赴くのは非常に大きな負担だった。彼女に近づくには話すしかない。より知るには話すしかない。不安や緊張より好奇心や狂気的な何かが勝って、負担は渦巻く空気に呑まれて消えていった。好奇心によって心拍数が急激に増加する。右手は少し前に出て震えていた。全身を震わすこの気持ちは何なのか分からない。ただ、恋とは違うこの感情が、醜く笑顔を作り上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます