上野くんはいつもボーッとしてる

こんくり

上野くんはいつもボーッとしてる。

 高校1年生、夏。


 私、橘(たちばな)茜(あかね)は気になっていた。いつもボーッとしている隣の上野くんのことを。


ーーー


 隣の席に座る彼はいつもボーッとしてる。そんな彼の名前は上野(うわの)空(そら)。彼が私より早く学校に来ているなんて珍しいこともあるものだ。


「うわの君、おはよ」


 私がそう言って手を振ると、彼はワンテンポ遅れて、こちらに振り向いた。


「あっ、橘(たちばな)さん。おはよう」


 まるで私が突然ここに現れたかのような反応だ。いつも彼は私が声をかけるまで、私の存在に気づかない。

 そんな彼の態度に私は最初、“嫌われてるのかな”なんて少し落ち込んだりもしたけど、それが間違いだってことはすぐに分かった。

 彼はただ、ボーッとしているだけなのだ。まさに今も、頬杖をついて窓越しに空を眺めている。

 

「うわの君」

「...えっ、なに?」

「何か、考え事?」

「んーっと...、べつに?」


 ほら、ボーッとしてた。

 

 こんな感じで彼は何かを考えたりしてる訳でもなく、いつもただボーッとしてる。だから、彼はよくあり得ないミスをする。

 例えば、国語の授業なのに数学の教科書を開いてたり。


「うわの君、今...国語だよ?」

「あれっ、ホントだ」


 彼はそう言うと、ガサガサとカバンの中を漁りだした。

 どうやったら開く教科書を間違えるんだろか。授業が始まり、既に15分以上が経過している。何度も教科書を使う場面はあったはずなのに。

 私がそう考える間も、上野くんはずっと数学の教科書を探している。


「教科書、ある?」

「んー、探したけど無いっぽいね。」


 彼は自分の忘れ物を他人事のように話し、私に鞄の中を見せた。中には何冊かの教科書とノート、そしてお弁当箱が入っている。


 わざわざ見せなくても疑ったりしないよ。

 

「はぁ」


 思わずため息が出た。

 彼と隣になって3ヶ月。

 何度、彼を助けてあげただろうか。多分、彼はもうわたし無しではやっていけない。


「どうしよ」


 彼はボソッとそう呟いた。

 白々しい男だ。もう私が見せてあげるしかないと知っていながら。


「見せてあげよっか?」

「いつもごめん。頼むよ」


 彼は申し訳なさそうに机をくっつけた。2人の間に教科書を置いて、1冊の教科書を2人で見る。最初は揶揄われたりもしたが、今ではこれが普通になっている。

 少し時間が経つと、彼はまた窓の外を見始めた。

 

 せっかく教科書を見せあげているのに。

 当てられても助けてあげないぞ。


 私がそう考えていると、案の定彼は先生に当てられた。


「おーい上野、どこ見てんだー。ここ、どれが入るか答えてみろ。」


 ほら、当てられた。

 仕方ない。今回も私が助けて...


「あ、えーと。“ウ”の“意図的に”です。」

「...せ、正解だ。」


 私が仕方なく教えてあげようとしたのに、彼はあっさりと答えてしまった。そして、何事もなかったように席についた。


 ボーッとしてたように見えたんだけどな。


 そういえば、彼は何故か頭が良い。この前の中間テストもクラスで5位だった。ちなみに私は13位。いつもボーッとしているくせに、私より頭が良いなんて、少しムカつく。


「すごいね。読んだことあったの?」

「ま、まぁね。」


 彼はそう言うと、再び視線を窓にやった。


ーーー


 昼休みになった。

 

 お弁当を食べ終え、友人の寧々(ねね)と談笑していると、聞き馴染みのある声が後ろから聞こえた。


「た、橘さん..」


 振り返ると、上野くんが立っていた。なぜか、少し緊張した様子でこちらを見ている。


 どうしたんだろう?

 

 挨拶と忘れ物のとき以外、私から話しかけることはあっても、上野くんから話しかけてくることは殆どない。だから彼がなぜ私に話しかけたのか、見当もつかなかった。


 私は少し首を傾げて、上野くんを見つめる。

 

「どうしたの?」

「あの...、さっきの教科書のお礼でもどうかなって」


 なんだ、そんなことか。気にしなくていいのに。


 何を言われるのか、少しドキドキした。別に何かを期待していた訳じゃない。私に興味なんて無いと思っていた人から話しかけられたことに驚いたのだ。


「そんなの、いいよ。いつものことだし」


 私がそう返すと、彼は気まずそうに固まってしまった。そんな彼の様子に私もどうしていいか分からず、気まずい雰囲気が流れる。すると、何かが私の背中を押した。


「せっかくお礼してくれるって言ってるんだから行って来なよ」


 寧々だ。

 彼女は呆れた顔で私にそう囁くと、もう一度私の背中を押した。


「んー、でも...」

「いいから、行きなって」

 

 私は何かお返しをしてもらいたくて上野くんを助けてるんじゃない。ただ、彼が困っているのを見ると、助けてあげずにはいられないのだ。だから、お礼なんてしてくれなくても良いと思った。私が勝手にやっていることだから。

 でも、確かに寧々の言うことも一理ある。上野くんがわざわざお礼をしたいと言ってくれた。無碍(むげ)にする方が失礼なのかもしれない。


「えっと...やっぱりお礼してもらおっかな」


 私がそう言うと、上野くんは安心した顔で、勢いよく首を振って頷いた。


「何か、欲しいのある?ジュース何本でも奢るけど?」

「何本も飲めないよ。うーん、どうしよっかな...。あっ!アイス買ってよ」

「アイスか...。食堂のでいい?」

「もちろん!」


 食堂で私はチョコミントバーを、上野くんはソフトクリームを買った。空いていた端っこの席に座る。


「橘さん、チョコミント好きなんだね」

「うん、うわの君は?」

「あんまり食べたことないから覚えてない。」

「じゃあ、一口あげよっか?」


 私がそう言うと、彼は少しの間固まり、首を横にブンブンっと振った。


「いいいっ、いらないよ」

「ぷっ、ふふっ、冗談に決まってるじゃん」


 うわの君があまりにも慌てていたので、思わず吹き出してしまった。本当に一口あげるつもりだったわけじゃない。いつも忘れ物をする彼に少し意地悪してやったのだ。


 うわの君はまだ顔を赤らめたまま、俯いている。

 

 少し、からかいすぎたかな。


「ごめん、意地悪だったね」


 うわの君の顔を下から覗き込む。


「ほんとだよ。びっくりした」

「ごめんね?」

「謝らなくていいよ、怒ってないし」

「ほんと?」

「怒ってないよ。いつも色々助けてもらってるしね」


 うわの君はそう言って、ソフトクリームを一口食べた。


「自覚あるんだ」

「あるよ。いつも俺のことを気にしてくれてるでしょ?」

「えっ、そ、そうかな」


 少しびっくりして言葉に詰まった。

 まさか、本当に自覚があったとは。いつもボーッとしているから、親切な隣の女の子くらいに思われているのかと考えてた。


 どうしよ、なんだか恥ずかしくなってきた。


 耳が熱くなるのを感じる。


 そんな1人で恥ずかしがる私を上野くんは不思議そうに見つめる。


「ん?俺、なにか変なこと言った?」

「いやっ、本当に気付いてるのかなって」

「もちろんだよ。橘さんは、いつも俺のことを気にかけてくれてる。今日も助けてくれたし、それに先週の火曜日だって...」


 上野くんの口からは次々と私の親切エピソードが出てきた。


 ほんとに気付いてる...。

 上野くん、てっきり私に興味ないのかと...。


 こうやって話してみると、上野くんが意外と私のことを知っている。


 もしかして、ホントはボッーとしてる訳じゃなかったりして。


「うわの君、私のことよく知ってるね」

「そ、そんなことないよ!」


 上野くんの顔が再び赤くなる。

 それを見た私はフフっと笑って、少し残ったチョコミントバーを食べた。

 そして、俯く上野くんの肩をチョンチョンっとつつく。

 

「うわの君、そろそろ昼休み終わるよ。教室に戻ろ?」

「そ、そうだね」


ーーー


 午後の授業が始まると、上野くんはいつもと同じように頬杖をついて窓越しに空を眺めていた。そして時折、ため息をついていた。

 ボーッとしているようにしか見えないが、油断してはいけない。

 と、思った時だった。

 

 視線を少し落とすと、上野くんの机には地図帳が開かれていた。ちなみに今は歴史の授業だ。


 私は本日2度目の大きなため息をついた。


「うんの君、今...歴史だよ?」


 私がそう言うと、上野くんは急いで鞄を漁る。そんな彼の様子を見て、私はプッと吹き出した。


「ぷっ、ふふ」

「なにさ」

「なんでも?」


 やっぱり、上野くんはボーッとしてる。

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